刻印の蠍(仮面ライダーV3)

「正義の横顔」(1991.12.29)初出(「回帰線」(2002.3.18)に再録)



     一 鬼子(おにご)

「―――もう少し右を向いて、…よし」
結城はピンセットに摘んだ脱脂綿を傍らの消毒液の壜に浸しながらひとりごちた。
「傷は大体塞がってきたな」
「だから大丈夫だと言った」
冬の陽光の下にくっきりと浮かび上がる端整な横顔が怒ったように言う。
 まっすぐ前を向いたその頭を後ろから押さえて消毒している手は、しかし有無を言わせぬ機械的な動作で仕事を続けた。
 風見は不機嫌である。元々怪我人扱いされるのをきらう性質なのだ。そんな風見をなだめるでもなく、結城も処置を終えると器具をケースにしまいこんで立ち上がった。
「…じゃ、帰る」
そして結城も口数は少なくなっている。ようやく最近見せるようになってきていた感情をその無表情の下に抑えこんだ横顔に、時おり暗い影がよぎるのを風見は横目に見ながらも返事はしなかった。その代わり椅子に座ったまま、今まで結城が調べていた髪の下の傷口を探る。側頭部のその傷を風見は自分で見る事はできないが、一日もあればたいていの傷は治る自分を知っているだけに、結城がわざわざ出向いてくるのが解せないところはあるのだった。
 すでに傷口も乾き始めているその傷を、風見が負ったのは四日程前の事である。
 結城を庇って頭に受けた銃弾は、風見のエネルギーを奪うバタル弾という特殊弾丸だった。
 その為に失調した体機能と、弾丸を摘出したとはいえその身体に及ぼした影響を、責任を感じている結城は案じているのかもしれなかったが。
 しかしそれでいてふっと他の事を考えているような、遠い目をするのは何故なのか。その一種思いつめるようなまなざしは、風見を不快にする。
(…まるで一人で戦っていた時みたいな目をしやがって…)
背中にドアの閉まる音がした。結城が出ていったらしい。
(気にいらんな…)
唇の端を曲げ、その切れ長な目を険しく細めて窓の向こうを見やる。
 窓の外は雪だった。

 結城は玄関を出たところで立ち止まり、空を仰いだ。
(雪か…)
昼を少し過ぎたばかりの空は厚い雲に覆われながらも変にあかるい。吸い込むと肺のいたくなるような冷気の内を、細かい雪がせわしく舞い降りてくる。
 まだ降り始めたばかりだが、結城の足元にはうっすらと白く氷の結晶がふいている。
(積もるな、これは…)
コートの襟をたて、思いきってその内へ歩き出そうとした、その時である。
 目の前へ、空からどさりと投げ落とされるように降ってきたそれは、結城には最初大きな黒い鳥のようにも見えた。
「―――貸してやる」
頭上からかけられた声をきいて、結城はその黒い傘を拾うと二階の窓を見上げた。
 風見が窓枠に片肘をおいて、結城を見ていた。顎を少し上げ加減に目を細め、見下ろす表情はまだ機嫌が良くない事を如実に物語っている。
「風見…」
「気が向いたら返しに来い」
風見は素っ気なく言った。
 結城は傘を下へ向けてひらいた。かすかに―――泣くとも笑うともつかない複雑な表情が一瞬、その横顔をよぎった。
「…ありがとう」
ぎこちなく笑顔をつくって風見を振仰ぎ、傘をさす。そのままゆっくり歩いていくコートの背中を、風見はしばらく気のない風に眺めていたが、やがて傘が角を曲がって見えなくなると、やはり気にいらない、というように肩をそびやかして窓を閉めた。
 結城は薄く積もった雪を踏む自分の足音をききながら歩いていた。
 考えているのは、もう二日前からずっと同じ事である。片手に傘と荷物を持ち、コートのポケットにつっこんだもう片手の指先にあたる硬い金属の感触を確かめながら、結城は何度考えても同じ結論に行き着いてしまう自分を茫然と眺める。
(…やはり…)
そしてもし自分の想像が間違っていないなら、始末は自分の手でつけなくては、とも思う。
 ふと足が止まった。
 その場に荷物と傘を下ろし、しばらく考えてからポケットの中身を掴み出し、掌に広げる。
 流線形のフォルムが、鈍い金属の光沢を添わせて妖しくきらめいた。
 風見の頭から抜き取ったバタル弾である。
(改造人間の神経に作用してその力の抑制を失わせ…そしてその臨界点に達した時にエネルギーの吸収を始める…)
結城の表情が曇った。幾度かためらうように手のひらで弄び、意を決して右手の親指に力をこめる。機械仕掛けの手のもつ全ての力をこめてぐっと握り潰すと、その指の間から血と見まごう程のあかい液体がどろりとしたたって雪を染めた。
「……」
結城は手を広げた。弾丸の破片をあかく汚しているその液体を指先につけ、じっと見つめる。バタル弾の内を満たしていたもの―――いわばバタル弾の本体とも呼ぶべきその紅をおそれげもなくためつすがめつする結城の目には、風見の知らない光が戻り始めている。
「…ゼフィア三〇…」
知らずその名が呟かれた。
 するとまるでそれが解放の呪文でもあったかのように、その紅の記憶が甦り始める―――結城の逃れ得ない、その過去の内に。
 神経高揚試験薬番号三三〇、通称ゼフィア三〇。デストロンで開発されたその美しい色の薬剤は投与により神経を刺激し、通常時の数倍の筋力を引き出すが、反面で被験者を極度の昂奮状態に陥れる危険性をもつ。
 そして更にゼフィア三〇のもつもう一つの特性―――それは結城しか知らない秘密の筈だった。ゼフィア三〇は常温では投与量に比例する反応を生じた後は分解される無害な薬品だが、ある温度を越えると反応時に再生熱が発生し、周囲の熱を吸収して果てしない分解と生成を繰り返し始める。
 言い換えれば。
 普通の人間を越える運動能力をもつ改造人間にゼフィア三〇を投与したとき。
(…昂奮状態によって引き出される力の制御不能…そしてその機能の臨界点である戦闘体へ変身した時、その熱量は一気に安定温度を越す…ゼフィア三〇はその瞬間から風見のエネルギーを熱のかたちで吸収し、無限の暴走を続ける…その生命尽きるまでエネルギーを食い続けていく悪魔と化してだ…)
結城は身震いするような寒気に唇をかんだ。
(デストロンめ…)
どこかで予測していた事ではあった。おそらくは風見に、その身に起きた症状を聞かされた時から。
 何故ならば、未だ不完全な為―――そしてあまりに危険なその特性ゆえに研究室からのゼフィア三〇の持ち出しを禁じたのは結城本人だったのだ。ある偶然からゼフィア三〇を造りだしてしまった外ならぬその開発責任者として。
 結城の右手の上で、じゃり、と弾丸の破片が触れあって音をたてた。聞くまい、と固く握りしめた拳の隙間からつたう深紅の滴りは、はたから見れば血の流れるように見えたかもしれない。たとえ切り刻んだところで一滴の血も滲まないその機械仕掛けの右手を染める赤さに、かすかに結城は苦笑する。
(僕の造りだしたものが…)
もしくは、その皮肉さゆえにか。
(ひとつは僕自らの戦う武器となり、ひとつは世界を救おうとするものを苦しめる…)
道は違っても、どちらも結城の望んだ行く末ではない。
 鬼子。
 不意にそんな言葉が脳裏をかすめた。
 もはやどちらも結城の思うような使い方をされる事はないならば、それは確かに、結城にとって鬼子と呼ぶのが似つかわしいかもしれなかった。
 かすかに身震いし、それを抑えようと左手で右腕を探る。
(…だが僕の意志をはなれて、暴走していくものも確かに僕が造りだしたものだ…ならば)
静かに、天を仰ぐ。
(僕のこの手で、地上から消し去る…)



     二 無限回廊

 風見は不機嫌そうにソファにもたれていた。
「…お前な、そんな景気悪い顔してるとこっちまでうつりそうだ。いい加減にしないか」
そして不幸なのは、珍しい事とはいえ純子が留守の為に少年ライダー隊本部から離れる事ができず、そんな風見につきあわされている立花である。
「…おやっさん」
来訪して二時間、ずっと黙って考えこんでいた座る不機嫌が、ようやく口をひらいた。
「ん?」
「結城は…」
言いかけて、再び考える。
 あの時は、全く気にかけていなかった。風見にしてもそんな余裕などなかったとも言えるが。
(…苦しまねばならないのは、私のほうだ…)
その結城の言葉が、風見の頭からはなれない。ことばの重みの割に、変に浮いていた口調。そしてあの時から、何かを考えているような暗い表情が結城の横顔には在ったようにも、風見は思う。
「…どうして、俺の頭の弾丸を抜く事ができたんですかね…」
自分が何を言いたいのか解らないながらも、風見はおそるおそる呟いた。
(俺は…何か言ってはいけない事を、言おうとしている…)
「…志郎」
立花は不意に真面目な顔になった。
「お前が何を考えてるのか、俺には解らんが」
「…俺にだって解りませんよ」
見上げる風見を手で制して、立花は向かいに腰を下ろした。
「ただ、なあ…志郎、俺がこんな事を言うのはおかど違いってもんだろうが、そいつぁもうあんまり、考えない方がいいぞ」
パイプに火をいれて、ゆっくりとくゆらす。立ち上る紫煙を細めた目で追いながら、立花は独り言のように呟いた。
「こういう言い方は好きじゃあないが、真実だけがいつも正しいとは限らん…世の中、黙って土の下に埋めちまったほうがいい事だって、いくらもあるってこった…」
言いながら、しかし立花はその言葉が無駄になる事を知っている。
 目の前に座っている鋭い瞳をした青年と。そして時折妙な程ひたむきな目を見せながらも、どこか気後れしているように距離をおいてそれ以上は決して近づいてこないあの青年科学者と。まるでタイプは違うものの、共通するのは相手も自分も傷つける事をも辞さないまっすぐさである。正義ゆえに、あるいはその負い目ゆえに、破局を予感しながらも真実を望もうとするその若さを立花は危ぶみながらも、自分に止める事はできないとも思う。
 立花を見つめる風見のまなざしは、どこまでも強く揺るぎない光をたたえている。

 結城は三日前に風見と潜入したデストロンのアジトのすぐ近くまで来ていた。
(もうとっくに引き払ったと思っていたが…)
地下駐車場の狭くいりくんだ径を歩く内、壁に偽装した隠し扉に行き当たる。
 動くものの気配はなかったが、結城は息を殺しながら歩を進めた。かすかな光と、デストロンとしての記憶を頼りに、ゆっくりと動く。もともとデストロンのアジトは、基本的には似た構造の事が多いのだ。幾度か扉を開け、ほどなく結城は目的の場所を見つけだした。
 室内灯は消えていたが、廊下からはいる僅かな光が机上のフラスコや試験管を照らす。実験室である。
 時期的にみて、バタル弾に使われたゼフィア三〇は結城が研究用に作りおいて隠してあったものと思っていい。そしておそらく、デストロンは結城が脱走する時に残してきてしまったゼフィア三〇の生成法のファイルを元に、その大量生産を目論んでいる筈だ。そのファイルだけではデストロンにゼフィア三〇を生成する事はできまい、という確信はあったが、それを処分しない限り完全に禍根を絶った事にはならない。その為に、結城はここへやってきたのだった。
(…まだこのアジトが使われているなら、ファイルもここにある筈だ)
部屋に踏み入ろう、とした結城の足が止まった。
 誰かが闇の内に息をひそめている。
「―――誰だ」
結城はまっすぐ戸口に立ち、低く尋ねた。
 そしてそれに返ったのは、なお低い含み笑いだった。
「誰だ、とは御挨拶な…しばらく会わぬ内に、すっかり正義の味方気取りが身についたものだな」
ゆっくりと闇の内に立ち上がる黒衣の長身が、少しずつ暗さに慣れてきた結城の目に映る。わずかにつめたくひかる眼鏡の奥の細い目と、どことなく日本人ばなれしたものを思わせる彫りの深い細面の顔だちは、確かに結城の知っているものだった。
「…永田…いや」
しかしもしこの場にあの少女がいれば、おそらくはまた別の反応を見せた筈である。そして結城の目も、その長身の後ろに、異形のものの影を見ている。
「そうか、貴様がカメレオンだったのか…」
「わからなかったか?」
口辺を上げて微笑をつくる。しかしその目は笑っていない。
「せっかくお前にも解るように、お前の作品を使ってみせたというのに」
「―――永田」
部屋の内へ一歩踏み込んで、結城はまなざしを厳しくした。
「…そうか…やはり貴様が、あれを…」
「そうとも」
肩をそびやかして、永田は黒い上着の懐から小型のファイルを抜き出した。向けられる結城の視線の険しさを小気味良げに眺めながら、そのままぱらぱらと頁を繰る。
「…そしてお前がここにやってきたのもこれが目的だろう。違うか?お前が残していったゼフィア三〇のファイルだ。きっと取り戻しに来ると思っていたぞ…」
「僕は取り戻しに来たのではない」
結城は永田を―――かつてのデストロン科学者グループの同僚をまっすぐに見据えた。
「ゼフィア三〇を、この世から抹殺する為に来た。永田、もしお前が邪魔だてすると言うなら」
「私と戦おうと言うのか?」
永田は笑った。
「良かろう…お前が出向いてこないなら、どのみちこちらから行くつもりだった。このファイルの欠落部分の為に、どうしても我々にはゼフィア三〇が造り出せんのだ。おおかたお前のことだ、ファイルに細工して読み取る方法を隠したに違いない…どうだ、違うか?」
それに対する答えは、厳しい表情の内に一瞬よぎったかすかな微笑だった。結城が、デストロンには新たにゼフィア三〇を造り出せないとふんだ理由である。
 ゼフィア三〇を造り出しながら、その危険性に気づいた結城は悪用を恐れてその持ち出しを禁じただけでなく、生成法をもまた封印した。生成法を記したファイルの内でも最も重要な工程に関しては特殊インクで書き込まれており、それを読み取るにはある波長の偏光スキャナを通さなくてはならない。そしてその波長の数値を知っているのは、この世で結城ただ一人である。
(残してきたゼフィア三〇はごく少量…おそらくもう使い切っているだろう。ゼフィア三〇がなければ、バタル弾は作れない。その鍵を握っているのは僕だ…)
「ゼフィア三〇は素晴らしい…」
永田の声はどこか陶然と響いた。
「まさにデストロンに相応しい、悪魔の発明だ。どうあってもお前から解読法を聞き出し、今度こそ風見志郎を葬ってくれる。その為に私はお前の来るのを待っていたのだ」
「やれるものならやってみるがいい」
結城は拳を固めた。
 ゆっくりとした仕草でファイルを机に置きながら、永田はいかにも離れがたい、といった風情でその表紙に指を滑らせた。そのまま静かに結城に転じられた目が一瞬針のように細められた、と見る間もなく、数メートルの間を瞬時につめて手刀がくり出される。とっさにとびすさって躱しながら、結城は背にどっと汗がふくのを感じた。
(速い…!)
「どうした、顔色が悪いぞ」
その口辺に微笑すら浮かべながら、永田は間髪入れず次の攻撃を仕掛けてくる。その速さは、かつて結城が知っていた永田の動きとは別人のようだった。
「私はずっと前から、こんな日が来るのを待っていたよ、結城…」
頭上から降り下ろされる一撃を腕を交差させて受け止め、はねかえす勢いにのせた結城の蹴りは永田の脇腹にはいっている。しかし二、三歩よろめきながらも永田の表情は少しも変わらない。
「撃ち込まれたバタル弾を楯に聞き出そうなど、なんの面白みもない…真正面から、お前を叩き伏せるのでなくてはな。その為に少年ライダー隊本部に情報を流してやったら、案の定だ風見志郎がのこのことお前を庇いだてに現れてくれた」
「…何」
結城の表情が凍った。
「永田…貴様、最初から…」
「その通りよ!」
あっと思う間もなく目前に永田の拳が迫っていた。そのまま壁に叩きつけられ、かろうじて倒れ込む事だけはこらえた結城の耳に、永田の哄笑が届いた。
「意気がるなよ、結城…確かにかつては功績も腕もお前には及ばなかった私だが、しかし今は逆な
のだ…」
きっと振仰ぐ、そのきつい瞳を面白そうに見据えながら、永田は言葉を継いだ。
「どうした、ライダーマンに変身してみるか?もっともライダーマンになったところで、今のお前には勝ち目などありはしないのだ。たかだか片腕を改造した程度のお前ではな…」
「黙れ!」
結城の拳を軽く首を振って躱し、永田は唇の端を歪めて笑った。
「所詮貴様は戦うには不完全すぎる…いいか貴様が戦い続ける限り、風見志郎は貴様を気にかけながら戦う事になるのだ。生身の身体に執着するばかりに奴の足手纏いになる己を、気づいていない訳ではあるまい?」
息ひとつ乱さずに話しながら、右、左と永田の攻撃がくり出される。かろうじて躱し続ける結城の足取りが、はっと止まった。間を入れず、その腹に永田の足先が食い入る。
「……っ」
身体をひねってどうやら鳩尾は避けたものの、痛みに一瞬、膝から力が抜けた。
「不様だな。結城…」
そんな結城を冷ややかに見下ろしながら、永田の口調は乾いている。
「お前を叩きのめす事を昔から夢みてきた…お前がデストロンから脱走した今、ようやく私は大手を振ってそれをかなえられるという訳だ。その為に得たこの力を、見るがいい!」
振り下ろされた腕は、しかし途中で食い止められた。
「―――その為に」
止めた右腕に力をこめ、じりじりと押し返しながら結城は言葉を絞り出した。
「その為に…貴様は科学者の誇りを捨てたのか?」
膝をたて、右腕に左腕を下からつけてぐいと押しざま、勢いよく足を水平にはらう。足をすくわれた形になった永田が体勢を立て直そうとするその僅かな間に結城は身体を起こし、拳をくり出していた。
「科学者である事を、あれ程誇りにしていた貴様が…ヨロイ元帥の下で戦うだけの改造人間に成り下がってまで…」
叫ぶように吐き出される言葉と共に、力をこめた結城の拳が二度、三度と永田をとらえる。怒りとも悲しみともつかない感情につき動かされて拳をふるう結城はその時、デストロン科学者グループリーダーと呼ばれていた頃の瞳をしていた。半ば茫然とその攻撃を受けていた永田がそれに気づく。
「…その言葉」
腕を振って結城の拳をはらい、永田は暗い喜悦の笑みを浮かべた。
「風見志郎に聞かせてやりたいものだな!」
「…!」
結城の目から殺気が消える。その隙を、永田は見逃さなかった。宙を泳ぐ結城の右拳を掴んで捻じ上げざま引き寄せ、そのまま倒れ込んでくる結城の首にもう一方の腕を回して捕らえる。
「……っ」
腕の内でもがく結城の首を締めつけながら、永田はその耳元に低く囁いた。
「さて、茶番は終わりだ…喋ってもらおうか、ファイルの解読法を…」
「誰が」
結城は呻いた。
「誰が…貴様らになど…」
「いつまでその強がりが続くかな」
永田は静かに呟くと、彼にしか解らない体内の回路を切り替えた。
「結城…裏切ったとはいえ、お前はデストロンの科学者だ…」
みるみるうちにその姿は、デストロン怪人カメレオンに変じていく。
「その作品が仮面ライダーV3を倒す為に使われれば本望ではないか?そうすればお前の裏切りの、多少は埋め合わせもつこうと言うものだ…」
改造人間の力をこめられて、がくん、と結城の顎が跳ね上がった。
「…それともこの場で絞め殺されたいか」
「く……」
いたぶるようにじりじりと入ってくる力に、息が通らない。カメレオンの腕を引き剥がそうとたてる左手の指も、空しくその表皮に爪痕を残すだけである。
「いっそこの手で改造してやるというのも面白いかもしれんな」
楽しげに喋りながら、カメレオンのひらたい瞳の内にはその時、どこか自嘲するようなかなしい色が見えた。それは誰に向けられるものでもなく、むしろそんな目をした事を恥じるように一層腕に力をこめる。
「私はこの姿を後悔などしないよ、結城…」
話しかけている永田の声は、しかしもうほとんど結城の耳には入っていない。頭の内一杯に血の流れが熱く重く脈うっている。手の先が冷たく、力が入らなかった。
「…科学者グループの連中が実験動物を見るような目で見ようと、お前に成り下がり呼ばわりされようと、改造人間は人間より優れた力をもって、いつか人間供を、この世界を支配する…結城、改造手術を受けていればとうに幹部になっていた筈のお前だ。改造人間を嫌うお前が、目が覚めて自分が改造人間になっているのに気づいたら、一体お前はどうするだろうね?」
その時である。
「―――とう!」
暗闇をついて、飛鳥のように一つの影がカメレオンにおどりかかった。
 白いマフラーがひらめき、カメレオンの頭にきれいに蹴りがきまる。その拍子に弛んだカメレオンの腕を振り解いて、結城は転がるようにそのマフラーの下をくぐって向こう側へ逃れた。そのまま背中を丸めて激しく咳き込む。
「…貴様」
カメレオンが体勢を立て直して唸るように呟く。
 その頃ようやく結城は息をつき、振仰ぐ事ができた。
 闇の中、浮かぶのはたてた襟とマフラーの光るような白さである。赤い仮面はまっすぐにカメレオンへ向けられて微動だにしない。
「―――V3!」
結城が叫ぶのにも、その大きな両の緑の複眼は何の揺らぎも見せなかった。
 仮面ライダーV3は無言のまま、カメレオンとの間合いをはかっている。その横顔は全ての感情を仮面の下に押し込め、影をひそませてなお無表情である。
「貴様まで出てくるとは好都合…バタル弾の力など借りずとも、この場で葬ってくれるわ!」
先に動いたのはカメレオンだった。その拳を、身体をひねってかわしたV3の蹴りも、しかし浅い。なお数合わたりあう内に、その動きのあるかなきかの鈍さに気づいて結城はふと眉を寄せた。
(傷のせいか…それとも…?)
全体的には攻勢に見えながらも、その動作にはどこかいつもの冴えが欠けているように見える。数はあたっている筈だが、その割にカメレオンにダメージが見えないのもその為だろう。
 しかしその時結城の心を占めていたのは、全く別の事だった。カメレオンの注意は、今や完全にV3に向けられている。そしてゼフィア三〇の生成法のファイルは、結城の目の前の机の上にあった。
「…おっ」
カメレオンがようやく気づいた時、結城はファイルをその手におさめていた。慌ただしく懐からライターを抜き、ファイルに近づける。
「待て、結城!」
V3の拳を左腕で受け止めながら、カメレオンが首を捻って結城を制した。
「…貴様がそのファイルに火をつけるなら、こちらにも考えがあるぞ」
結城はカメレオンを見た。
「V3は知るまい…」
焦らすような、底意地の悪い光がその大きな眼に宿った。
「…貴様が何の為に、ここへやってきたのかをな」
「それで僕を脅しているつもりか」
結城の声は静かだった。その頬に浮かんだ微笑は、あるいはある種の諦念だったかもしれない。
「ならばそれが脅しにならない事を教えてやろう。…V3!」
なおも拳に力をこめてそのまま突き伏せようとしながら視線を上げたV3に、結城はまっすぐ、しかし寂しげなまなざしを向けた。
(…これで僕は、永久に君の信頼を失ってしまうだろうが…)
そんなためらいを振り切るように、声を張り上げる。
「聞け、V3…僕はこのファイルを処分する為に、ここに来た…このファイルに製法が記されているゼフィア三〇という薬品は、バタル弾の核になる」
(だがそれでも、僕は…僕自身で、君に伝えなければ…)
「バタル弾だ…覚えているな?君から、君の身体に起きた症状を聞いた時から、僕はその正体を知っていた。だが、君に黙っていたのは…」
息を吸い込んで、目を閉じる。
(それがせめてもの、僕から君への誠実の証だ…)
「…このゼフィア三〇は、僕がデストロンに居た頃に造り出したものだったからだ。だから僕がこのファイルを焼き捨てれば、デストロンはバタル弾を造る事はできなくなる…永久にだ」
V3はじっと結城を見つめている。その仮面からはどんな表情も、読み取る事はできなかった。
 ぱちり、とライターが火を灯して、結城の横顔を照らした。
「…君には迷惑をかけた…すまないと、思っている。本来なら苦しむのは…」
ゆっくりと、目を開けて。それはおそらく仮面ライダーV3が初めて見る、もう一つの結城丈二の顔だった。
「…苦しむのは、私のほうだった…」
近づけた火がほどなくファイルに燃えうつる。そして結城が手を放すと、床に落ちたファイルはひらひらと薄い紙片を踊らせながら炎につつまれた。
「…!」
カメレオンが一瞬、何とも形容のしがたい表情で振り向いた。その隙を、V3が逃す筈がない。
「V3キック!」
狭い室内のこと、多少抑えはしたが、きれいにV3の必殺技の一つがカメレオンにきまった。
「…お…おお…お…」
頭をおさえてのたうつカメレオンの身体が透明になり、またすうっと出現する。どうやら体色を変える機能が狂い始めてきたらしい。
「…おのれV3…今日のところは、引き下がってやるが…次に会う時が…貴様の最期と思え…」
どうと床に倒れ伏したカメレオンの皮膚の色が、ぼんやりと薄まって闇と同化していく。死んではいない―――姿を消して、逃げのびようとしている。
「…逃さんっ」
しかし闇の内では影もできない。V3はその持てる超感覚の全てを研ぎすましたが、既にその気配は消え去っていた。
 結城の足元からはうす青い煙が立ち上っている。そしてその煙を唇をかみしめて見据えている結城も、まだ闇の内へ表情を映さないまなざしをじっと向けているV3も、ずっと黙り続けていた。



     三 雪中迷行

 鉛色の空から、雪は降り続いて止むことを知らない。
 風見はその中を、ゆっくりとした足取りでただ歩いていた。傘をもたないその肩に、髪に、粉雪混じりの風が容赦なく吹きつけている。その冷たさをこらえるように目を細めながら、その瞳の奥には潤むように淀む光があった。
 如何に雪が降りかかろうと、風見は何時間でも歩いていける。
 どこへ向かって歩いている訳でもなかった。ただ、もしかすると自分がどこまでも歩いていける事を確かめたかったのかもしれない。その肌が雪と同じ冷たさになっても、なお揺るぎなく歩き続けられる事を。それだけの力を、自分は持ってしまっている事を。
 人間の身体では耐えられないどんな環境にあっても、きっと自分は動けるのだろうと風見は思う。もう既に、生身の身体を殆ど残していない自分ならば。
 人間の身体ならぬ身となる事を、それが自分の為だけであるならば誰が望もう。それは正しい。だが。
(…誰が後悔などするか…)
何故なら風見は自らの意志を通して、改造人間と―――両親と妹の仇であるデストロンと戦うただ一人の戦士となる事を選んだのだったから。私怨を消し、人類を守る事をその使命と思い定めた今も、その意志には一点の曇りもない。
(人間でないと言われようと…誰に理解されなくてもだ…)
改造人間の孤独は、風見が生き続ける限りその背にまとわりついていく。それはもとより承知の上である。どんなに理解しようと努力したところで―――よしんば理解はできても、その生理的な拒否反応を消せないのは彼の責任ではない。
 きっと唇を結び、空を見上げる。細かな雪の乱れ舞うのを仰いでいる内に、いつか空に吸い込まれるような浮遊感にとらわれて、風見は深く息をついた。かすかにかなしい光がその瞳に浮かぶのを抑えるように、腕を上げて二の腕で瞼を圧する。その上着の袖にも、雪が白く吹きとどまった。誰一人続く後もない一本道の、遠くからまっすぐ続いている風見の足跡も、やがてこの雪がきれいに消してくれる筈である。
 風見は息をつめて腕を下ろし、再び歩き出そうとした。
「…」
しかしその足は止まっている。
 風見の視線の先へ、やがて重い足取りで歩いてくる人影があった。傘に顔を隠すようにして、いくらか上体をかがめ加減にしながら一歩一歩、しっかり踏み締めてやってくる。
 風見は黙って、自分の傘が近づいてくるのを待っていた。
 さくり…と、雪を踏む音が止まった。
「…」
僅かに傘の先が上がる。その下から風見を見つめる結城の目が、一瞬ふっと感情を映したように揺らいで、それからどこか昏い光に定まった。
「…すまなかった」
呟く声が、風見の耳に届く。
「…お前は何も俺に謝るような事はしていない…」
しかし風見の目は結城の肩をかすめて向こう側へ注がれている。それに気づいて目を伏せる結城の耳に、なおも風見の声が届いた。
「俺は改造人間だから…仲間を守るのは当然だ」
「…まだ僕を仲間と呼んでくれるんだな」
かすかにほっとしたように視線を上げながらも、結城にも風見をまっすぐ見る事はできない。
(…貴様が戦い続ける限り、風見志郎は貴様を気にかけながら戦う事になるのだ。生身の身体に執着するばかりに奴の足手纏いになる己を、気づいていない訳ではあるまい?)
永田の声が、その耳奥に甦る。
 結城は気づいている―――風見が自分を庇ってバタル弾を受けた、多分それよりもっと前から。まだ自分が、自分一人の力でデストロンと渡り合えると思っていた頃から、風見が自分を気遣い続けていた事も、今の結城には解っているのだった。
「だが、風見…」
だからせめて自分から言い出さなくては、と結城は思う。
「僕はやはり、一人でいる方が性に合うようだ…」
独白のように呟く内、結城の目にはいつしか脱走直後の孤独な復讐者の色が戻り始める。
(僕が風見と行動を共にする限り、デストロンは僕を庇おうとする風見を狙い続けるだろう…僕が今も、デストロンにとらわれている事を見せつけながら…)
「…結城」
制しようとする風見の声を首を振ってはらい、結城はひどく自嘲的な笑みを浮かべた。
「君が君のやりかたで戦うように、僕には僕の戦いかたがある…」
デストロンという悪の組織に与していたことを、その非道を悟って戦う事で償えると思っていた。だが結城は今、それが幻影に過ぎない事を知っている。戦う程に見せつけられていく、その自分の過去に負う傷はせめて自分一人で受けよう、と思った。
「君は僕とは違う…正真正銘の、正義の味方だ」
(離れて戦う方が風見にも僕にも楽ならば…それを解き放つのは僕の役目だ…)
「僕とは違う」
自分に言い聞かせるように、繰り返す。
 風見が自分のせいで傷つくのは結城にとっても苦しい事には違いない。しかしもっと苦しいのは、そんな自分を見つめ続ける事かもしれなかった。生身の部分をより多く持つがゆえに劣る戦闘力と、そして自分がどこまでも正義の味方に成り得ない事を思い知らされる事が、結城の誇りを傷つける。揺るぎない正義の体現者として立つ風見と共にある限り、結城はその後ろめたさから解放される事はないのだ。
「結城」
ふっと思いきったように、風見がまっすぐ結城の目を見据えた。
「…」
しかし見つめ返す、結城のまなざしが問いかける。
 それでも君に僕の気持ちは解るまい、と。
 その瞳は昏く、どこか頑に全ての思いを寄せつけまい、と決意しているようでもある。他人の顔色を伺うなどついぞした事もない風見が、しかし訳もなく言葉を失くしたのは、あるいはその瞳にこもる明らかな拒絶の色に、違う感情を想起してしまったためかもしれない。
 自分のこころさえ見えなくなる程、目眩のするような細かくひらめく雪に吹きつけられて。
 差し出された傘を受け取ったのが果たして本当に自分の手だったのか、風見はついにはっきりと思い出す事はなかった。
 思いを振り切って視線を逸らし、うつむき加減に遠くを見る結城が自分の横をすれ違って歩いていくのを、風見はどこか幻のように見ている。さくり…さくり、と雪を踏むその足音が少しずつ遠ざかっていくのをききながら、風見は何故自分は振り返らないのか、とぼんやりと考えていた。
 今呼び止めなければ自分はもう結城と共に戦う事はないのではないか、という妙に予感めいた思いにとらわれながらも、しかしただ黙って、その小さくなっていく足音を身体じゅうの神経できく。傘を掴む手に力をこめて、そのゆっくりと―――しかしためらいなく去っていく足音を、息を殺しながらその人並みはずれた感覚の限界まで研ぎすまして、風見はじっときいていた。
 どろりと重くたれこめる灰色の雲から、皮肉な程軽やかに雪は降りしきる。
 やがて静寂の内に立ち尽くす風見の足元を雪が埋め、全ての痕跡を消して風見の来た道も行こうとする道もその一切を目の眩むような白に帰する頃。

 傘は風見の手を静かにはなれ、昏い空に舞った。



                                <完>


   








最初にこの話を載せた「正義の横顔」の各章前書きでは「共に戦う、と見えていたにもかかわらず、第五十話で結城さんは黙って風見さんのそばを行き過ぎていく」と書いています。少年には笑顔を向けながらも無言で去っていく結城さんと、その背中を見送る風見さんの、ここに至っての奇妙な距離感がどうしても心から離れなくて書いた話でした。

そして「十二月二十八日Version.0」の前書きにも書きましたが、結城さんの行動の動機付けが全く一緒ですみません。
しかもこの「デストロン時代の結城さんの忘れ物」設定は自分でも結構好きなので、小道具や展開を微妙に変えつつこの後に書いた話でも時々使っています。
更にすみません。

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