一
仰ぐ空はぎらついて青い。
昼時ともあって、駅前の大通りは込み合っていた。横断歩道の端に立って待っている間に眺め
ていた新型車が数メートルと動かない内に信号が変わって、人の波が車道に溢れ出す。横断歩道
の幅だけ空けて中途半端に止まっている自動車の排気管から不満げに吐き出される排気ガスが、
真夏の空気に混じって殊更に熱い。
ワイシャツの肩に陽を跳ね返しながら歩を速めるサラリーマンや、部活動帰りらしく陽に焼け
た腕を夏服の袖から覗かせて群れている学生達の中を、風見志郎は歩いていた。
日本に帰ってきたのは、半年ぶりの事である。
今は一年の大半を外国で過ごしている風見だが、やはり故国は懐かしい。
とは言え風見の帰国は、必ずしも「楽しい里帰り」という訳には行かないのが殆どである。そ
れは例えば友人や後輩の再改造に立ち会う為だったり、後にして思い返してみれば新しい戦いの
日々の発端となった事件の調査の為だったりした。
そんな風に日本との結びつきを持つようになったのは、平和になった日本を後にしたあの日か
らかもしれない。デストロンとの戦いを終えた自分には今はここに居る必要はない、とどこか頑
に思い定めたあの冬から、もう十年近くが過ぎている。
そして自分が再び日本に帰ってくる時には、世界は永遠に平和であるようにも、かつては夢見
ていた。
そんな事も、ふと思い出したりもするのだ。その時は一介のレーサーとして、昔と同じように
ただ走る事だけを考えていられるのではないか―――と。
例え何もかもが、元通りにはならないにしても。
(…俺らしくもない)
かすかに肩をすくめた、その時である。
「やだ、お兄ちゃんたら」
不意に耳に飛び込んできた明るい声に、風見はふと振り返っていた。
声の主は、高校生くらいと見える少女だった。白いシャツの肩につややかな髪を流し、並んで
歩く青年の腕にまとわりついている。どうやら兄妹らしい。青年が何か言うと、くるりと目を見
開いて笑顔になるや、捕えた腕で大きく青年を引いた。つられるように青年も小走りになる。
横断歩道を行き過ぎていく二人の背中を、風見は眺めるともなしに眺めていた。
青信号が点滅を始める。
潮が引くように人の足や影の慌ただしく消えた路上に、眩しい陽射しが注いだ。
駅から少し歩いたところに、その大学はあった。
正門の鉄扉は閉められており、その横の小さな通用門だけが開いている。そう言えば夏休みな
のだな、と思い出すのに少しかかった。独り苦笑しながら、風見は無人の構内を抜けていった。
白い砂利道が、踏むと乾いた音をたてる。
正面にある本館は時代を感じさせる石造りの建物だが、その周囲に点在する幾つもの別館はこ
こ十年程の間に建て増しされたものだ。
目的は、中でもひときわ外壁の白さが目を射す建物だった。
鍵の開いていたガラス扉を押す。陽射しのない分だけ少し涼しくなったようにも思えた。
訪ねる部屋は聞いていなかったが、風見の足が迷う事はない。階段を三階まで昇ると、細長い
廊下の右側に幾つも続くドアの一つが、風景の内にくっきりと浮かび上がるように風見の視界に
飛び込んでくる。
居るな、と解った。
暑さしのぎか一旦は出かけようとしたのか、ドアは大きく開いていた。ドアの反対側の窓際に
置かれた机と、その机に向かっている白衣の背中が嫌でも目にはいる。しかし風見が顔を覗かせ
ても、その背中が来訪に気づく様子はなかった。風見は小さく溜息をつき、開いたままのドアを
こつこつと指の背で軽くノックする。
それでようやく振り返った。
「―――やあ」
慌てて椅子から立ち上がり、結城丈二は壁の時計を見上げると、もうこんな時間か、と頭を掻い
た。
「すまない、迎えに行くつもりだったんだが」
返事代わりに軽く肩をすくめて、風見はちらりと室内を一瞥する。
ドアと窓以外の四方の壁にぐるりとしつらえられた本棚にはファイルや本が詰め込まれ、窓際
の机には資料や組み立て中とおぼしき機械が散らばっている。どうやら来客用らしきソファセッ
トのテーブルの上まで、実験器具が半分占領していた。
「あ、そこに座ってくれ」
部屋の隅に置かれた小さな冷蔵庫を開けながら、結城が声をかける。
風見は黙ってソファに腰を下ろすと、テーブル上の器具を改めて眺めた。置き場所がないだけ
かと思ったが、どうやらわざわざここに置いてあるらしい。風見にも見覚えのある機械だった。
オシロスコープの波形は端から端へとゆるやかに流れながら、一定のサイクルで明滅を繰り返し
ている。
「……どうやら、目処はついているようだな」
差し出された缶コーヒーの栓を開けながら、風見はちらりと結城を見上げた。
「あ?……ああ、そうか」
君に説明は要らなかったな、とまた頭を掻いて、結城は手袋を外した右手で自分の缶の栓を開け
る。少し指先を迷わせて本棚から一冊のファイルを抜き取ると、すいと途中のページを開いてテ
ーブルに置いた。
結城がこの大学に一年契約の非常勤研究員として赴任してきて、まだ数カ月しか経たない筈だっ
た。それにしては随分馴染んで見えるものだと風見はふと思う。
それはとりもなおさず、結城丈二という人間の本質は研究者にあるという事なのだろう。思え
ば風見がこんな風に、科学者としての生活を送っている結城を見るのも久しぶりの事だった。
ここ数年はこの世界もそれなりに平和と見えていた事もあり、仮面ライダー達は久しぶりにそ
れぞれの正業や研究にかまけていられた。そんな内でも互いの用事で結城とは幾度か会う機会が
あったが、それでもこの前に会ってから一年ぶり位にはなるのだな、などとぼんやりと考えてい
る。
そんなに経っていたとも思わなかったのだが。
「…資料はここにまとめておいたが」
次々と開かれるファイルの紙面の白さが、変に眩しかった。
顔を上げると、そこにはまっすぐな友人の瞳があった。
それは知り合って以来、少しも変わらない誠実なまなざしである。初めて出会った頃にはまだ
復讐と憎悪にすさんでいたこの瞳は、奇妙にもその生まれ持った身体の部分を捨てていく毎にゆ
るやかに屈託なく明るくなっていくようでもあった。
かつてデストロンと戦う内でその真実を知り、プルトンロケットの爆発から身を挺して東京を
救った結城は、一命はとりとめたものの完全には回復できない重傷を負った。科学者として生き
ていくならば、些かの不自由はあっても折り合いをつけて行けるだろう損傷だった。
しかし結城は、戦う事を選んだのだ。
そしてその為に、傷を負った生身を捨て、改造人間として生きようとしている。合間に新たな
組織との戦いを挟みながら、数年をかけて進められている改造手術は後一、二回で完成すると聞
いてはいるが、風見にはその全容がはっきりと掴めている訳ではなかった。
ただ解っているのは、何があろうともその誠実さは変わらないという事だ。
それで充分だった。一見変わらないように見える風貌、機械に置き換えられていく身体、過ぎ
ていく時代の内でも、自分達は孤独ではないのだとだから信じられる気がする。
念の為、というように大雑把に、結城は手掛けている研究の説明から話に入った。友人の表情
を、風見はそんな事を考えながら眺めていたようでもあった。
「で、ここからが本題だ」
さっきからブラウン管になめらかな波形を描いている機械を、結城はテーブルの中央に引き寄せ
た。
「だが先週から、ここに変な電磁波が干渉してくるようになったんだ」
呼吸しているように明るく弱くなるその光点の波は、そう思って眺めるせいかどこか禍々しく見
えた。
「どこかで、RB―2が作動している」
二
物事に熱中しすぎるのが自分の悪い所だと、指摘されたのは一度や二度の事ではない。自分で
も気はつけているつもりなのだが、どうも生まれつきの性格はなかなか直らないらしかった。
さっきから風見の瞼が時折眠たげに撓むのにも、だから説明が一段落してからようやく気づい
たのだ。
「……一息いれるか」
そう聞くと、久しぶりに会った友人は少し不思議そうな顔をして、表情を引き締めた。それでも
正面の窓から射す陽光を眩しげにまばたきして避けた横顔は少し陽焼けして、いつになく疲れて
いるように見えた。
時差が調整できていないのか、などと結城は思い、珍しいな、とも思い返す。
先日まで、風見は内乱中にあるアフリカの某国に居た。難民キャンプへの救援物資の供給を国
連から依託された団体で、輸送活動を担うドライバーとして砂漠を走っていたという。
(ああ、今請け負ってる仕事も明日には終わる。行けるぞ)
おぼろげな感覚をどうにか辿り、結城が連絡を取った異国の中継基地はひどく通信状況も悪く、
長からぬ会話の途中でも近くに着弾したとおぼしき砲撃音に二度も会話を遮られた。
この前に会ったのは去年の事だった。あるレースに風見が参加する為、結城もそのスタッフと
して渡欧したのだ。結城が知っている風見は―――V3としての戦いを除けば―――余計な邪魔が
入る事のないコース上で、その速さを競っている姿である。一瞬の判断の遅れや誤りが大事故に
結びつく、限界ぎりぎりに挑む世界だ。
しかしその時、受話器の向こうに―――結城はそれとは全く別の極限を感知していた。埃じみた
熱風に混ざる、当たり前のように乾いた死の匂いだ。
レーサーとしての生活の合間に、風見がそんな活動をしていると知ってはいた。何の為に、と
時々思う事もあった。普通の人間より優れているとは言え、変身後に比べればあまりに無防備な
姿で、紛争地域を走っている。
あえてそんな危地に身を置こうとする風見を、しかし案じるのは無駄な不安だと解ってもいた。
(そっちの時間だと、明後日の午後には着く)
そんな内でも、風見の声はいつもと変わりなかったのだ。少し掠れて聞こえはしたが、はっきり
としたその声に訳もなく安堵した自分を、結城は覚えている。
喉が乾いたな、と席を立って冷蔵庫を覗いたが、もう空だった。
「コーヒーでも淹れてくる。ちょっと待っていてくれ」
風見の返事は待たずに、ドアを押した。廊下へ出て、突き当たりにある給湯室へ向かう。もう馴
れた足は、考え事をしていても迷わなかった。
この世界は、未だ平和からは遠い。
それは自分達が、世界平和を企む秘密結社と戦っている時は勿論の事だが―――国家や民族、宗
教の違いに基づく根深い対立や紛争は、人間という種のいわば業のように消える事はなかった。
このままではいつか人類は自らの手で愚かしくも自らを滅ぼす事になる。そこから逃れる為に
も、地球全体の未来を見通して正しい道に人々を導ける優秀な指導者が必要なのだ、などという
短絡的な選民思想に、もう自分が惑わされる事はないと解ってはいるのだが。
(ならばお前達には何ができるのか)
普通の人間を越えた能力を持つお前達が守ろうとするのは、所詮は人間のエゴがひしめく醜い世
界ではないのか。
かつてそう結城を問いつめた科学者がいた。高潔な理想も優れた力も、この世界の中ではただ
流され、自らの保身しか考えていない時の権力に利用されていくだけだ。それが正しいと言える
のか。
その問いかけに、答える言葉を結城は未だ持たない。
ただ解っているのは、それでも自分達は人間を守り続けるという事だけだ。謂れなく降りかか
る力から自らを守る術すら持たず、虐げられる無辜の人々をただ守ろうとする事。
それを自分達は、おそらく正義と呼ぶ。
意味のない事を、と嗤われてもいい。
だからこそ、風見もそんな風に戦い続けているのだろうと思う。この世が平和でない事を知り
ながら。
夏の陽射しが、給湯室の窓からアルミのシンクにまばゆく反射していた。
大学は夏休みだが、研究の為に学生も多く出入りしていて、掃除当番なども決まっているらし
い。給湯室に置かれた電気ポットは二台とも一杯になっていた。有り難くその湯を借りて二杯分
のコーヒーを淹れ、冷蔵庫を開けて氷を落とした。こぼさないようにそろそろと廊下を戻り、開
けたままのドアをくぐる。
「風見」
両手にカップを持って声をかけたが、返事はなかった。
ソファの背もたれに横顔を預けて、風見は目を閉じている。起こそうか、と思ったが止めてそ
の前にカップをひとつ置くと、結城も自分の定位置に腰を下ろした。
真正面から照りつける陽射しに、風見は無防備に寝顔を晒している。少し長めの前髪は明るく
陽に灼かれ、瞼から鼻梁にかけての整った線を濃い陰影がくっきりとなぞる。つい一日前までは
異国の風に吹かれていたその面差しを、結城はカップを手にしたまましばらく眺めていた。
ふと頬に、風が触れるのを感じる。窓から入ってくる日本の熱く湿った空気よりも乾いて埃じ
みた、幻の風だ。それがどこから来たのかは、おぼろげながら解っていた。
どれだけ離れていても風見には自分の居場所が解るし、近くに居れば時として何を考えている
かまで伝わる事もあるという。
仮面ライダー同士の間で交わされるそんな感覚が、ようやくここ数年の間にぼんやりと結城に
も掴めかけてきている。とはいえ未だに不確かな感覚だった。どうにか風見の所在程度は感知で
きるものの、その危機も感情も感じ取る事はできない。解るのは、例えばこんな風に断片的な思
惟のかけらだけだ。
だから静かに、吹く筈のないその風に目を閉じた。
仮面ライダーとして戦う時は勿論、それ以外の時間にも、風見はいつも命懸けで生きている。
少なくとも表向きは平和な故国に帰ってきても、その身体にまとわりつく空気は消えない。
そして自分は、そんな風見をまた新たな戦いに巻き込む為に呼び寄せたのかもしれないのだ。
だが、それでも―――。
「……おい」
物憂げに声をかけられて、結城は我に返った。
いつの間にか風見が薄目を開いて、こちらを見ていた。
「余計な詮索はするなよ」
少し疲れているようではあったが、かすかに笑うと低く釘を刺す。
「解っているよ」
結城は何がなしに後ろめたくなりながら、そう言い返している。
それでもまだ眠たいらしく、幾度かきつくまばたきすると、風見は身体を起こした。少し考
えるように天井を仰ぎ、やがて口を開く。
「RB―2は」
言いさしても、まだ僅かにためらっていたが、やがて言葉を継いだ。
「本当に存在するのか」
確かに―――と結城は思う。
風見にしてみれば、にわかには信じ難い話かもしれない。
それは風見達が戦った組織の、更に前身である―――かつて先輩達が戦った「ショッカー」と
呼ばれる組織がその基礎を確立した技術にまつわる名でもあった。
優秀な人材を失う事を惜しんだショッカーは、保存された生体組織からクローンを作り出し
て改造手術を加え「再生怪人」として復活させる作戦をかつてあみ出している。
しかし細胞の培養による生体の復元と改造技術に頼った再生は、組織が期待した程の成果を
上げなかった。幾度か造り出した再生怪人も新たな改造人間もことごとく仮面ライダーに倒さ
れ、秘密結社ゲルダム団と統合してゲルショッカーとなったものの、野望は果たせないまま組
織はこの世から姿を消している。
だが組織が消えても、その野望や執念が消えた訳ではない。再び世界征服を目論んで興され
た組織―――デストロンには、滅びた旧組織の野望と共に、その科学技術が継承されたのである。
その内には勿論「再生怪人」を生み出すシステムとその為の設備が含まれていた。
その主眼とも言うべき装置「RB―1」は、僅かな細胞からその持ち主の生体を数日で完全に
復元できる培養槽である。
かつてデストロンの科学者グループリーダーだった結城ですら実物を見た事がないこの最高
機密「RB―1」に、更にデストロン改造技術チームの科学者達は改良を加えたという。単な
る生体の復元に留まらず、成長過程で記憶のバックアップを学習させて完璧な「人間」として
の再生を果たすこの改良型を「RB―2」と呼ぶ。
しかしそれは、デストロンの壊滅後に現れた組織では未だ使われていないシステムでもあっ
た。複雑な国際情勢下の闇から生み出されたGOD機関や、現代文明とは一線を画する独自の
文化から派生したゲドンに於ける再生技術は、また別の系統である。
デストロンの負の遺産は、そのどちらにも受け継がれてはいない。
とするなら「RB―2」が完成していたとしても、デストロンの壊滅と運命を共にしたので
はないか―――という推測も、当然成り立つとも言えた。
しかし結城はデストロンが滅びた後、およそ争いとは無縁のような常夏の島で、RB―2を
見ているのだ。
それはもう、数年前の話だった。
デストロンの最終兵器プルトンロケットの爆発で重傷を負った結城は、南の島で療養する傍
らで自らの将来について考えていた。そんな折、秘められた陰謀をある偶然から知る事になっ
たのだ。
平和な南の島に、人知れずアジトを構築して世界征服の拠点としようとした組織があった。
そのアジトに、RB―2は戦力のひとつとして運び込まれた。そしてそれと共に結城の前に姿
を現したのは、デストロン科学者グループでの結城の後輩だったのだ。
デストロンの壊滅と時を前後して現れ、その技術を得ようとしたという新たな組織は、本郷
猛と結城によってアジトをあばかれて以来、未だその姿を明らかにしてはいない。しかし行き
先を失ったデストロンの青年科学者は、RB―2の秘密と共にその組織に身を寄せ―――そして
再会した結城に、あの時思いもかけない提案を持ちかけたのだった。
(一度だけ試してみませんか。これさえあれば、貴方の右腕も元通りになるんです)
確かに生体を再生するRBシステムならば、右腕を元の生身として戻すのにさほど時間もかか
らない筈だった。当時まだ右腕だけが改造部分だった自分にしてみれば、それは生身の人間に
戻る為の最後のチャンスだったのだろう―――と思い出しながら、結城はふと表情を引き締める。
「―――前にも話したが、タヒチで僕が壊したRB―2が最後の一台だったとは、どうしても思
えない」
それ以上は口にせず、立っていって机の引き出しを開けた。
小型の探知機が二つ、用意してある。
「おそらく地下にでも潜っているんだろうが」
片頬に射す西日が熱い。
「遺棄されたものが何かの偶然で動き出したのか、何らかの意志をもって動かしている奴らが
居るのか、それは解らないが。とにかくRB―2が作動しているという事は確かだ」
「そうか」
ちらりと見上げて、風見も短く答えた。
三
ポケットの内をちらりと確かめて、風見は歩を進めた。
(…まだ遠いな)
探知機が小さなスクリーンに示すレベルメーターは、かすかな反応音を鳴らしながら弱くちら
ついている。RB―2が作動している時に出す特殊な電磁波をキャッチして、その強度を知ら
せる仕掛けだが、不安定で捉えにくいのだ。
今日もうだるような暑さだった。
その辺に学校でもあるらしく、水音と子供の歓声が遠く聞こえているが、町中に人影はな
い。じりじりと照りつける陽光に目をすがめ、こんな事で本当に突き止められるんだろうな、
と風見は独りごちる。
とはいえ調査を始めて、まだ二時間と経ってはいない。午前中の時間を、風見はこの近く
にある墓所で過ごしている。久しぶりに訪れた家族の墓の静けさに、時間の経つのもしばし
忘れたのだ。
時と共に悲しみは薄れても、追想が色褪せる事はない。自分達を襲ったものの正体を知る
術もないまま、ハサミジャガーの爪にかかった家族の最期の光景は、今も風見の胸深くに沈
んでいる。
雲ひとつない青空の下、風見家の墓は綺麗に整えられていた。そしてここ数日の暑さですっ
かり萎れてはいたが、墓前には小さな花束が供えられていた。十年近くも経っても墓に参っ
てくれる人間には数人心当たりがあったが、誰なのか大体の見当はついた。
花束の誂え方ひとつでも、人間の性格は出るものだ。
この町を挟んで反対側から探索を始めている結城とは、夕方に落ち合う事になっていた。
(おそらく地下にでも潜っているんだろうが)
そう言った友人の表情を、風見は思い出すともなしに思い返している。
結城にとって、贖罪はその戦いと同じように終生続くのかもしれなかった。
再生怪人の存在はともかくとして、風見にとってはそれを生み出すRBシステムとやらの
実在は、つまるところ伝え聞いた話に過ぎない。そのシステムに関わっていたデストロンも、
既に滅びて久しいのだ。更に、組織があって再生怪人が造り出されてくる、というなら順序
として解るのだが、戦うべき敵の正体も解らないままにその手段だけを探している、という
状況は、なかなか感覚的には理解し難いところもあった。
しかしそんな風見の疑問に、結城は慎重に―――しかしはっきりとその名前を口にしたのだ。
(とにかくRB―2が作動しているという事は確かだ)
その横顔に射す夕陽が、表情に浮かびにくい結城の苦悩を浮かび上がらせているようにも見
えた。だからそれ以上は、風見も聞き返さなかった。
自分を呼んだという事は、結城にはそれだけの確証があっての事だと解っている。
そもそも研究の中、ふとした事から捉えたその電磁波の正体を特定できたのも、その機械
が結城の過去にまつわるものだったからだ。
過去を背負い、かつて犯したかもしれない罪に、常に向き合いながら。結城はそんな風に、
戦い続ける事を選んだのだ。
(…で、本郷さん達には?)
(まだだが)
見上げられると、結城は少し気まり悪げな表情になったようだった。先輩達を煩わせるのは、
更に確かな証拠を掴んでからにしたいのだろう。風見にとって、本郷や一文字は改造人間と
なる前からの気心知れた先輩である。が、結城にしてみればちょっとした思いつき程度の相
談を持ちかけられる程気安い存在ではないのも解っていた。
無理もないか、などと思いながら歩を進めかけ、風見の目がふっと細められた。
明るい陽光は、影もまた濃く刻む。
背後のブロック塀の角からずっとこちらの様子を伺っていた何者かも、風見が振り返るの
に気づいて走り去ろうとした刹那、その影をちらりと路上に残していた。
「待て」
声をかけると同時に、風見も身を翻すや塀を回り込み、相手の姿を見定めようとする。真夏
の陽光の下、振り返りもせずに走り去っていく背中は影のような黒だった。いや、背ばかり
ではなく―――全身を黒一色に包んでいるその後ろ姿に、風見は更に足を速めた。
(やはり)
どこかの組織が動き出している。
反射的にそう確信した。どこからどうかぎつけたか知らないが、再生怪人を造り出すシス
テムの復活にはどこかの組織が関わっている。
入り組んだ細い路地を走ると、降り注ぐ陽光がめまぐるしくコンクリートに跳ね返る。細
かく続く曲り角に、追って走る影の端がちらついて次第に小さくなるのをもどかしく思いな
がら、どれだけ走り続けたろうか。
不意に視界がひらけた。
道の片側にガードレールがあり、車一台がようやく通れる程の道路だが、この辺の大通り
らしい。どっちへ逃げたか、と左右に視線を走らせたが、まっすぐ続く道路は遠くゆらゆら
と陽炎を漂わせているばかりである。
(……逃げられたか)
なおも目をこらしたが、どうやら途中で見失っていたらしい。
風見は息をついて、空を仰いだ。
しかしこれで、どうやらはっきりしたようだ。
思い出して、ポケットの探知機を確かめた。心なしか、さっきよりも少し光が強くなって
いるようにも見える。逃がしたとはいえ、謎の影がこちらへ向かって走っていたのも確かだ。
(この辺を、探ってみるか)
来た道の辺を、ぐるりと振り返ってみた。
どうやらこの辺は、かつての高度成長期に続々と築かれた町工場や大企業の下請け工場が
形成する工業団地らしい。そのほとんどは今も稼動しているが、十年以上を経れば中には移
転や廃業で建物だけはそのままに打ち捨てられた廃屋も混在している。
通り沿いに少し歩くと、ひときわ大きな門が目についた。
門柱だけが残されているが門扉はなく、中を覗くとロータリーの奥にコンクリート造りの
くすんだ建物が見えた。思ったよりも随分大きな建物なのに、ふと足を踏み入れてみる気に
なった。
事情は解らないが、どうやら随分前に閉鎖されたものらしい。埃のたまった正面玄関の鍵
は締められている。
そのまま壁沿いに歩いていくと、やがて赤茶けたシャッターが半分がた下ろされたまま、
ぽかんと出入り口を開けている別棟に行き当たった。どうやら錆びついてしまってそれより
下りず、放置されているらしい。
上体をかがめてシャッターの下をくぐると、床のコンクリートに足跡がついた。
灯はついていないが、南向きの壁には窓が並んでいて工場内は明るい。
ゆっくりと歩を進めると、空気中に舞い上がる埃が窓からの陽にきらきらと光った。
長らく人の触れた気配のない機械類も、うっすらと埃を纏って静寂の内に立ち並んでいる。
それはうらぶれて寂しく―――しかしどこか、風見の郷愁を呼び覚ます光景だ。
(こら、危ないぞ)
物珍しさにかられて機械に手を伸ばした幼い自分を、そう叱ったのは今は亡き父だった。
工場を経営していた父について、風見も子供の頃は良く工場に出入りしていたものである。
金属や油の匂いに親しみ、作り出されていく部品の数々は用途など解らなくても魅力的だっ
た。
これからはもっと高度な科学技術が必要となる。そしてその発展を支えるのはこうした技
術なのだと、父は口癖のように風見に語ったものだ。
あの頃までは、風見も自分の将来について何も疑う事も心配する事もなかったように思う。
大学では生化学を専門に選んだ風見だったが、父の工場を引き継ぐ気が全くなかったとい
う訳でもない。それともいっそ、自分は先輩のように研究の傍らレーサーに専念する事にし
て、工場は妹とその将来の伴侶に任せるのもいいかもしれない、などとも。
(…そんな事も考えていたか)
曖昧で気楽な展望だったが、今にして思えばあの頃思い描いていた未来は不思議な程に明る
かったようにも思う。
いや、おそらくはそれ程楽天的でもなかった筈だ―――あの日までは。
デストロンに両親と妹を惨殺されたあの日まで、自分は明日という日を疑いもしなかった。
あれから十年近くが経ち、あの頃には想像さえできなかった道を歩んだ自分だけが、独り
ここに立っている。
遠い日の幻を映すように、茫と陽を透かして明るい工場内をぼんやりと見やった。
だからその少女がそこに立っているのにも、しばらくは気づかなかったのだ。
長い黒髪を左から分け、すっきりと露にした額の滑らかさが初々しく賢げである。面差し
もどことなく幼く、年は二十を越えてはいないだろう―――と見える。あどけない面貌に、
時代遅れなデザインの白いワンピースが不釣り合いだった。
いつからそこに居たのか、その少女は入口近くの窓際に立ってじっと風見を見つめていた。
知らず身構えている自分に、風見は気づいている。こんな女の子に、とどこか気まり悪く緊
張を解きながら、しかし返す視線からはまだ険はとれない。
「…こんな所で」
人気のない廃工場である。
「何をしている…?」
若い娘が独りで遊びに来るような場所でもあるまい。まさかさっきの黒い影の一味でもなか
ろうが、と思いながらも不審ではある。
だが言葉にした途端、風見には何故か無意味な問いかけをした気がした。
少女は慌てる風も恐れる風もなく、ただ静かに風見に相対している。半ばもたれかかるよ
うに寄り添っている窓の摺りガラスから射す陽光が、卵型の愛らしい輪郭をまばゆく縁取っ
ていた。逆光になってなかなか表情は見定められなかったが、そのまなざしにはどこか懐か
しげな光があるようでもあった。
そして風見も、それを不思議とも思わなかった。
この少女に、自分はどこかで会っている。
そんな気がした。
少女はかすかに首を傾げた。その口元にあるかなきかの微笑が浮かんだようでもあったが、
それは風見に微笑みかけたというよりも、ふと何かを思い出したような表情にも見えた。
歩み寄れる程の近くに立ちながら、幻を見ているようなもどかしさに、ぼんやりと風見は
目眩じみた感覚にとらわれる。
「……兄を待っています」
ややあって返ってきた答は、独り言のようにぽつりと宙に溶けた。
「お兄さん……?」
無言のまま、僅かに頷いた少女の目は風見に向けられていたが、風見を見てはいない。どこ
か遠いところに、目指す相手を長い間探し続けているような目だった。
その目を知っている、と風見は思う。
それは自分もどこかで、ずっと探し続けてきたからだろうか。
日々の戦いの内、いつもは意識にも上らせないが―――自分が遠く探してきたものは。
「ここに帰ってくるんです」
奇妙な親しみを込めて、少女の視線が風見の目にすっと滑り込んだ。自分はそれに何かを答
えようとしたかにも、風見は思う。
その刹那、窓際からすいと少女が身を翻した。
一瞬眩しい陽が射して、風見は思わずまばたきしている。
白いワンピースが、蝶の羽のように光った。
ふと我に帰った時には、少女の姿はなかった。
(……いつの間に?)
確かにどこかで会っているようだが、と記憶を辿ろうとしてみた。
しかしつい今しがた見たばかりの筈なのに、どうも風貌を思い浮かべられなかった。風見
にしては珍しい事である。
そんな筈はないのだが、少し疲れているのだろうか。ふとこめかみに手をやると、目の奥
がつんと痺れるように痛んで、なかなか治まらなかった。
窓から射す陽射しは夕暮れの色に変わり始めている。結城との約束の時間までには、まだ
間があった。もう少しこの辺を調べてみるか、と風見はひとつ大きく息をつくと、入口へ向
かって歩き出した。
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