配達された三通の手紙(仮面ライダーZX(TV版準拠))

「春風は海を渡る」(1999.8.15)初出(「回帰線」(2002.3.18)に再録)



     一通目の手紙

 吐く息と混ざって、視界を白ませるのは雲である。
 村を出て空を見上げた時はそれ程でもないと思ったのだが、山道を登ってくる内にどんどん気圧が下がってくるのを少年は耳の奥で感じていた。
 どうやら思ったより早く天気が荒れてくる。とはいえ引き返す程でないのも、まだ十数年の人生ではあったが、既に経験で知っていた。行って戻ってくるだけなら充分だ。そう思いながら足を速めると、空も足元の岩場も灰青色に霞む景色の中に、やがて遠くオレンジ色の灯火が透けてきた。
 よくもこんなところにわざわざ外国から来て住もうとするよな、と彼は湿った背負子を背に揺すり直して呪詛とも嘆きともつかない溜息をつく。
 この山の中腹にある少年の村は、何でも人間が住める限界に近い高さにあるらしい。半年ほど前に、ものものしい機械と一緒に外国からやって来た人々が言っていたのを、またちらりと思い出した。
 丸々と服を着込み、自分達の日常を不躾にレンズで追っていた彼らは、しきりに手頃な相手である少年をかまったものだった。
(大変だと思わないか?)
彼らの言いたい事は解っている。自動車の入れない道、電気も水道もない生活が、山の下に住む人間から見れば不便に映るのが解らない程、自分達も世界から孤立して生きている訳ではなかった。だがそれに良いも悪いもない。自分はこの土地に生まれ、多分一生この村で暮らすだろう。独り立ちしたら山を下りて都会で暮らしたい、と言う友人も居るが、それには反対も同意もしなかった。
 友人が悪し様に言う程、この土地が悪いところだとも思ってはいない。外国からわざわざやってきて、もう何年も前に亡くなった村の変わり者が建てた廃屋を補修して住もうとする人間が居る位ではないか。
 そう言えばあの灯火の下に住み着いたのもあのTV局と同じ国の人間ではなかったか、と少年はぼんやりと思う。
 岩場と同じ色にくすんだ小屋に辿り着いた頃には、雲もいよいよ濃くなってきた。少年はふと思い出して懐に収めた薄い手触りを確かめ、それから扉を叩いた。
『ミスター』
呼び掛けるとほどなく、扉が開いた。
『やあ』
外国人の年はただでさえ判りにくいが、表情の乏しい面ざしは雪焼けして一層無表情に見えた。写真を撮る為にしばらく滞在するのだと言い、一週間に一度、必要な物資を運んで貰うよう少年の家と契約を結んだこの青年は、確かに山には不馴れらしかった。
『いつ晴れるかな』
『当分無理だと思うよ』
だがそれにしては、何故この人は自分達と変わらない普通の服装なのだろう―――などと思ったりもする。
『これ、いつもの。あと手紙が来てたよ』
『ああ、ありがとう。…切手要るかい』
少年はぎこちない笑顔を浮かべた。珍しい外国の切手に興味を引かれているのを口にした覚えはなかったが、実際ささやかな配達の楽しみでもあった。
 村雨良もあるかなきかの微笑を浮かべて、切手を切り抜こうと鋏を手に取った。

 しかし封筒の中身が良の手に取られたのは、その日も夜半の事である。窓の外は細かな雪が吹き荒れ、時折獣の遠吠えにも似た風の音が岩場を駆け抜けた。少年の言ったように、どうやら今晩も雲の切れる見込みはなさそうだった。
 良がこの人里離れた高山に住み着いて三ヶ月になる。
 この地方で最近UFOが頻繁に目撃されると聞いてやってきたのだが、季節柄もあってかなかなか天候に恵まれず、思いもかけない長期の滞在になっていた。
 晴れ間を待つ間の習慣になっている機材の手入れをしながら、まだ自分はUFOを追おうとしているのだな、とふと自嘲的な笑みは浮かんだりもする。
 元はと言えば、これが自分のもうひとつの運命を決したようなものだと言うのに。
 それは何年も経った今でも、少しも薄れる事のない記憶である。
 あの日も、彼はUPIの特約記者だった姉の助手として、アマゾンの奥地にUFOの噂を追っていた。それが悪魔の組織バダンの秘密に係わるものなどとは知る由もなく。
 もっとも、何も知らなかったのは自分だけだったのだ―――と良が知るのはずっと後の事になる。姉はバダンの存在を知り、その秘密に係わる文書を信頼のおける知己である一条博士に託していた。UFOを追っているだけだと思っていたのは自分だけで、姉は自分達が追っているのが何者であるのか承知の上だったのだろうと、今にして思う。
 しかしバダンにも、姉の存在は知られていた。
 現れたバダンの飛行艇に二人は拉致され、姉は即座に殺された。その処刑を目の当たりにした良は命こそ奪われなかったものの、バダンのパーフェクトサイボーグに改造された。そしてその辺りの記憶は、細かく思い出そうとすればする程、あやふやに遠のいた。おそらくは洗脳されていた為なのだろう。
 過去を消されて、バダンの為に働いていたのがどれ位の時間だったのかも定かではないが、偶然の事故で自我を取り戻した彼はバダンを脱走して故国へ戻った。しかしそこで良は、姉が文書を届けた一条博士も既にバダンの手にかかっていた事、遺された娘・ルミが文書と共に海堂博士の元に身を寄せていた事を知る。そして彼自身も、既にほぼ全身を機械改造されていた事を初めて知ったのだ。
 その意志によって皮膚の下に隠されたもう一つの姿を現し、内蔵された武器を駆使して戦うパーフェクトサイボーグ―――ZX。
(俺は…化け物にされてしまった…)
茫然としながらも、良は彼自身と姉の仇を討ち、バダンに狙われる知己を守る為に戦う道を選んだ。そしてその中で、同じように生身ならぬものの悲しみを背負いながら人類の為に戦おうとする人々と巡り会い、自分が孤独でない事を知る事になる。
(悪の組織に改造された…仮面ライダーさ)
やがてその名前を背負い、個人の復讐を捨てて彼らと同じ道を歩もうと思うようになった。
 彼が初めての改造人間でなかったように、バダンも最初の悪魔ではなく―――そしておそらく最後でもありえまい。
 ならばもしもこの世界が、人智を越えるものに再び脅かされる時には、その力を尽くして戦おうと誓ったのだ。
(…それでも、何が変わる訳じゃないよ)
彼の決意をどこか照れたように聞き、でもあまり思いつめない方が良いんじゃないかな、と微苦笑混じりに助言してくれたのは、かつては世界を滅ぼすものを信じていた―――と言う科学者である。
(僕達は確かに、普通の人間からははなれてしまったのかもしれない。けれど心が人間である事に、今も変わりはないんだから)
宿命は決してその生き方を一つに決めるものではないのだと、彼らは言う。
 自分達の力が必要とされる日が来ない事を願いながら、その日が来るまでは生身の頃と同じようにそれぞれの日々を送る。ずっとこれまでも、そうして来たのだと。
 とはいえ今更UFOでもないのかも知れないが、と思いながらも、あいにく良には他に思い当たるものが何もなかった。そして彼には、充分過ぎる程の時間があったのだ。
 改造された身体は、おそらく普通の人間の寿命より長い時間を生きる事になるだろうとも聞いていた。はっきりした事は誰にも解らなかったが、いわば先輩格である彼らは、ほとんど変わらない姿で既に十年以上を生きているという。
 だからそれならば、姉の分まで生きようと思ったのだ。何もなかった頃のように、姉と二人で追った謎を追い続けよう。それ以上の事は考えていなかったから、それがどんな秘境であろうとも、噂を聞けば身ひとつでためらいなく出掛けていった。
 本当に自分の居場所を伝えておかなくてはならない人達には、知らせなくても自分がどこに居るかが解っている。だから万が一の時に連絡が取れなくなるのでは、と逡巡する事もなかった。
 それは彼自身には未だあやふやな感覚だったが、最もその能力のつよい青年の切れ長で深い目は、最後に会ってから数年経った今でも成程奇妙に印象的である。遠く離れていても、同じ名前の元にどこかで繋がっているのだと信じられた。
 むしろそれよりも、こうして自分宛の郵便を受け取る度に、ある種の感動を覚えたりもした。半年と同じ土地に留まらない自分の手元に、こんな薄い羽のような紙片が地球を巡ってよくもはるばる届けられるものだと思う。時折随分長旅の疲れを漂わせて到着する手紙には、それだけの念がこもっている気がする。時に海を越えられず波間に落ちる渡り鳥のように、それでも自分の手に届く事のない手紙もあるのだろう、と思ったりもしたが、しかしそれも思うだけだ。
 彼らはひとつの土地に長い間留まる事ができない。しかし必要以上にあえて居場所を転々としているのは、もしかすると何かを避けているからかもしれなかった。

「 良さん
 お元気ですか。
 お仕事はかどってますか?
 私はK大学の理工学部に受かりました(ホメて下さいね)
  入学式は四月一〇日です。
 海堂先生が保護者代わりに出席して下さるのですが、良さんにも是非来て欲しいのです。
  良さん。」

 例えばそこで目を上げたカレンダーの日付けが、既に手紙の期日を一月も過ぎている事に安堵するのにも似た、静かな逃避である。
 誰が彼女に自分の居場所を教えているのだろうか、と思った。彼からはほとんど連絡をとった事はないにもかかわらず、年に何度かは彼の元にカードや手紙が届けられてくる。その文面や字面が年々大人びていくのに、彼女の成長が透けた。
 初めて出会ったのは、彼女がほんの子供の頃だ。まだ彼の姉も、彼女の父親も生きていた。姉の仕事についてその家を訪ねる内に段々親しくなったが、ついいつまでも「一条博士の子供」のつもりでいた。幼少の頃に母親を亡くした少女が、彼の姉と「女同士」特有の秘密めいた相談を交わすようになっていたのはいつ頃からだったのだろうか。
(―――この色男)
一足先に車の中でエンジンをかけて待っていた自分の脇腹を、助手席に滑り込むと同時に姉がにやにや笑って肘で突いてきた事がある。
(止せよ。まだコドモじゃないか)
(何言ってんのよ。あんたが小さい頃「お姉ちゃんと結婚する」とか言ってたのとは全然違うわよ)
目を閉じるとふと甦る面影は、もう何年も前のものだ。最後に故国を離れた時に空港まで見送りに来た、あどけなく真剣なまなざしはどれ程美しくなったろうか。今でも変わらず、あのひたむきな目で自分を見上げてくれるだろうか。
 自分が改造人間である事を知っている彼女は。

「 良さん。
 良さんに会いたい。 … 」

 ぎしり、と身体の奥にかすかに金属の軋む音がして、良は眉をひそめた。寒暖計は昼からずっと一番低い位置を示したままでとうに役を成していない。おそらく普通の人間ならば、脳髄まで凍る寒さである。寒くない訳ではなかったが、むしろ体内のメカニズムの反応の、いくばくかの鈍さの方が実感としては強い。この身体の内は、ほんの僅かな生体部分を除いて全てが機械だ。
 機械に代えられてしまった事を知った時、しかし茫然と立ち尽くす彼の背中を抱いた細い腕があった。幼い腕の感触に、自失する彼はただ声もなく身を委ねていたように思う。
(…良さんは良さんじゃない…)
半ば泣くように囁かれて、ふっと我に返った。
 絶望している場合ではない。この柔らかくかよわい腕もまた、肉親を奪われ彼女自身もバダンに追われる恐怖と健気に戦っているのだ。どのみち元には戻れないなら、せめてこの力をこの少女を守る為にも懸けよう、と縋るように誓った。
 あの瞳は今も、彼が生身だった頃と変わらない愛情を込めて見上げてくれるだろうか。
(…そんな訳がない)
もう彼女も一八になるのだ、とぼんやりと思った。
 ふと緩んだ指の間で、窓から入った雪混じりの風が便箋を攫いかけるのに、良は知らず力をこめていた。



     二通目の手紙

 夕方から始めたチェックリストの束との格闘がようやく終わって、時計を見上げると既に十二時を回っている。今更何もこんな面倒な念の押し方をしなくても良いんだ、とチェックリストを埋め尽くしている几帳面だが癖のある字の主の面ざしを、思うともなく唇の端を曲げてみた。
 要は一言、彼が結論を言えば済む事なのだ。自分にもいい加減解っている事なのだから、別にその言葉を疑ったりもしないものを。それなのにわざわざ自分にこんなまわりくどい確認をさせるなよ、と苦笑しながらリストの束を机の端に放り出した。
 やれやれ寝るぞ、とライトに伸ばしかけた手をノックの音に止められて、風見志郎はがっくりと肩をおとす。
「―――風見」
ちょっといいか、と形ばかりの伺いをたてて入ってきたチェックリストの制作者に、風見は面倒げに椅子ごと向き直った。
「…何だ、まだ追加のリストでもあるのか?」
「え?」
しかし困った事に、相手はどんなあからさまな皮肉も通じないタイプだった。ああ違う違う、と真顔で答えて、結城丈二は一通の封筒を差し出した。
「沖くんから、今日来ていた」
受け取った封筒の宛名を眺めて、風見はちらりと確かめるように結城を見上げたが、そのまま既に開けられた封筒にふっと息を吹き入れて、分厚く折り畳まれた便箋を引き出した。
「―――やけに長い手紙だな」
論文かこりゃ、などと一人ごちて読み進む内に、しかし次第にその目は険しく細められていった。
 その横顔を眺めながら、結城は変わる空気を胸に溜める。
 一人の海洋学者が事故死し、一人の医学者が誘拐未遂にあった。二人の間には専門的にも個人的にも何の関係もなく、誘拐未遂はともかく事故の方は特に不審な点もない、と警察の捜査も既に終わっているらしい。
 しかし、と沖一也は考えたのだ。
(僕にはどうも、上村博士と海堂博士の事件には何かの繋がりがあるような気がするのです。それも
どうやら、僕達の範疇なのではないかと思っています。一応これから、僕は海堂博士の身辺を調査し
ながら博士をガードするつもりでいます。もしこの手紙から何か気づかれた事がありましたら、いつ
でも連絡を下さい)
手紙はそう結ばれていた。
 後輩の手紙が伝えるものは、未だ予感の域を出ない。しかし文面に綴られた事件の詳細と、奇妙な
符合が、彼らには本能に似た感覚を呼び覚ますのだ。
 それは彼らにしか解らない感覚である。同じ名前を持ち、誰に知られる頃もない世界の脅威と戦い
続けてきた彼らは、しかし一方でその脅威と同種のものでもあった。それ故にその感覚は生々しく鋭
い。久しくそんな胸騒ぎも忘れていたが、手紙の文面は結城の心にも鋭敏に響いて、自分が何者であ
るのかを改めて思い起こさせた。
 いわば二度目の生は、戦う為に自ら望んで享けたのだ。
 日常の底に潜む、もうひとつの日常が動き出す。
 手紙を読み終わると、風見は上げた視線で結城を促した。結城は壁の時計を見上げて、自分に言い
含めるように少し気難しげに眉を寄せた。
「…とりあえず僕が明日、一番早い便で日本に帰って沖くんと合流しようと思う」
実は近々一度帰ろうとも思ってたんだ、と思い出したようにつけ加えた。
「沖くんの基地のチェックマシーンに、追加したい機能があるんだ。どのみちその相談もするようだ
し…こっちの件については、状況みて連絡入れるから」
「それで良いのか?」
「沖くんもそのつもりだよ」
だから僕宛に連絡してきたんだろう、と結城は返された封筒の表書きをくるりと示してみせた。
「レースはもう明後日じゃないか。手紙で伝えてきたんだし、それほど急を要する事でもなさそうだ。
わざわざ君がレースを放り出して駆けつける事もないだろう。…データに足りないところは?」
「ああ、後の調整は俺だけでやれる」
もう一度チェックリストを取り上げると、風見はふと屈託なく目を見開いた。
「要は四年前の基礎データと変わってないって事だ」
「…まあそういう事だな」
何がなしに結城は言葉を濁す。
 細かなデータの形で渡したのは、風見の身体能力データだった。その数値にはこの十数年、ほとん
ど変動はない。やがてまたいつの日か、人智を越える科学力で世界征服を企むものが現れた時にはも
うひとつの姿を現す彼らにとって、それは当然の事だったし、そうでなければ困るのだ。
 ただそう割り切れないものが、結城のどこかにある。たとえば彼らの外見は、近年実年齢に明らか
にそぐわなくなってきている。まだ外国で過ごしていると、それほど不自然には映らないだけだ。
 勿論結城自身にしてもその研究はむしろ海外で認められていたし、レースを本業にする友人は狭い
日本に閉じこもるよりも世界中を転戦する事を確かに楽しんでもいた。しかしそれが、故国へこの数
年帰っていない事の、唯一の理由でもない。何も知らない知己に会えば浮かぶだろう、単純な不審が
そこにはある。
 別に今更何を後悔する訳でもなかった。そんな友人と、運命を分かちあいたい―――と思ったからこ
そ、友人の反対を押し切って自分は再改造という道を選んだのだ。しかしふとした折にそんないたみ
は胸をよぎる。例えばそれがはっきりとした数字となって現れる、こんな時にも。
 どこか沈みがちに見える結城の横顔を、筒に丸めたチェックリストでぽんぽんと叩く肩ごしにちら
りと見やって、風見は机に向かった。
「それじゃ思いきり走らせて貰うか。またレースも当分お預けになりそうだしな」
「風見」
「トロフィーを土産にしてやるさ」
まあ楽しみにしてろ、と微笑する。
 自分自身も改造が完全に済んで以来のこの十年、ほとんど変わっていないのにきっとこいつは気づ
いていないのだろう、と思った。そんな迂闊さも変わらない。
 イギリスで四年に一度開かれるレースを控えた風見が、その調整の手助けに結城を呼び寄せたのは
一ヶ月前の事である。ついこの間会ったばかりのような気がしていたのだが、考えてみると二年ぶり
の再会だった。自分にはどれだけ離れていても結城がどこに居るか解っていたから気にも留めていな
かったのだが、空港で出迎えた時の、結城のどこか気まり悪げな表情を思い出す。
 いい加減慣れても良さそうなものではないか。
 後悔しないと言うのなら、いちいちそんなに後ろめたい顔をするな―――などと思いながらしかし言
葉にはしないで、風見はふと全く別の事を思い出す。
「…ああそう言えば、どこかで聞いた名前だと思ったが」
「?」
「―――海堂博士って…良の知り合いだったな」



     三通目の手紙

 少年がその手紙を山の上の小屋に届けたのは、それから一ヶ月も曇り空の続いたある日の事だった。
青年は言葉少なに礼を言って受け取ったが、その差出人の名前を見ると俄に表情を沈ませた。いつも
のように少年に切手を切り抜いてくれる事も忘れていた。
 そして翌日の朝早く、青年は約半年ぶりに山から下りてきたのだ。
『…どうもお世話になりました』
今日中にこの国を出なくてはならないので、としか言わなかった。それも来た時と同じ唐突さだった
が、簡単な挨拶だけで少年の家を辞しようとするその背中を、訳もなく少年は追いかけていた。それ
程の荷物でもないから大丈夫だ、と固辞する青年からもぎ取るようにその荷物を背負うと、少年は山
の麓まで先に立って歩いていった。
 二人とも、しばらくは黙って歩いていた。少年は何か言わなくてはならない事があるような気がし
て何度か振り返ったが、その度何かを考え込んでいるように遠い青年のまなざしに言葉を失った。
『…そう言えば、これを渡そうと思っていた』
ふと青年が思い出したように呟いて、ポケットから切り抜いた切手を差し出した。昨日の手紙に貼ら
れていたものだ。
『…いいよ』
『要らない?』
少年は少し口ごもったが、やっぱり欲しい、と小さく呟いた。受け取るや懐に押し込んだ封筒の切れ
端に、初めて見る切手が何枚も貼られているのをちらりと見てとる。そう言えば随分厚い封筒だった。
『…自分の国に帰るの?』
やっとの事で絞り出した問いは、自分でもとってつけたように聞こえて少年は唇をかむ。しかし青年
は奇妙に柔らかいまなざしで、そうだよ、と答えた。
『昨日持ってった、手紙のせい?』
しかしそれには返事はなかった。
 悪い事を聞いたのか、と少年が危ぶんで振り返ると、青年はぼんやりと遠くを眺めていた。どこか
途方に暮れているようにも見えた。
『ミスター?』
立ち止まるとふと我に返った風で、曖昧に頷いた。
『…ミスターは、帰るのが嬉しくないの?』
『そう見えるかい?』
『そうじゃないけど』
青年はしばらく何かを考えているようだった。
『…嬉しくないと、おかしいかな』
少年はふいと振り返った。
『おかしいよ』
言葉は自分でも思い掛けない強さで迸って、少年をどぎまぎさせた。しかし弾んだ動悸が、そのまま
次の言葉を押し出した。
『だって皆―――どんな便利な土地に行ったって、どこでだって所詮はよそ者じゃないか』
見知らぬ土地に憧れる友人を、本当は止めたい。
『それなのに、どうして皆出て行こうとするんだろう』
ふと息が喉に絡んで、少年はまばたきした。
『…だから帰るんだよ』
しかし良は遠くを見ている。意味をはかりかねて茫然と自分を見上げている少年のまなざしが、どこ
かで遠い日の光景と重なった。
 自分をいつも見上げていた、けれど心安らがせてくれるまなざしが、いつまでも曇らない事を願っ
てきた。むしろ自分がかかわらない方が彼女の人生には幸せだと思ってきたから、もう会わないつも
りだったのだ。
 しかし昨日届けられた手紙が、背を押した。
(敵はバダンではないけれど、彼女は君が守る筈ではないのですか)
丁寧な文面の中に、自分の気後れを見抜かれている気がした。
 会えば待っているのは、おそらく辛い終わりだ。それでも会わないでいる事は、結論を曖昧なまま
先延ばしにしているだけなのかもしれない。ならば昔にたてた誓いのままに、彼女を守りに帰ろう――
―と良は空を仰いだ。
 会いたいと思う、今は心のままに。

 見えない風が、再び自分を彼女の元へいざなうならば。
 時に一九八八年・七月の事である。
                                <完>



   








V3本「回帰線」に収録されているこの話ですが、単体だと「ZX」の話です。というか実際にはZX本「桜ふる黄昏」の準備号だったのでした。
ええ。10年以上前から予告だけ出していて未だに出ていないZX本です(大笑)
 今となっては「仮面ライダーSPIRITS」でのたおやかで女神な印象が強いであろう村雨しづかさんですが、拙作では割にはっきりした性格と
いうか「どっちかというと無口な弟」をアクティブに引っ張っていくキャラクターとして把握しています。
 まあこの話を書いた1999年時点での彼女の資料と言えば、皆様ご存知の平山プロデューサーのZX本以外にはTVスペシャルの回想映像くらい
しかなかったので、その人となりの多くはそもそも公式設定自体がなかったとも言えるかと。
 などとZX本準備号をつくる度に言い訳を書いていますが(笑)そして準備号ばっかりで肝心の本は一体いつになったら出るのかと(こりゃ)



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