十二月二十八日(2)


   3.十二月二十八日―――結城丈二

「―――故郷へ帰る?」
朝食の目玉焼と格闘していた結城は、顔を上げて聞き返した。
「ああ、いろいろと考えたんだが、東京にいたんじゃデストロンから逃れる事はできないからな。田舎まで追いかけて来ないとも言い切れんだろうが、少なくともこのまま東京で逃げ回っているよりは、君に迷惑もかからない」
岩崎は淡々と答えた。その表情から、昨日までの怯えた影は全くと言って良い程消えている。
「いや、僕なら構わないが……」
そして結城はそんな岩崎の変化に戸惑い気味である。
「しかし、それでいいのか?」
「もう決めたんだ。今日の午前中に発てば、明日の夕方には家に着く。山の中の小さな村だが、身を隠すにはもってこいのところだ」
「そうか」
結城は少し寂しげな表情になった。
「それなら、いいが」
「結城……世話になったな」
「いや」
そのまま二人とも、しばらく黙って食べ続けていた。
 ふと岩崎が顔を上げたのは、結城が目玉焼をつつきまわす事五分程経った頃である。
「君、左利きだったか?」
結城の手が止まった。
 一瞬気まずげな表情になり、フォークを左手から右手に持ち替える。が、その手つきはおぼつかず、フォークの先はふらふらと宙をさまよった。人さし指と中指のバランスが取れずに揺れる右手を、苛立たしげに上から左手で押さえると結城は苦笑しながら岩崎を見た。
「見ての通りだ」
押さえた左手の下から覗く手の先は、人間の皮膚ならぬものの光沢をもってまだかすかにひきつっている。
「殴ったり、掴んだりする分に不自由はないが……細かい指先の作業には機能がついていかん。そんな時間もなかった」
「……」
「馴れもあるとは思うんだが、なかなか神経信号がうまく変換されてくれないらしい。この手ではもう、研究を続ける事はできないだろうと思っている」
あえて気のない調子で言いながらも、その語尾にはこらえきれない口惜しさがこもる。既に生身ではない我が身を―――そして右腕を奪ったデストロンを呪う。結城の気性の隠された激しさを垣間見たように思い、岩崎はうつむいた。
「……だからお前は自分の研究を続けろ。それだけが、僕の頼みだ」
「結城」
岩崎が思いきったように顔を上げる。何か言いたげに唇が開いた瞬間、兜の奥に光る二つの冷酷な目がその眼前をよぎった。
 いぶかしげに覗き込む結城にのろのろと首を振り、岩崎は気弱に笑って次の言葉をすり替えた。
「……駅まで送ってくれるか?」

 結城と岩崎が駅まで歩いて十分程、という人気のない雑木林沿いの道にさしかかった時である。
 ばらばらと林から八、九人のデストロン戦闘員が走り出て二人を取り囲んだ。
「―――裏切り者の結城丈二、岩崎圭一郎!死ね!」
結城は半ば予期していた事のように手際よく岩崎を後ろに押しやった。
「逃げろ、岩崎」
「結城!」
「いいから、逃げろ!」
うるさげにちらりと振り返って、結城はもう一度叫んだ。
「ここは僕が引き受ける……早く行け!」
二、三歩とまどうように歩きかけ、結城に促すように肩を逸らされてついに思いきって走り去っていく岩崎の足音を背に聞きながら、結城は息をためて身構えた。
(逃げろ……駅まで行けば人目がある。デストロンもそうは手出しできん筈だ)
 走り出した岩崎は、しかし駅へは向かわなかった。
 まっすぐ向かった先は、セントラルスポーツ店である。店内はがらんとしていたが、しばらく岩崎が店先を行きつ戻りつしていると、立花が店の奥から出てきた。
「―――あの」
岩崎は急いで店へ入った。
「風見さんはおいででしょうか」
立花はうさんくさそうに岩崎を見上げた。その視線に、訳もなく岩崎はたじろいでいる。
 勿論風見同様に、岩崎は立花藤兵衛の風貌を見知っていたが、立花が自分を知る訳はない。だがそれが解っていても、長い間仮面ライダーと共にあって戦い続けてきたこの男の鋭い眼光には流石に気押されている。逃げ出したいのをこらえて、岩崎はおどおどと繰り返した。
「風見さんは……」
「―――おやっさん」
低い声がして、店の奥から頭をかがめるようにして長身の青年が出てきた。額にかかる前髪の下から、鋼の光を含んだ鋭い瞳が見上げる。
「俺に客ですか」
「お、志郎……お前この人知ってるか?」
立花の言葉に、風見が瞳をめぐらせて岩崎を見た。かすかに記憶を辿るように目を細め、そしてそのまま店先へ出てくる。
「お前は確か……」
やはり顔を覚えられていた、と岩崎はほっとする。結城と一緒に居たところを見られていたのでなければ、どうやって自分を信用して貰えばいいか、岩崎には考えもつかなかった。もとより演技に自信などない。
「……知ってるのか?」
立花が訝しげに振り返るのに、ええ、と答えて風見はもう一度岩崎を見た。
「僕は……岩崎と言います。デストロン科学者グループの生化学班に居た時、結城さんには親しくして貰ってました」
すらすらと言葉が出てきたのに、岩崎はまた安堵した。
「で?その岩崎くんとやらが、俺に何の用だ」
斜に構え、上から見下ろす形で風見が無愛想に言う。昨夜来の不機嫌を隠そうともしない。
「僕はデストロンから脱走して、結城さんに守って貰ってます……デストロンの秘密を知っている僕を消そうと、奴らが追ってくるんです」
しかしその無愛想さが、岩崎にこれから自分がしようとしている事への後ろめたさを消させる。
(結城はああ言うけど、この人は僕の味方じゃない……大体この人は、人間ですらないじゃないか)
「それで、このまま僕がいつまでも狙われるよりは、と結城さんは逆にデストロンを叩き潰そうとしているんです」
自分を見つめている風見の目の鋭さに、次第に目を合わせるのが苦痛になってくる。岩崎は口中が乾くのを感じながら、必死に言葉をつないだ。
「僕の知っているデストロンのアジトに、結城さんは出掛けて行きました。それで僕に、風見さんにも来て貰うようにと」
風見はただ黙って岩崎の話を聞いている。
「おい、志郎!えらい事だぞ、これは」
立花が横から息巻く。それに頷くともなくちらりとまなざしを向け、風見ははかるように岩崎を見据えた。
「……場所は」
「鳥江岬の近くです。僕が御案内しますから、早く来て下さい!」
その声は半泣きに近かった。
(早く……早く、連れ出さないと)
「……良かろう」
風見は軽く頷き、組んでいた腕を解いた。
「おやっさん、ちょっと行ってきます」
「おお、気いつけてな」
ヘルメットをかぶり、ハリケーンの後ろに岩崎を乗せる。ハリケーンのエンジン音を聞きながら、それでどっちへ行くんだ、と風見は肩ごしに尋ねた。

 結城はかかってくる戦闘員の横をすり抜けざま、首筋に鋭い一撃を打ち込んだ。息つく間もなく頭上からとびかかってくるのをかわし、腕をとらえて腰だめに投げる。
 既に結城は十分以上戦い続けている。力は強まるが体力を消費するライダーマンの形態よりは結城の姿で戦う方が長く戦えるという事はあり、その点ではまだ不安はなかった。しかし戦う内で結城の意識のどこかが、戦闘とは全く別の警戒信号を発している。
(おかしい。何か、おかしい……)
何が、なのかはっきりと感じる事はできないが、デストロンと戦うようになってから結城の勘も以前よりははたらくようになっている。その勘が、あるかなきかの手応えの無さのようなものを結城に伝えてくる。
(十中六、七で僕に罠をかけるつもりと思ったが……この生殺しのような仕掛け方は、まるで時間稼ぎだ。だが、何故)
結城は岩崎を密かに疑っていたのである。追手がかかっていながらあまりに甘いその追撃に、デストロンは岩崎を本気で抹殺しようとはしていないのではないか、と感じたのがそのきっかけだった。
 脱走者と見せ掛けて―――しかもかつての友人という事で結城の警戒を解かせて寝首をかくか、あるいは用意された包囲網への誘い込み役を果たすか。おそらくは後者だろう、と思っていた為に、この待ち伏せにあっても少しも慌てなかった結城である。
 しかしとっさに岩崎を逃がしたのは、まだどこかで結城が岩崎を信じていたからだ。
(逃げろ、岩崎!)
その叫びに計算はなかった。岩崎がたとえ結城を罠にはめる為のスパイであれ、または本当に脱走してきた身であればなおのこそ、デストロンがそのままにしておく筈がない。どちらにせよ、できれば逃がしてやりたかった。
(所詮僕は甘いという事か……)
かすかに苦笑し、前面の敵の鳩尾を突いた手を抜き返しざま、背後の敵の振り下ろすナイフを下から裏拳ではねあげ、足払いをかけて倒す。
(だが、ここまで僕を足留めしたがるという事は、岩崎は本当に……となると、ここでそうそう手間取る訳にもいかん)
どうにか退路を、と思い、ぐるりと周囲を見渡すが戦闘員に取り囲まれてどうにも動けない。こうなれば方向を定めてひたすらに打開いて行くしか道はあるまい。
 結城は今となっては唯一の頼みである右腕にたまる熱を振り払い、コートの裾をさばいて息を整えた。

「―――あそこです」
岩崎が案内したのは、鳥江岬から二百メートル程離れたところにある小さな洞窟だった。風見は近くの道路沿いにハリケーンを留め、岩崎の後ろから歩き出した。
「あれが入口です」
まっすぐ指差した先に、デストロン戦闘員の影が二、三見え隠れしている。
 岩崎は嘘をついた訳ではなかった。このデストロンのアジトは結城の脱走後に岩崎が送られた先でもあり、岩崎はここから脱走したのだ。今こうして立っているだけでも足がすくむ程、岩崎にとっては近づきたくない場所である。
「……行きましょう」
その思いをはらうように二、三歩進む。
 しかし風見はその場に立ったまま、じっと岩崎を見つめていた。
「風見さん、早く行かないと……」
「行くとも」
その声は静かだったが、しんとするような威圧感を秘めていた。思わず岩崎の足も止まる。
「行くが……ただその前にどうしても確かめておきたい事がある。正直に答えて貰おう、岩崎くんとやら」
海岸に群生するハマヒルガオの茎葉を、風が静かに揺らした。風見はふと瞑目し、それからゆっくりと目を開いて半眼のまま、岩崎を見据えた。
「結城は、お前を信じているんだな?」
どきりと岩崎の心臓がはねる。唇が震えるのを何とかこらえながら、岩崎は必死に笑顔をつくろうとした。
「何を……」
「俺を甘く見て貰っては困る」
ぴしりと厳しい声に耳をうたれ、思わず腰から力が抜けてその場へくずおれそうになりながら、岩崎は風見を見上げた。
「お前が結城の友人だったのは解る。途中までの話が本当だというのもな。だが結城は、あのアジトの存在も、お前が俺をここまで連れ出した事も知るまい。違うか?」
岩崎の顔からすうっと血の気がひく。それだけで答えには充分だった。まあいい、と風見は口の内で呟き、そのまま岩崎を残して歩を進めた。
 見張りの戦闘員を一撃のもとに倒し、そのまま無造作にアジトの入口をくぐる。岩崎が風見をここまで連れてきた以上、内では当然「歓迎」の準備が整っている事だろう。今更後戻りする気も、小細工を弄する気もなかった。
「来たぞ!」
早速待ち構えていた戦闘員が一斉に襲い掛かってくる。まだサイタンクとの激闘の傷癒えない風見とはいえ、そうそう戦闘員におくれをとる事はない。が、なるべく体力の消耗は避けたかった。
「お前等と遊んでいる暇はないんだが……」
その言葉も終わらない内に左からかかってくる戦闘員の肘をねじって延髄に一撃を入れ、腕一本でそのまま右からかかってくる戦闘員もろともに壁に叩きつける。そのしなやかな身体の動きはいつもに比べればいくらかものうげではあるものの、一分の隙もない。
 十数人いた筈の戦闘員を数分で片づけて、風見は流石に息をついた。やはりまだ長丁場となると辛いものがある。
「……やれやれ」
肩口を押さえて、息を整える。
(まさかこれで終わりという事もあるまいが)
辺りの気配をうかがいながら通路を進む内、いつの間にか広間に出た。
 風見が入ってきた入口と、その向かいに出口がひとつあり、部屋自体は差渡し二十メートル程の円形の広間である。
 ふと仰いだ天井は思いの外に高く、上の方にバルコニー風の張り出しがあるようだ。
 そこに誰かが立っているが、天井から降り注ぐ光の眩しさに定かには解らない。
「―――風見志郎!」
聞き覚えのある声が天井一杯に響き渡った。風見は目を細め、その人影を見定めようとする。
「……ヨロイ元帥!」
「ようこそ、デストロンアジトへ。歓迎するぞ、風見志郎」
その言葉が終わると同時に、入口と出口を鉄柵の落とし扉が塞ぐ。ヨロイ元帥は珍しくマントですっぽりと身体を包み、その兜の奥の凶眼に冷たい光をたたえて風見を見下ろしていた。
「早速のお出ましとはいたみいるぜ」
風見もゆっくりとした口調で返す。しかしその目には、寸分の隙もない気迫が漲っている。
「流石は仮面ライダーV3、大した度胸だ……折角御招待したのだ、どうおもてなししたら良かろうかといろいろ考えたが、これなどは気に入って貰えるかな」
反射的に見上げた天井から、白い光が迸った。電撃だ、と気づき、しかし飛び退こうとした風見の動きはほんの一瞬遅れた。
「……っ!」
目の前が真っ白になる。全身から力の抜ける衝撃にかろうじて耐えながら、風見は天井を仰いだ。
「十万ボルトの電撃をくらってもまだ立てるとはな。ますますもって、流石は仮面ライダーV3だ。……動くな!」
天井にはめ込まれた放電パネルを見つけ、その真下から動こうとする風見に、ヨロイ元帥の声が鋭く浴びせかけられた。
「動けばこいつの命はなくなるぞ」
ばさり、とマントを翻す。その下で、ヨロイ元帥の右腕にしっかりと捕らえられながら逃れようと空しくもがいているのは岩崎だった。その青ざめた頬に左手の鉄球を押し当てると、ヨロイ元帥はじろりと風見を見下ろした。
「知らぬ顔ではなかろう?こいつの命は貴様の態度ひとつにかかっている……このままひねり殺すなど雑作も無い事だが。さあ、どうする風見志郎?この男を見殺しにするか?」
風見の足が止まった。
 放電パネルの真下に立ち、ヨロイ元帥を見上げる。
「俺が言うなりになれば、その男を自由にすると約束できるか」
「おお、偉大なるデストロン首領の名にかけて誓ってやるとも。もとよりこの男には、もう一つ仕事をして貰えば自由にしてやると約束してあるのだ」
「……ならば」
その微笑はどこか寂しげに見えた。
「好きにするといい」
「―――風見さん!」
身をよじって叫ぶ岩崎に微笑を残したまま、まなざしを移した風見の身体に二度、三度と青白い電撃が躍りかかる。
「……岩崎……」
改造人間である風見の身体は常人とはかけ離れて強化されている。しかし高電圧の電撃はその身体に埋め込まれた回路を狂わせ、生体組織を灼いて言語に絶する激痛をその身に与えている。ついに片膝をつき、なおもその身体を襲う電流に耐えようと歯を食いしばりながら、風見は言葉を絞り出した。
「いいか……結城は……裏切るなよ……」
身体の内で何かの弾ける衝撃が、がくりと足を滑らせる。胸を掴み、苦しい呼吸の下から風見はかろうじて岩崎を見上げる事ができた。
「……お前を……信じている、あいつを……」
そこまでが限界だった。放電パネルの煌めきと共に凄まじい衝撃音と光が風見の身体を貫き、一瞬ひきつったその長躯はゆっくりと床に倒れ込んでいったのである。
「……風見さあん!」
岩崎の喉をはりさくような叫びは、やがて嗚咽にも似たかすかな息遣いに変わった。
 眼下の光景にがっくりと力を失った身体から腕を抜き、その耳にヨロイ元帥が低く囁く。
「忘れるな。まだお前の仕事は終わってはおらん……」
わずかに振ろうとしたかぶりも、萎えた気力が動かしてくれない。岩崎は死人のように虚ろな目で、ぼんやりと宙を見つめていた。

 暗闇の内、白いライトに照らされた手術台だけが明るく浮かび上がっている。
 そしてその手術台の上に横たえられているのは風見だった。万が一の時の用心にと四肢を鉄枷で拘束されてはいるが、しかしその瞳はかたく閉ざされている。その裸の上半身には未だ癒えないサイタンク戦の傷と、電撃の負わせた歯跡が縦横に入り乱れ、見るだに痛々しい外見を呈していた。
「―――やれ」
背後から低く命じるヨロイ元帥の声に、びくり、と身体を震わせて岩崎はメスをとりあげた。ヨロイ元帥の視線に操られるようにのろのろと手が動き、何の反応も示さない腹部をゆっくりと切り開く。
 途端に溢れる血の赤さに、岩崎の手がこわばった。その予期していなかった紅の鮮やかさ―――今まで岩崎の作り出してきた改造人間のひとりとして持ち得なかった、その生身の人間のままの血の色が、岩崎の喉を詰まらせる。
(こんな……)
身震いがきた。しかしそれが、岩崎の意識を覚ます。慌ててガーゼに血を吸い取らせながら、熱い、と岩崎は思った。
 手術用のライトが台上の風見と、岩崎を煌々と照らしつけている。脳の内までライトの白さが沁みるような朦朧とした感覚の内で、岩崎はぼんやりと自問していた。
(僕は……何をしてるんだ……)
ひらいた腹部の内に細かく組み込まれた有機体と無機体の結合回路は、おそらくいつもの岩崎なら夢中になって分解を始めたに違いない。仮面ライダー一号・二号の作り出した、その複雑にして美しい改造組織は、未知の機能を抱いてライトの光を眩しくはね返している。
 しかし今の岩崎の頭には、そんな思いは微塵も浮かんでこない。差し出された鉗子を掴みかけて、思い直してまた放す。
「どうした」
冷たく低い声に、口の内が乾いて唾をのむ。
「……人工心臓が、見つかりません……間違ったようです、場所を」
「ふん」
その冷ややかな笑いが答えだった。
 岩崎は汗が目に滲みるのをこらえながら、メスを滑らせてなおもその皮膚を大きく切り裂きにかかった。胸まで溢れる血を拭い、かすむ目で何とか目の前の回路を解析しようとする。
「殺すなよ。貴様はもっと手際良く仕事をするのが取り柄だろうが」
嘲笑混じりの声が背中に浴びせられる。そしてその声に意識のどこかが目覚めたのか、または身体を切り開かれる痛みの為か、台上の風見の眉が僅かに歪められた。岩崎の息が上がる。
「……麻酔」
その声は自分の声とは思えなかった。差し出される麻酔用のマスクを、メスを放り出すように掴むと無意識の内にも抗おうとする風見の顔に押しつける。
 その動きが再び緩慢なものとなり、やがて頭がぐったりと仰向く頃、岩崎は息を切らしている自分に気づく。
「しっかりやるのだな。いいか、これさえやり遂げれば貴様は自由の身になれるのだぞ。それを忘れるな」
耳元へ囁きかけてくる声に、岩崎の肩がびくりと動いた。
(そうだ……これさえ終わらせてしまえば、僕は)
薄い手袋を嵌めた指先で、慌ただしく腹の内を探る。十万ボルトの電撃に耐え抜いたものの、風見の体機能はほとんど停止しているといってよい。しかしその体内を探る指先には、その冷たい組織回路の内から静かに―――だが確実に修復が始まっているのが感じ取れる。この分でいけば、幾らも経たない内に最低限動けるだけの機能は回復してくるだろう。その超人的な回復力に、しかし今の岩崎は感慨に浸る間もない。
(その前に……その前に終わらせておかなくては)
必死に探り続ける指が、やがて止まった。
 岩崎の指は、風見の身体の内でゆっくりと鼓動を刻む人工心臓に触れている。
(あった……)
気配を察して差し出されたトレイの上の小さな胡桃大の金属塊を、それに繋がる数本の被覆線ごと取り上げると、岩崎は振り返らずに尋ねた。
「カウンターは? 0から32767までの範囲で指定できますが」
「最も長い時間にセットしておけ。……永い永い時間を、死の恐怖の内に過ごさせてやるのだ」
岩崎は黙って金属塊の表面の小さなボタンを爪先で操作した。
 そしてその金属塊を、手探りで風見の心臓の真下に埋め込み、細い導線をその周りの血管に絡ませる。程なく風見の脈拍を捉えたらしく、その金属塊が小さく時を刻み始めたのを確かめて、岩崎は指を抜いた。
「動きだした……ようです」
ぼんやりと呟く、自分の声を岩崎は死人の声のように聞いた。
「宜しい」
たどたどしい動きで指が傷を縫合し、台まで滴った血を拭う。
 ほとんど胸の中央まで切り開いた傷の大きさに、岩崎の目が泣き出しそうに歪んだ。ライトに照らされた風見の横顔は、麻酔によって再び深い眠りにおとされて睫一本動かない。その端整な面差しを、岩崎は胸をつかれるような思いで見つめた。
 自分にとって―――デストロンにとって疑いもなく敵で、無愛想な冷たい表情しか見せなかった改造人間を誘い出し、その手術を行う事。最後に与えられたその仕事を、岩崎は恐れながらもほとんど罪悪感はなく承諾したのだった―――しかし。
(裏切るなよ……)
十万ボルトの電圧に身体を捕らえられながらも自分へ叫んだその声が、岩崎の耳から離れない。
(デストロンに追われる者にとっては最も心強い味方となる……たとえそれがかつてはデストロンに居た者であってもだ)
そしてそう語った結城のまなざしが目の前に甦る恐ろしさに、岩崎は思わず血まみれの手袋のままの手で顔を覆った。
「おめでとう、岩崎圭一郎」
ヨロイ元帥の冷たい声が、岩崎を現実に引き戻した。
「流石はデストロン随一の生体科学者……惜しいが約束は約束、このまま自由にしてやろう。我らが宿敵、仮面ライダーV3を葬るにあたっての貴様の功績はそれに値するというものだ」
岩崎の足はふらふらと動いた。
「行け。目障りだ。……さっさと消えぬとこの場で打ち殺すぞ」
その言葉に我に返った岩崎の目がヨロイ元帥を見た。一瞬手術台上の風見に視線をうつし、ためらいながら血まみれの手袋を床に脱ぎ落とすと、岩崎はきびすを返して手術室を走り出た。
「……ヨロイ元帥」
手術の助手をつとめていた白戦闘員が、ヨロイ元帥をはかるように見上げる。
「良い。捨ておけ……しばらくはな。処分はいつでもできる」
ヨロイ元帥の眼が残酷な光をたたえ、ふと細められる。
「奴にはまだやって貰わねばならぬ事がある……それを為遂げたところで消せ、と伝えろ」

 結城はようやくデストロンの追撃を振りきり、駅に着いたところだった。
 しかし駅前は年末のせわしさはあるものの穏やかな師走の光景の中、デストロンの影ひとつない。
(遅かったか?……いや、そもそも最初から来てはいないのか)
デストロンが岩崎を奪回に現れたなら、少なくともまだ数十分と経ってはいない。
 これだけの人通りの中なら必ず何らかの痕跡が残る筈だ。こんなに明るく賑やかな訳がない、と結城は考え、そしてふと眉をひそめた。
(……今、何を考えた?)
痕跡が―――いや、そうではなく。
 何か心に引っ掛かった言葉があった筈だった。結城は眉を寄せ、注意深く思考の糸を手繰り寄せる。
(そもそも最初から来てはいないのか……だが、誰が?)
それは勿論、岩崎を追ってくるデストロンの筈だった。
 だが今、結城が考えているのは全く別の事だ。
 そもそも―――来てはいなかった、としたら。
(最初から、岩崎がここへは来なかったとしたら)
思考のもつれがみるみるほぐれていく。
 全ての疑念が、考えたくないある答えに収束していくのを頭を振って打ち消そうとしながら、結城は慌ただしくオートバイのエンジンをかけた。
 何故、岩崎は急に故郷へ帰るなどと言い出したのか。駅への道の途中で待ち伏せていた追撃隊が明らかに時間稼ぎのような戦法を使って自分を足止めしたのは何故か。
 まさか、とは思う。そう易々と、とも思う。思いはするが、言い知れない不安がつのるのだ。
(僕の読み違いならそれでいい……だが、もしも当たっているなら……頼む、間に合ってくれ!)
よくも事故を起こさなかった、と後日になって冷や汗混じりで思い出す程のスピードでオートバイは商店街を走り抜けた。セントラルスポーツ店の看板が目にはいるやその店先へほとんど横倒しにする形でオートバイをつけ、飛び下りて店内へ駆け込む。
「お、あんたあ……」
呑気にグローブなど磨いていた立花が振り返った。
「風見は」
流石に息が切れている。しかし息をつくのもそこそこに、結城は立花に詰め寄った。
「風見は?居ますか?」
「……お、おいおい、ちょっと待てよやぶから棒に……全体」
立花の目がいぶかしげにひそめられる。
「あんたはデストロンのアジトに行ってるんじゃなかったのか?岩崎とかいう若いのが来て、そう言って」
「岩崎が」
結城は息をのんだ。では、遅かったのだ。
「岩崎が来たんですね?」
「あ……ああ、あんたは先に行ってるからって、志郎を呼びに来て……おい、おいちょっと待て!」
立花の言葉を聞き終わるのもそこそこに、結城は店から走り出していた。
「おい、一体何がどうしたってんだ!」
「後でお話しします!」
オートバイを起こし、こんな時に限ってなかなか一回ではかからないエンジンを慌ただしくかける。
「すみませんが早く行かないと……どっちへ行ったか解りますか?」
「あ?いや……あ、確か鳥江岬がどうのとか……おい、あんた!」
制止の声はエンジン音にかき消された。
 結城は上体をかがめ、出せる限りの速さでオートバイを駆った。その唇は泣き出したいのを堪えるように、きつく噛み締められている。
(僕の甘さが……甘さの代償が、これだというのか!)
自分一人だ、と思っていたのだ。信じた事が間違いだったとしても、罠にかかるのが自分一人ならあえて信じる方に賭けよう、と。
 ヨロイ元帥に陥れられて以来差し伸べられる手も拒み、信じる事を頑に退けてきた自分が岩崎を信じたのは、その裏切りの痛みも我が身ひとつに引き受ける覚悟をしていたからだった。
 あの―――土壇場の一瞬に。
(だがそれが間違っていたというなら……岩崎、もしもお前が罠をかけた相手が、僕でなく風見だったとしたら……)
エンジンが吠えた。

 風見はぼんやりと目を開いた。
 まだ四肢は動かない。既に拘束は解かれていたが、手足を動かす機能が回復していないのだ。無理もなかった。元々サイタンクに負わされた傷を癒している途中だった上、ほとんど体機能が停止する直前まで傷めつけられている。
 それでも頭は動いた。頭と背中に当たるのは冷たい壁の感触である。風見はゆっくりと頭を巡らせ、それが見覚えのない路地裏の一角なのを見定めた。
(どこだ、ここは……いや、それよりも、俺は一体……)
「―――目が覚めたか」
聞き覚えのある声に、反射的に身体が緊張した。
「……ヨロイ元帥!」
袋小路の奥まったところ、ほとんど光の届かない薄闇の内にヨロイ元帥が立って、風見を見下ろしていた。
「あれだけの電撃をくらって、この程度で回復するとはな……仮面ライダーV3、恐ろしい男よ」
「貴様……」
真綿に包まれたように力の入らない足を叱咤し、壁に身体を預けてゆっくりと体勢を整えようとした途端、ぐらりと視界が揺らいだ。
「だがまだ動くには充分とはいかぬらしいな。いいざまだ……本来ならばこの場でとどめを刺してくれるのが、貴様にとっては情けというものだろうが」
再び路地へうずくまるように倒れこんだ風見を、満足げに見据えながらヨロイ元帥は微笑する。
「しかし今迄、貴様にさんざん煮え湯を飲まされ続けて来た恨み……そんなに簡単に楽にしてやる訳にはいかぬ」
「……あの男は……どうした」
息が上がる。未だかつてこんな事はなかった。風見が思っている以上に、その身体は深く傷ついている―――そして普段ならば人間の数倍の速さで賦活するその機能も、貧血状態の為にいつものようには働いていない。だが、そんな事を風見が知る由もなかった。ただ苦しい息をつきながら、まだ思うようにならない手足をなんとか動かそうとする。
「岩崎の事か?安心しろ、あやつならとうに自由の身になっているわ……それだけの働きはしてくれたからな。しかし風見志郎、貴様もどこまで馬鹿な男だ。自分の死刑台を用意した男の行方を案じるとはな……」
ヨロイ元帥の目が、ねっとりとした光を含んでまたたいた。
「耳をすまして良く聞くといい」
その口元に、冷酷な微笑が宿る。
「貴様の身体の内をな」
風見はいぶかしげにヨロイ元帥を見上げていたが、ややあってその目がふっと大きく見開かれた。かすかに震える冷たい指先が、ゆっくりと確かめるように胸に触れる。
 音。
 その時風見の耳には、自分の胸の内の深いところで、確実に時を刻む何かの音がはっきりと聞こえていた。
「解ったようだな」
楽しげにヨロイ元帥が言う。
「貴様の身体には、岩崎の開発した高性能の時限爆弾が埋め込まれている……但し秒ではかるのではない。その時計は、貴様の身体を流れる血脈の拍をとって時を刻むのだ。脈が早まれば爆発時間もそれだけ早まる……セットした我らにもいつ爆発するか解らぬ爆弾を抱いて、死の恐怖を存分に味わって貰おう」
「貴様あっ……」
片膝をつき、かろうじて身体を起こしながら風見は息をついた。胸が苦しく、耳の奥で血管が脈うっているのが解る。
「おっと、急に動くと脈が上がるぞ」
大仰に身体をひいて、ヨロイ元帥は嘲笑った。
「ではそろそろ退散するとするか、巻き添えをくうのは御免だからな。言い忘れたが、その爆弾は爆発すれば、貴様もろとも半径百メートルばかりきれいに吹っ飛ばしてくれる筈だ。のろのろしていると、貴様自身がデストロンの人間爆弾となって人間共を殺戮する事になるぞ」
その言葉に弾かれたように、風見の目が路地の外へ向けられる。十メートルと離れていないところを、笑いさざめく子供や買い物の主婦が行き過ぎていく。
(住宅街……!)
身体を壁にぶつけるようにして無理やり立ち上がり、もつれる足取りで路地からまろびでる。
 降り注ぐ白い午下がりの陽光に叩き伏せられるようによろめいた風見の背に、ヨロイ元帥の哄笑がこだました。
「そうだ、走れ。死の恐怖に怯えながら走り続けて、己が命を縮めるがいい。どこまで走り続けられるかな、風見志郎?」
最後の言葉は、ゆっくりと薄闇の内にかき消えるヨロイ元帥の姿と共に壁に吸い込まれて消えた。
 しかし今の風見に、振り返る余裕はない。
(離れなくては……ここから、どこか……人のいないところへ)
鉛のように重い足をひきずり、二歩、三歩と歩みを進める。胸を掴む指先に伝わる作動音が、流れるように早まった。
 ともすればかすむ意識を必死に呼び覚まし、風見は彼だけに備わったある種の感覚を研ぎすます。ゆっくりと頭を巡らす内、やがてその感覚が海の匂いを伝える。
 距離はあったが、今はそちらへ向かうしかない。
 行き交う人々が、壊れかけた人形のように危うい足取りでその長身を運んでいく青年を気味悪げに遠巻きにしながら過ぎていく。しかし風見はぼんやりと薄れる視界を頼りに、ただ一点を目指して動いた。
(海へ……)

 結城は鳥江岬の近くでハリケーンを見つけてオートバイを止めた。
 近寄ってエンジンに触れてみる。冷たかった。
(だいぶ前だな……)
完全に出遅れたのではないか、という不安が胸を掠める。頭を振ってそれを払い、結城は辺りを見回した。
 何ひとつ動くものもない岩場は、静かな午睡を貪っている。何もなかったかのように―――しかしハリケーンがある以上、確かに風見達はここへやって来たのだ。
 何か手掛かりを、と海沿いの岩場に下りて歩き始める。五分程歩き回った頃、結城はふっと背中に気配を感じた。
 誰何せずに、思いきり振り返る。
 岩場の陰に慌てて隠れようとする人影を、結城は見逃さなかった。
「待て!」
岩を躍り越え、追って走りながら叫ぶ。
「待つんだ、岩崎!」
勝負はあっけなくついた。結城の手が岩崎の手首を掴み、そのまま背へ捻り上げるように引き寄せて岩壁に胸から押しつける。
「……痛っ」
岩崎が顔をしかめて振り解こうとする。しかしその手は易々と力を緩めない。
「―――岩崎」
それは未だかつて岩崎が聞いた事もないような結城の声だった。岩崎の顔から血の気が引き、抗う腕から力が抜ける。
 それで結城は手を放し、岩崎の肩をとらえてまっすぐ自分に向き直らせた。
 岩崎の目が、結城の目と合うのを恐れて宙をさまよう。それは結城の疑念を裏づけるに充分だった。
(……やはり)
結城のまなざしが、暗く淀んだ。
「結城」
言いかけようとする岩崎を遮り、結城は低く尋ねた。
「どうして……風見をおびき出した」
一瞬の間があった。何故、というように岩崎の目が初めて結城を見つめ、その目の内に結城が全てを悟った事を読み取る。
「―――仕方がなかったんだ!」 半ば泣き出すような叫びが、岩場に響いた。
 結城は黙って、しかししっかりと岩崎の肩をとらえたままその目を覗き込んだ。そのまなざしに操られるように、岩崎は目を伏せたまま小さく呟いた。
「……ヨロイ元帥が、そうすれば見逃してやると……言う通りにしなければ殺すと……頼む、信じてくれ、結城!」
「最初から……僕に近づいたのも、その為だったのか?」
怯えたような岩崎の目が結城を見上げ、首がちぎれる程頭を振る。その死にものぐるいの否定に、結城の気持ちはふと哀しく和らいだ。
 これはきっと、本当なのだ。
「信じよう……それで、風見はどこだ」
びくり、と岩崎の身体が震えた。返事をせず、顔を横へそむけるのを顎を掴んでまっすぐに向き直らせ、じっと見つめて結城はもう一度、風見は、と尋ねた。
「……っ」
次の瞬間、岩崎が手負いの獣のように暴れて結城の手を振り切ろうとした。
 入り過ぎる右腕の力を抑えるのに結城に骨を折らせながらも、しかしその力は岩崎では振り払えない。それでも空しくもがきながら、岩崎は血を吐くように叫んだ。
「聞いたって……もう遅い、結城!もう僕にだって、どうにもならないんだ!」
「岩崎!」
結城の頬がさっと青ざめる。岩壁に押さえつけていた岩崎の両肩をぐっと引き寄せ、結城はきつく睨みつけた。
「どういう意味だ」
かすかに岩崎の唇が震える。幾度か言いかけて口をつぐみ、促すように結城の手に力を込められて、ようやくのろのろとその唇が動いた。
「脈拍爆弾だ……あの人の身体に、セットされている……」
「脈拍爆弾?」
結城には聞き覚えのない名前だった。
「人間の体内にセットして、時計の代わりに脈拍をカウンターに使う時限式の爆弾だ……僕が作ったんだ。開胸して取り出す以外、もう外から止める方法はない……」
すうっと頭から血が引いて、足から力が抜けかかる。しかし結城を支えたのは怒りだった。
「そんなものを……お前が風見の身体に埋め込んだのか?」
ためらいながら、岩崎はかすかに頷いた。
「僕は……僕は、怖かったんだ……少なくとも言われた通りにすれば、命は助かる……」
「馬鹿な……ヨロイ元帥がデストロンの裏切り者に約束を守るものか」
「じゃあ僕はどうすれば良かったんだ!」
不意に岩崎が結城を仰いで睨みつけた。その両眼には異様な光が溢れている。
「僕は生きたい……僕にはまだ生きて、研究したい事もやりたい事も沢山あるんだ!なのに君は僕を責めるのか?デストロンの裏切り者と呼ばれるなら、君だって僕と一緒じゃないか。君がもし、僕の立場になってみろ」
「―――僕が風見を、自分の為に裏切るとでも思うか」
結城は低く言った。
「ヨロイ元帥の口約束にお前がしがみつこうとするなら、好きにしろ……だが僕はデストロンがそんなに甘くない事を知っている。そしてもし、デストロンがお前を見逃したとしても」
そこで言葉を切り、つと上体をかがめて岩崎を見下ろすように構える。息を溜め、自分自身に言い聞かせるように、結城はゆっくりと呟いた。
「風見にもしもの事があれば、その時は僕がお前を許さない」
岩崎の唇が止まった。信じられない言葉をきいた、というように目が大きく見開かれる。
「……結城」
結城の手が岩崎の肩から離れた。
 そのままきびすを返し、結城は歩いていった。
(風見……)
コートの襟元を掴み、うつむき加減に顔を半ば埋めて。
(僕は……君を探さなくては)
たとえその身体に埋め込まれた爆弾が、いつ爆発するとも知れなくても。
(それが僕の責任だ……)
自分が岩崎を信じた為に引き起こされた結果である以上、その責任を負わなくてはならない。
 幾千という波光の照り返しに眩しげに目を細めながら、結城の足取りは揺るぎなかった。
(僕は君にとっては厄病神かもしれないが……少なくとも、僕にとる事のできる道はこれしかない)
結城の横顔に影を落としたのは、デストロンという組織にまつわるしがらみだったかもしれない。脱走し、更にデストロンと戦う身となった今ですら、その呪縛は未だ結城から去ってはいないのだ。現に今もこうしてデストロンであった頃の宿縁に縛られて歩いている自分を、どこか他人事のように見つめている自分を感じながら、結城の心から既に岩崎への怒りは消えている。
(君がもし、僕の立場になってみろ)
おそらくは自分の行動への負い目が言わせたあの言葉に、岩崎の後悔をみたように結城は思う。
 後悔しながらも抗えない岩崎の弱さと、それを庇う自分の動きまですべて計算の上でのヨロイ元帥の策にたぎる怒りこそあれ、結城にはもう岩崎を責める気にはなれなかった。
 しかしそれと同時に、やはり結城には岩崎を許す事もできない。もうデストロンへ戻れないように、その裏切りを知ってなお岩崎と歩く事はできないのだった。
 ぎゅっと握りしめた右の拳が、かすかに震えている。結城は黙って唇をかみ、歩を進めた。
 その時である。
「……結城っ」
半ば息をのむような岩崎の声に結城が思わず振り返ったのと、その声が次の瞬間耳をつんざいて轟く機関銃の銃声にかき消されたのとはほとんど同時だった。岩場から立ち上がったデストロン戦闘員の機関銃の銃弾を一斉に撃ち込まれ、岩崎の身体ははねるように岩場を転がった。
「岩崎!」
結城が走り寄るより早く、暗殺者達は姿を消していた。一瞬追いかけて思いとどまり、結城は急いで波打ち際へ下る岩場を降りていった。
 岩崎は頭を海へ向ける形で仰向けに倒れていた。幾発もの弾丸が食い入ったその身体には、あちこちにあかい大輪の華がひらいている。
「―――岩崎」
抱き起こすとその瞼が僅かに動いた。まだ息はある。しかしもう手の施しようがないのは明らかだった。
「……結城……」
血に汚れた手が震えながらよろよろと上がり、結城の顔を探るように触れた、目は開いているようだったが、もう結城を見てはいない。
「……君の……言う、とおりだったな……僕は……僕は、馬鹿だった……」
「岩崎!しっかりしろ、おい!」
無駄と知りつつ結城は叫んだ。愛おしむようにその頬に触れながら、岩崎の口元は微笑したようだった。
「…いい奴だなあ、君は……あの人、が、裏切るなっ…て」
岩崎の譫言は、結城には殆ど聞き取れなかった。しかし岩崎の脳裡には今、はっきりとあの時の光景が甦っている。
 あの鋼の光に似た透徹の瞳の内に、友人に裏切られている事を知らなかったこの青年への優しい思いがひそむ事を。そして結城も決して口には出さないが、あの一見冷たく見える程厳しい孤高の戦士へ深い信頼と、憧憬にも似た友情を寄せている事も、今にして岩崎には見えた気がしている。
 だから。
「……頼む……結城、あの人を……」
その声はほとんど息の内に消えかけていた。
「……あの人を、助けてくれ……」
「岩崎」
「……爆弾は……心臓の、すぐ…下だ……頼む……結城」
結城の頬から離れた手が苦しげに胸を掴みかけ、そしてそこで力尽きた。
「岩崎!」
結城の目が見開かれる。
 岩崎は息絶えていた。その表情には苦悶の影こそあったが、目は半ばひらかれたまま何かを考えているような、あどけない死顔だった。
「岩崎……」
既に答えのかえる筈もない重い身体を支えたまま、結城は呼びかけた。
 その最期に全てを悟り、許しひとつ請う事もなく死んでいったこの友人に、自分はついに優しい言葉ひとつかけてやれなかった、とぼんやり思う。戦う術を持たず、生き延びようとしながらも結局ヨロイ元帥の手駒のひとつとして操られるままに殺されなければならなかったそのかなしみに、結城はしばらくじっとその冷たくなっていく身体を抱き寄せていた。
(岩崎……安心して眠れ)
そっとその身体をなだらかな岩場に横たえ、着衣を整えてから静かに指を添えてその半眼を閉じさせる。
(約束しよう……お前の責任も、この僕が負う……僕の命に代えても、風見は助けてみせる)
そして感傷を振り切るように立ち上がり、結城は再び歩き出した。波光の眩しさに細めた目の端に、かすかに光るものがあるのを見ていたのは、時折高く飛沫をあげる海だけだった。




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