西遊記 1978.10.1〜1979.4.1

出演:堺正章 夏目雅子 西田敏行 岸部シロー 他


<出演回・サブタイトル(放映日)・キャラクター名>                

第24話「火焔山!! 芭蕉扇の愛 」(1979.3.18放映)
猪八戒の化けた美青年役なのでキャラクター名は無し。


<今見るとしたら>                                

既にファミリー劇場で数回放映されたと記憶している。とは言え今後思い出したように放映される可能性も勿論ないとは言い切れない。 興味のある方にはこまめなチェックをお勧めしておく。
なお永らく発売の待たれていたDVDだが、BOX・単品(Vol.7に収録)販売で2006年にリリースされた。


<大まかなあらすじ>                               

今更「西遊記」に説明の必要もないと思われるが、一応。
石から生まれて仙術を会得し、天界を大暴れしていた孫悟空(境正章)はお釈迦様に五行山の下に閉じ込められるが、 時流れて五百年後、猪八戒(西田敏行)・沙悟浄(岸部シロー)の二人の弟弟子と共に、三蔵法師(夏目雅子)の弟子となって天竺への旅に出る事になる。 道中の善男善女を苦しめる魔物、また三蔵法師を食べて不老長寿を得ようとする妖怪を退治しつつ、一行の取経の旅は続く。

 今日も西へ進む三蔵法師一行の行く手に立ちふさがる火の山・火焔山。
この火を鎮めるには芭蕉扇が必要、と聞いた悟空は、早速芭蕉扇の持ち主・羅刹女(児島美ゆき)の住む芭蕉洞へ向かったのだが、 プライドの高い羅刹女の前に、逆に芭蕉扇で飛ばされたり偽物を掴まされたりとことごとく失敗に終わった。
 羅刹女の夫である牛魔王(小島三児)がこの二年間愛人・玉面公主の住む摩雲洞に入り浸っている事を知った悟空達は、 牛魔王と羅刹女の夫婦仲を戻してやって羅刹女の気持ちを和らげた上で芭蕉扇を借りる道も考えつつ、新たな作戦を立てる。 「牛魔王の留守に玉面公主を誑かす計画」は摩雲洞に戻ってきた牛魔王に八戒の本性を見破られて失敗したものの、かねてより諍いのあった牛魔王と玉面公主はとうとう破局を迎えた。
 一方牛魔王に化けて芭蕉洞を訪れた悟空は羅刹女を騙して芭蕉扇を手に入れるが、先回りして沙悟浄に化けた牛魔王に逆に取り返されてしまう。 それと知らない羅刹女は三蔵を人質に取って悟空から芭蕉扇を取り戻そうとするが、しかし捕らえた三蔵にその頑な態度を諭されてようやくこれまでの自分を省みる。
 そして芭蕉扇を持ち帰ってきた牛魔王に初めて素直な気持ちで対した羅刹女は再び夫と共に暮らす事となり、追ってきた悟空達にも快く芭蕉扇を貸し与えた。
火焔山の火も芭蕉扇によって収まり、三蔵一行の旅はなおも続くのであった。


<偏った感想その他>                               

「西遊記」という物語そのものは、とても好きなのだが。
 しかしどうもこのドラマを見ていると、孫悟空が只の暴れ者にしか見えないのは何故だろうか。
人の(妖怪だけど)家に来て開口一番「あんたが羅刹女か。俺あ斉天大聖孫悟空だが、悪いけど芭蕉扇貸してくんねえか」と横柄に抜かし、断れば即座に女所帯で暴力の限りを尽くす。 坊主というよりその態度はどう見てもチンピラヤクザに近い。しかも無駄に強いので尚更たちが悪い。 サルなので我慢がきかないのはある程度仕方ないにしても大変迷惑なので、お師匠にはもっときっちり口のききかたを躾ていただきたいものである。 とにかくこの破戒仏弟子三人組は大変ノリも良く、どこに居ても楽しそうなのは良いのだが。
 …それはさておき。
 婦女子の心から語らせていただければ、得難いビジュアルをどうもありがとう、とまず一礼する。
 というのも、この「八戒が美青年に化ける」くだりは完訳版にもない、ドラマオリジナルの展開なのである。

 ドラマと原作を並べて「ここが違うそこが違う」といちいちあげつらうのもある意味では野暮天なのだが、そもそもこの話の大筋そのものが原作とはかなり違うのだ。
めくるめく変化の術の応酬・天地を駆ける壮大な活劇譚から、ドラマのポイントを「羅刹女と牛魔王と玉面公主との関係図」に置いた分、話は複雑にはなったのだが、かえってややこしくなってしまったとも言える。
 そしてドラマオリジナルの「めでたく夫婦元の鞘におさまる」結末に持っていく為の段階として生じてきた筈のこの「美青年」登場場面なのだが、話の筋を追って考えてみようとするとやや難点が出てくるのだ。
 そもそも玉面公主と牛魔王は以前から喧嘩がちだったという場面がその前に出ているので、「これは別れるのは時間の問題だな」というのは見ている側にも容易に想像がつく。 つまり八戒がわざわざ化けて出かけて行くまでもなく、「牛魔王と玉面公主別れる→牛魔王が羅刹女の為に芭蕉扇を取り返して帰る→三蔵に諭された羅刹女が心を開いてよりが戻る」という流れには放っておいてもなったのではないか、と見えてしまうのだ。 「財宝だけが目的だった玉面公主」がこの場面でよりはっきりとして破局の引金になったのは確かだが、正直なところ話の流れをなぞる以上の効果になっているかどうかは疑問である。
 「でもそれは彼らの側の事情な訳で。悟空達は二人の不仲を知らなかったからこの作戦を実行したんだし」と考えてもみたのだが、悟空達が本気で「八戒が玉面公主を誑かす→牛魔王と羅刹女のよりを戻してやって芭蕉扇を借りる」作戦だったにしては、その一方で「時同じくして牛魔王に化けた悟空が羅刹女を騙す」行動がどうもつながらない。 悟空の頭には、八戒の行動の成否は最初からなかったのではないか。サルだから場当たり的なのもやむなしか。しかしそれではこの作戦の意味そのものが無くなってしまわないか。
 などと考えている内にどうもこれ、展開上で必要というより単に「面白いから入れた場面」だったような気が段々としてくるのだが。
 勿論それで全く問題はない。それどころか「それじゃこの場面はカットしてもいいんだが」と言われたりしたら凄く困る。遊び心万歳である。
 こんなエピソードを入れてくれて、ありがとうありがとう。

 時代劇で髷は見られるが、ぴったり前髪を上げた山口氏の映像というのはありそうで意外に見かけない。ちょっと赤が派手だが中華な衣装もなかなか可愛いし。アクセサリーも沢山つけてるぞ。 そして氏のここまでコミカルな演技にはまず滅多にお目にかかれないので、たとえやや過剰としてもじっくり見ておくべきである。「何もそこまでしなくても…」と思う程玉面公主にすり寄っていても、饅頭を口一杯に詰め込んでいても。(そろそろ無理が生じてきたか)
 しかしもともと猪八戒はあまり「美しいもの」への変身が得意ではなく、可愛い女の子に化けようとしても「どこか粗大で気味の悪い娘ができる」のだ。 そんな彼がイメージした「美青年」像と考えると「良く頑張った!偉いぞ猪八戒!」とやはり褒めてやりたい気もする。 あの猪八戒が、こんなお金持ちの坊ちゃん風の美青年を想像できたという事そのものが奇跡のようである。ありがとう猪八戒。
 とは言え黙って立っているならともかく、動いた途端に「あああやっぱり中身は八戒なんだ」と脱力させられるのはやや辛い。 しかも声は西田氏なので、口を開かれる度に「その顔なのにその声で喋るか…」と頭を抱えたくなるのだが、考えてみれば山口氏の声であの台詞を吐かれた日にはどこにも逃げ場がなくなる気がする。
「美青年」はうっかり豚の脳味噌料理を口にしてしまって半分本性を表し、そこへ帰ってきた牛魔王に結局変身を暴かれてしまう訳だが、元の八戒に戻ってしまったところでがっかりすると同時に、ほんの少しだけほっとしたのは秘密である。