一 起
師走も大詰めの商店街は、昼下がりの日だまりに慌ただしく賑わっていた。
風は冷たかったが、その中を達磨よろしく着膨れた幼児を自転車の後ろに乗せて颯爽と走る主婦や、言いつかった買物をしっかりと胸に抱えた子供達が行き交う。
風見志郎はそんな華やいだ空気の内を一人歩いていた。
先だってデストロンとの戦いに巻き込まれた姉弟へのことづけものを届けた帰りである。が、その足は既に立花スポーツ店を行き過ぎていた。普遍に明るい陽光に包まれながら、その長身はどこか周囲と不似合いなある種の憂愁を帯びている。
それは彼が、もう彼を取り巻くこの明るい空気の中へ完全に帰る事のない為かもしれない。何の不思議もなく迎えてきた年の瀬ではあったが、しかしもうその光景は彼とは全く異質なものに変じてしまっていたのだった。
実際に変わったのは彼のほうなのだ。
本当に何もかも変わってしまった―――家族との平和で楽しかった生活も、人間としての彼自身さえも失われてしまった事が、特に強く意識されるのはいつもこんな賑やかな季節の折だった。
それでも事情を知っていようといまいと、彼の周囲はその世界から彼に向かって両手を差し伸べていたのだが。
「あらシゲル、風見さん見なかった?」
その頃珍しく風を通された少年ライダー隊本部では、三角巾をきりりと巻いた珠純子がハタキを手に弟を振り返っていた。
「あ?さっき外にいたよっ」
その横をすり抜けざま返事もそこそこに、シゲルは冷蔵庫を覗いている。
「出掛けたの?」
「知らないよ。…姉ちゃんジュースない?」
振仰いだその鼻先でぴしゃりと冷蔵庫の扉を閉めて、純子はにっこりと言い放った。
「ちょっと探してきてくれない?」
「ええー?」
言外にあからさまな拒否をこめた弟に、有無を言わさない姉の笑顔が迫る。
「大掃除の人手が足りないの」
「大掃除?何で?まだ二十八日じゃない」
正直なところシゲルは来たか、と思っていた。伊達にこの姉の弟を十年やってはいない。しかし例年からすれば予定日はまだ二日程先の筈だった。
「…純子、洗濯終わったぞ」
が、その時片腕に外されたカーテン、片腕にバケツと雑巾を提げた立花藤兵衛が戸口から現れるに及んで、シゲルは己の錯覚を悟っていた。どうも年中入り浸っていたもので忘れがちではあったが、ここは自宅とは違うのだ。そして世間様では十二月二十八日といえばそろそろ「御用納め」という事になるのだった。どのみちデストロン相手に盆も正月もなかろうが、それはそれとして大掃除はするものです、と立花に力説する姉の姿が眼前に見えるようだった。まさか風見さん察知して逃げたんじゃないだろうな、とシゲルは一瞬不届き極まりない想像をする。
「あらすみません、会長」
すっかり場を仕切った笑顔を立花に返すと、純子はその笑顔を微妙に変化させて弟を冷蔵庫の前から引き剥がした。
「ね。会長一人じゃ力仕事も大変だし…風見さん探してきてよ。お願いね」
それがお願いなどという可愛いものでないことは言うまでもなかった。かくして珠シゲルは風見志郎を見つけるまで帰れないという悲愴な覚悟を胸に、あてどない旅に出たのである。
しかしそんな平和で穏やかな日常を離れ、風見はどこへ向かうでもなく歩いているのだった。
いつもは明るく迎えてくれる人々が、今は不思議にうとましい。かつては自分の帰りを待つ場所も待っていてくれる人も他に居た筈なのにと思う、そんな感傷が苛立たしく思われるように。
少し独りになりたかった。
デストロンと唯一対等に戦う事のできる自分は、この世界にあって所詮―――ある意味デストロンのように異質だ。
そんな思いが、明るい陽光の落とす影のようにつめたく胸に沈む。周囲の気の良い人々にいつもは紛らわされてしまうその意識を、今は一人離れたところで見つめたい。
いつの間にか、足は商店街の外れにある小さい公園に向いていた。多少子供は居るかもしれないが、落ち着いて考え事をするには丁度良いだろう。天気も良い昼日中から、自室にこもる気にもならなかった。
思ったとおり公園は閑散としていた。砂場に幼稚園位の子供が数人遊んでいるだけだ。
しかし陽射しの穏やかに降り注いでいるベンチを選んで腰を下ろした途端、風見はまじまじと自分を見つめている向かいのベンチの青年と思いきり目が合ってしまった。
結城丈二だった。
二 承
結城丈二も困惑していた。
思えばこの数日は、彼にとってもいろいろな事がありすぎた。信じていた組織が実はこの世界を破滅に導くものであり、今迄敵と教え込まれてきた青年こそが世界を守る為にただ一人戦い続けてきたのだ―――というその真実を、驚く程のつよさで受け入れながらも、結城には少し静かに考える時間が必要だったのだ。そして今朝がた直面した、ある現実問題も含めてゆっくり考え事をしていた処へ、まさか当の要因の一つが現れようとは思ってもみなかった。
できれば年明け位までは顔をあわさずにいたい気がしていたのだが。
しかし今更知らない顔をする訳にもいかない。
「…やあ」
どうにか声をかけると、正義の味方も不機嫌そうに片手だけつと上げて挨拶した。どうやら先方もあまり邪魔はされたくないらしい。
やがて風見がものうげに目を逸らし、二人はとりあえず互いから解放された形になった。
自分も目をよそへやらなくては、と思いながらしかし結城はまだ見るともなく風見の横顔を眺めている。こういう時の意志とは、およそままならないものだった。不思議と目が逸らせないまま、前にもこんな事があったと結城は思う。
―――以前。
結城はデストロンの研究所へ戻る車の中から、やはり戦闘が終わって引き上げていく途中の風見志郎を見た事があったのだった。それ程昔の事ではなかったが、あの時はまだ自分はデストロンに忠誠を誓う科学者だったし、風見も自分の事は知らなかった筈である。
まるであれから何年も経ってしまったようだ、と暖かな陽射しの中で結城はぼんやりと考えていた。今はデストロンを捨て、この東京に身寄りも友人もない自分である。そして皮肉にもかつての敵が、未だ形の定まらない世界にただひとつの目印なのだった。もはや自分が何かを信じる事はないだろうと思いながら、たとえば自分が後に何かを託していくような事があるとしたら、今は相手としてその一人しか思い当たらないように。
まるであれから何年も経ったようだ、と風見もふと思っていた。デストロンに家族を殺され、復讐を誓ったあの日から彼はデストロンと戦い続けてきたのだ―――その戦いが時に自分をより一人にしていくと知りながら。それでも別に良い、と思いながら、風見はそれを許している訳でもない自分を知っている。
たとえばこんな戦いの合間の穏やかな日を、僅かに持て余す自分に気づくのだから。
そんな事を考えている内に、ふとまた結城と目が合った。というより、どうやら結城はさっきからじっと自分を見ていたらしい。
何か言いたい事でもあるのか、と風見はいぶかしげに一瞥した。
少し迷ったようにまばたきしたが、今度はまっすぐに結城は風見を見据えた。
「…あの子達に」
唐突に切り出されたのが何の話か、風見には一瞬解らなかった。
「届けてくれてありがとう。手間を取らせたな」
それが焼芋屋の姉弟へことづけられた玩具の礼らしいとようやく思い当たって、風見はああ、と肩をすくめる。
「お前が自分で行けば良かったのにな。あの子達も心配していた」
「…僕は行けない」
結城は少し寂し気に笑って答えた。視線は自分に向けられていたが、その表情が不思議にそれ以上全ての言葉を拒否しているようにも思われて、風見は何故とも聞けないまま黙って砂場の子供達を眺めた。
自分はどこへ行くのか。あるいは―――どこへ還るのか。
多分そんな事を考えていた。
三 結
気がつくとさっきまで遊んでいた子供達もいなくなっていて、だいぶ陽も落ちてきた。冬の日暮れは早い。
まだ気分が晴れた訳ではなかったが、そろそろ顔を出さないとおやっさん達が心配するな、と風見は立ち上がった。
「帰るのか?」
結城が尋ねた。
「ああ」
「会長達によろしく言ってくれ」
解った、と答えて風見は歩き出しかけ―――そしてふと気づいて振り返った。
「お前はまだ帰らないのか」
「ああ。まだ少し考えたい事があるしな」
ふっと肩をそびやかし、結城は微笑して風見を見上げた。その黒いコートの姿はどこか夕闇に溶けて消えそうにも見え、それが風見についぞ考えてもみなかった疑問をふと抱かせた。
「…そう言えば、お前今どこに帰ってるんだ?」
とりあえず結城もデストロンの本性に気づき、風見と共に戦う気持ちにはなりかけているらしい。となればこれから先、連絡をとる必要も出てくるかもしれない。結城は立花スポーツ店を知っているが、思えば風見は結城が普段どこに居るのか知らないのだ。デストロンに今も狙われている
結城が居場所を教えたくないのは承知の上で聞いてみた。
案の定結城はつと視線を避け、少し言い淀んでいる風だった。が、やがて返ってきたのは全く予想もしていなかった答えだった。
「…それを今考えている」
風見の背中を木枯らしが吹き抜けていった。
「…何を?」
「今日の午前中に、泊まっていた所が壊されてしまったんだ」
結城の言葉は憂鬱げだったが、反面変に他人事のように淡々ともしている。
「壊されたって…まさかデストロンが」
「いや。多分区役所だと思うんだが」
風見の背中をブリザードが通過していった。
「…結城」
肩にあたる寒い残光ががっくりと重い。きつく眉をひそめ、風見は溜息混じりに歩を戻した。
「もう少しちゃんと説明してみろ」
最初は安ホテルの類いを転々と泊まり歩いていたのだが、と結城は言った。
しかしやはりデストロンもその程度は見越していて、待ち伏せされる確率も段々高くなってくる。
(「戦いから逃げる訳じゃないが」
と、結城は意地を込めてわざわざつけ加えた。
「ただ…無関係な人を巻き込んでしまうからな」
風見は立ったまま面倒そうに頷いただけで、先を促した。)
結局デストロンと無用な揉め事を起こさずに眠るには、人目につきにくい空家か廃屋に泊まるのが一番確実だったのだ。という訳で結城はS区の児童図書館だった建物をここ一週間ほど宿代わりにしていたのである。が、それがまさか年内に取り壊される予定だったとは知らなかったのだ。元々持ち出すような荷物もなかったのがせめてもと言えたろうか。区の事情など知る筈もなかったが、とにかく今朝がたから作業員やら区役所の役員やらが現れて俄に騒がしくなった建物を抜け出し、昼頃一度様子を見に戻ってみると、抜けるような青空の下で勤勉なショベルカーがせっせと瓦礫の山を築いていた。
それからずっとここで考えあぐねていた―――というのが事の顛末だった。
「何も笑う事はないだろう」
話し終わった結城は、話の後半からこちらへ向けた背を細かく震わせている正義の味方を気持ち恨めしげに見やった。
「笑う?誰が?」
一呼吸おいて振り返った風見は天晴れ真面目な顔をしていたが、ただ惜しむらくはその目が大笑いしている。
「…とにかく、そういう事だ。これで気は済んだか?」
結城はベンチの背もたれに両肘をかけて、なげやりに藍色の空を仰いだ。もう帰れ、と言いたげである。夜になる迄になんとか対策を立てなくてはならないのだ。とは言え話している内にとうに陽は落ちていて、頭上では公園の蛍光灯がぼんやりと心細げに光っている。
風見は結城を凝視していた。
この世間知らずをどうしてくれよう、と思う。
彼も必要以上に面倒見の良い方ではない。放っておけ、と言われるならそれまでである。しかしここまで悪びれもせず話しておきながら、まだ自分一人で何とかしようとしか考えていないらしいこの青年の頑固さと呑気さには半ば呆れ、またそんな思い詰め方が妙におかしくもあった。自分がたまたま尋ねでもしなければ、このまま夜中まで一人黙々と考え続けていたに違いない事は賭けてもいい。
端的に言えば―――その言葉にはしたくなかったが―――馬鹿じゃないか、と思う。
「…考えるのはいいが」
だからこのままにもしておかれなかった。
何故ならその奥にひそむ孤独感は、種類こそ違え風見と不思議に共振するのだ。
背負うものも見ているものも違う、彼と自分の間には決して埋まらない距離がある。それはどんなに近くに居ても互いの本当は見えない夜の闇のように深い。しかし蛍光灯の青白い光の下で、風見は黒いコートの奥底に包まれた自分と同じ結晶を見ていた。この世界では自分自身がひとつの不安定となる事を、意識はしないがどこかで知っている。
言ってやろうか、と思った。
柔らかな微笑が、その時はごく自然に浮かんだ。また笑う、とねめつける結城をはすに見下ろして、風見は少し意地悪く尋ねる。
「それで目処でもついたのか?」
「いや、それは…」
結城は渋々答えた。実際もう考える方向も尽きて、さっきから思考は再循環に入っている。下手をすると今夜はここでこのまま夜明かしだろうか、などという懸念さえそろそろ頭を掠め始めていた。
「…それならちょっと来い。心当たりがある」
「心当たり?」
いぶかしげに聞き返しながらも正直なもので、結城は立ち上がっていた。
「物件は立花スポーツ店鋪奥。お前には出入りは少し不自由だが、その代わりデストロンにも手出しできん事は保証してやる」
「…おい、それっていうのは少年ライダー隊の本部じゃないのか?」
「そうだが、どうかしたか?」
やや及び腰になる結城に、風見はふいと挑みかけてみる。
「行けない、とは言うなよ」
念を押した。
たとえ戦う事をこの世界との関わりに繋ぐとはいえ、それでも自分達はこの世界に居る。その戦いの先にどこへ行くのかは知らないが、風見は今の自分が帰る日常を知っている。
だから戦いのなかった今日もそこへ帰ろう。大体こんな道連れまで出来てしまっては、もう帰るよりないではないか。
まあ人手は多いに越した事はない、と肩をすくめた。
「今からでも大掃除は手伝わされるだろうが、宿泊費はタダだから我慢しろ」
そう言い切って、ついときびすを返した。
「おい、風見…」
結城がなおも言いかけたが、風見は頓着せずにさっさと歩いていく。
ほんの一瞬、それでも結城はためらった。
君達にそんな迷惑をかける訳には、とか、自分の事は自分で何とかする、とか意固地な言葉は喉元まで出かかったが、しかしすっかり暗くなった公園を足早に行く風見の背中を見ている内に、そんな意地はいつか氷片のように溶けていた。時には冷たくさえ見えるあのまなざしが、あんな風に笑う事もあるのだ、とふと思う。
それは結城が初めて出会った、戦っていない風見志郎だった。
両手はポケットに入れたまま、ひょいと風見が砂場の木枠から木枠へ器用に片足だけで跳んだ。
それにつられて、ゆっくりと結城も風見の背を追って歩きだした。
<完>