孵る記憶(2)


     三

 肌にまとわりついてくるのは、幻の粘ついて熱い空気だった。目の前には、深い闇へ下りていく
階段がある。
 行きたくはない。できればここから引き返したい。
 どこか本能的な感情が込み上げてくるのを押し殺して、結城はゆっくりと歩を進めている。
 深く昏い―――記憶の迷宮へ。

 二年前の話である。
 東京で研究をしていた実験中に掴んだのは、結城にとって呪わしい記憶のひとつだった。
 世界征服を目論む組織にとって、その尖兵となる改造人間の《素材》選びは重要な問題である。
脳改造前に脱走され、後に組織最大の敵となった《仮面ライダー》は言うまでもなく、彼等と戦っ
てあえなく敗れた改造人間達も、優れた体力や能力を見込まれた人間である。新たな被験者を探す
のと併行して、その優秀な素材を復活させようと考えるのは自然な流れとも言えた。
 しかし保存された細胞を培養したクローンを改造した《再生怪人》達は、組織の科学者達の思う
ような成果を上げられないまま再び仮面ライダーの前に敗れていったのだった。改造人間のみなら
ず、大幹部もオリジナルには程遠いあっけなさで倒されてしまう、その原因は科学者達にも薄々解っ
ていたのだが。
 能力とは身体的なものばかりではなく、むしろその経験や知識あってこそのものなのだと。ただ
空の器を再生しただけでは何にもならない。
 そこまで解っていても、記憶をコピーしクローン体に《学習》させるシステムを開発するのは容
易な話ではなかった。
 厳密には専門ではない結城だったが、ショッカーからデストロンに引き継がれたその研究がデス
トロンの壊滅後、ある意味でひとつの完成を見たのを知っている。
 《RB―2》と呼ばれるそのシステムは、データ化された被験者の記憶をクローンした脳に学習
させる事で、よりオリジナルに近い再生怪人を造り出す事ができた。
 だが二年前、東京で発見されたのは―――その《RB―2》ではなく、ショッカー時代に既に造
られていた《RB―1》だった。記憶を再教育するシステムを持たない、単に肉体のみをクローン
するだけの機械だ。
 何もかもを明るく照らし出す真夏の陽光を避けるように、その旧式のシステムはとある廃工場
の地下に置かれていた。
 既に再生されていた怪人一体がガード役として置かれていたもののそれはただ本能だけで動く
生き物に過ぎず、V3の敵ではなかったのだが。
 そしてその戦いの最中、下りていった結城の目に映ったのは僅かな光に割れた切口を光らせて
いるガラスの培養槽だった。
 《RB―1》はV3と再生ハサミジャガーとの戦いに巻き込まれ、既に破損していたのだ。
 透明な培養液は時折溢れかけながら、ガラス槽の切口を満たしている。
 その中からぽかりと浮かんでいたのは、裸の肩から続く頚椎の隆起と抱えられるように折られ
た膝に伏せられた後頭部だった。首筋に繋がれている栄養チューブがなければ、あるいは眠って
いるかのようにも見えたかもしれない。
 それは胎児の眠りにも似て。
 卵から生まれたばかりの雛を思わせる濡れた髪はおぼろな光の内で妙に明るく、未だ外に向け
て上げられた事のない端整な横顔の輪郭を覆い隠すようにまとわりついていた。
 それでもそれが誰なのか、見間違う筈もなかった。
 一体何の為に、と思うのと同時に、知らず右腕には力が入っていたようにも思う。
 これは許されない存在だ。
 誰が何の目的で造り出したのか、まだ何も解らなかったが、ただそれだけは解っていた。
 目覚める前に葬る。それが自分の役目なのだとも知っていた―――かつてデストロンに関わって
いた自分だからこそ。
 科学の発展の為と信じた研究の中で、幾多の非人道的な実験を繰り返してきた過去をもつ自分
だ。ましてやそれが世界を危機に陥れる目的のひとつとして造られたものだと解っている今、実
験体一体を処分するのに何の呵責も感じない筈だった。
 たとえそれが、どんな姿であろうとも迷わずに。自分ならばためらわずに動ける筈だ。
 そう思いながら、しかしどうしても手は動かなかった。
 その時である。
 培養液に揺れる髪が、意志をもって動いた。
 青年の形まで培養が進んでいても、何の学習もなされていない身体など生まれる前の赤ん坊も
同然な筈だったが、環境の変化が刺激となったのだろうか。
 ほの暗い中で妙に青白く見えるその肢体が蠢くのを、息をつくのも忘れて結城はただ見つめて
いる。

 あの時は自分の方が見下ろしていた筈なのに、見下ろされているのは何故なのだろう―――と、
ぼんやりと思った。
 日本人にしては色のやや薄い瞳が、薄闇の内でおぼろに光っている。
 弱いスタンドの光に背後からほのかに照らされて浮かび上がる整った輪郭を、結城は初めて見
るもののように仰いでいた。

 自分が何者であるのかさえ知らないその生き物は、まだ動かし方も知らない長い四肢を持て余
すようにものうく身じろぎ―――やがてもがくようにぽかりとその顔が仰向いた。
 切れ長の目がうっすらと開いたようにも見えたのは錯覚か。
 幾らか長めの前髪の下から、一度会えば決して忘れられない印象的な輪郭があらわになる。友
人と全く同じ風貌でありながら、しかしそれは無垢な顔だった。幾多の覚悟も戦いの記憶も持た
ないその素顔に、何故とも解らず妙に胸は突かれた。こんな顔をしていたんだな、と目が覚める
ように思った。
 静寂の中で水音ひとつたてず、かすかにその顎が上がった。苦しいのだろうか、と思ったのを
覚えている。
 繋がれている管の本数からして、まだ培養槽から出られる段階ではないだろうと察しはついた。
外気を呼吸できるだけの準備が整っていない状態で培養槽を破壊されれば、いずれ待っているの
は窒息死の筈だった。
 それならばそれでいいだろう、と心の隅で囁いたのは自分の声だった。あえて手を下すまでも
ない。どうしてここに《RB―1》が置かれ、何を企んでいたのかはこれから突き止めなくては
ならないが、まだ学習前の脳を解析したところで大した情報は得られるまい。
 気づけば階上はしんと静まり返っている。どうやら戦いは終わったらしい。
 そろそろ上がって行かなくては、不審に思った風見が下りてきてしまうかもしれない。この状
況のまま放っておけば彼が生き延びられないのも確かなら、培養槽はもう壊れていた、と事実だ
け伝えればそれで済む事だ。
 そう自分に言い聞かせて、そのまま背を向けたのだが。
 そんな言い訳で、その最期をはっきりと見届けなかった自分が甘かったのだろうか。

「―――甘いな」
ぽつりと呟かれた声が、薄闇に溶けた。
 しんと冷たい空気が額を冷やしているのを感じながら、結城は声の主をぼんやりと見上げる。
「……甘かったか」
おうむ返しに、あるいは自問自答のように呟いていた。
 生身の部分がまだ半分程を占める身体は、殊に慢性的な疲労からは瞬時に回復しきれない。未
だに意識も身体もどこか真綿に包まれたようだった。この無防備な状態から一撃を加えられれば、
無傷とは行かない筈だ。そう思いながらも、反射的に動くべき神経からの信号は伝わってこない。
 呑気に答えながらもまだ跳ね起きようともしないのは、それとも自分の意識がこの男を敵と判
断できずに居るからだろうか。それが錯覚に過ぎない、と解っていても。
 そうかもしれない、とも思った。
 風見はいつも、全てを知っているのだ。迷いも揺らぎも見透かすようなそのまなざしは、もう
十年も自分の傍にあった。実際には地球の反対側に別れていようとも、常に自分の心にあって、
その行動のひとつひとつが彼に恥じないものでありたい―――と自らを律してきた拠り所のような
まなざしだ。
 だが同じ瞳が、今は微妙に違うニュアンスを含んで見下ろしている。
 同士であり、友人であり―――それでありながら共犯者のような。正義以外の概念を自分の内に
知っている、どこか乾いた視線だった。
「だが、それもお前らしいか」
君にお前呼ばわりされる筋合いはない、と思いながら、ぼんやりとそのまなざしを仰いだ。
「嫌になるな」
囁いたその声音が、耳元で聞こえる程妙に生々しかった。どういう意味だ、と聞き返そうとした
声は言葉にはならなかったが、視線を読み取ったらしい。
 ややあって肩をすくめたその仕草も、見慣れたものと変わらなかった。つと視線を逸らすと、
しばらく答えあぐねるように宙を巡らせてみせ、余裕を含ませて斜に見下ろしてくる。
「せいぜい気をつける事だ」
それはこちらの台詞だろう、と言いたかったのだが。
「どうも危なっかしいな」
まだ目も覚めやらず、そしてフットライトだけのおぼろな光の中ではどんな顔をしているのかは
知る由もなかったが、おそらく微笑しているのだろう―――と、何故か思った。
 ついと手を伸ばされても、何故か恐怖は感じなかった。
 見慣れた指先が、そっとこめかみに触れかかる。しかし次の瞬間、仰いだその目元はかすかに
歪んだようにも見えた。
 生身の身体の遺伝情報だけでなく、改造後の設計もオリジナルと一見見分けのつかない程に似
せられているのは、手当てをした時に解っていた。生体強化部分と機械改造部分のバランスを最
良に配された最高の改造人間―――仮面ライダーV3は、その相乗効果とも呼ぶべき驚異の回復
能力をもつ。しかし自己復元能力をもってしても、限界はあるのだ。
 どこでどんな経緯があったのかは知らないが、昨晩結城が発見した時の彼は普通の人間ならば
即死しておかしくない状況だった。どんな怪力によるものなのか、背中から斬りつけられた刃傷
はその下の肋骨まで達していた。折れた肋骨がコンバーターや重要な内部機構の外壁を傷つけた
だけで精密な部分にダメージがないだけ幸運だったとも言えたが、決して軽い傷ではない。まだ
半日は安静にしていた方が回復は早くなる筈だし、今無理をおして動けばどんな後遺症が出てく
るかは解らなかった。
(……いいから)
怪我人を問いつめようとは思わない。どのみち同僚との約束の為に空けてあった週末だ。
(今晩一晩位は休んでいけ)
そう言おうとしたが、まだ半ば眠っている頭は思うように言葉を紡げなかった。
 どことなく柔らかくこめかみに触れてくるその指先を、ふと安らいだ気持ちで受け止めている
のは錯覚だと解っている。かつてこんな事があった―――と思い出していた。
 それはもう十年も前の事だ。死の淵から甦ってきたもののまだ現と幻の狭間を意識は漂い、た
だ生きようとする身体だけが意味もなく目覚めようとしていた。そんな自分のこめかみに触れて
きた、熱く重い指の記憶だ。
(―――僕は)
まだ贈られた名前も知らず。その指の重みだけを、ただひとつの現実のように受け止めていた自
分を思い出す。懐かしい記憶だった。
 だが同じ姿をして同じ仕草をしても、これは違うのだと解ってもいた。
 幾ら自分でも、そこまで愚かにはなれない。
「……お前は」
ようやく動いた唇の重さに、ふととまどった。
「誰なんだ……」
あるいは―――彼にこんな風に触れかかられている自分は。仮面ライダーの名を背負いながら、今
なおどこかでそれを身に沿わないもののように感じている自分は。
「―――さあな」
低い声が、闇に溶けた。
「それは、俺もずっと聞きたいと思っていたよ」
友人と同じ声がそう囁くのと同時に、指が離れた。
 静かに背を向けて出ていくその後ろ姿を、呼び止めようとしながら身体は動かなかった。ただ
言葉にできない未練めいた感情が、悔恨のように低く深く込み上げてくる。
 行くな、と言おうとしていたのだろうか―――自分は。
 だとしたらそれが無意味だとも知っていた筈ではないか、と囁く声がある。  彼は敵なのだ。
 友人の為にも、いずれは倒さなくてはならない敵だ。
 だがそう思いながらも、何の為とも解らないまま、ドアの向こうに消えていく見慣れた背中を
呼び止めようとしていたようだった。



     四

 壁を軽く叩く音と共に部屋のドアが開く、かすかな音がした。戸口から射す影にものうげに上
体を起こすと、黒いスーツに身を包んだ戦闘員が立っている。
「―――ヨロイ元帥がお呼びです」
解ったよ、と答えて羽虫を払うように戦闘員を指先で追い払い、溜息をついた。
 戦闘員に丁重な態度を取られるのには、どうにも馴れなかった。いっそ潜入している気持ちに
なればいいのだろうが、それも馬鹿馬鹿しい。そんな事を考えながら部屋を出て、アジトの奥へ
向かう。頭上の赤いライトが一回瞬いて、来訪者を識別する自動ドアが開いた。
「来たか」
煌々と照らす光の下にしつらえられた司令官席に堂々と座っているのは、自分の記憶の内ではも
う十年も前に死んだ男だった。全身を覆う甲殻類然とした朱色とも鈍色ともつかない鎧を銀色の
マントに包み、兜の奥からは粘った光をたたえた眼がこちらを見据えている。
 往年のデストロン最後の大幹部―――ヨロイ元帥である。
 今は遠い記憶の内にあるのと寸分違わない姿は、自分の記憶にはない威厳に満ちた仕草で頬杖
をつき、こちらを見下ろしている。
「良く戻った。……と言いたいところだが」
 初めて顔を合わせた時の事を、ふと思い出す。何故お前がここに、と思わず問いかけるところ
だったが、口に出す前にそれが愚問なのに気づいたのは幸いだった。
 自分がここに居る事よりも、一度死んだ筈の彼がここに居る事の方が余程当たり前ではないか。
実際には自分の知識よりも長い歴史をもつ組織は、優秀な幹部や改造人間の細胞を保存してはそ
のクローンを造り出してきたのだ。
 それはデストロンがとうの昔に滅んだ今も、同じ事だったのだと。まるで悪夢のように、彼等
は甦ってくる。死闘の末に自らが倒された事も覚えず、ただその誇りだけは忘れないままで。
「だが、どうやら余計な事も勘づかせてくれたようだな」
ヨロイ元帥がちらりと見やった先には、九面のモニターがある。このアジトの外に設置された隠
しカメラの映像の中で、ひとつだけ動くものが映っていた。
「……へえ」
勧められる前に手近のグロテスクな置き物を引きずってきて、椅子代わりにして無造作に腰を下
ろす。ヨロイ元帥はかすかに一瞥したが、そのままモニターに視線を戻した。呼びつけておきな
がら、必要以上に話をする気はないらしい。
「結構やるな、あいつも」
自分からも話し掛けるつもりもなかったが、そう独りごちると頬杖をついて画像を眺めた。
 僅かに青白く光るモニターは、アジトの近くの海岸を映している。肉眼で見るよりも青ざめた
砂浜を、一人の青年が歩いていた。砂浜の至る所を靴先で丹念に掘り崩してみたり、辺の様子を
伺ったりするその動きはどう見てもただの散歩には見えなかった。隠されている何かを―――そ
の入口を、探し出そうとしているのは明らかだ。
「つけられたな」
馬鹿が、とヨロイ元帥は低く忌々しげに呟いた。
 それはありえない、と説明しても良かったが、どのみち弁明としか取られないだろうし、そも
そも真実がどうだろうと、それが何の意味をもつ訳でもない。返事の代わりに軽く肩をすくめて、
モニターの中でしつこく行きつ戻りつしているその姿を眺めながら思案する。
(それにしても、どうしてここが解ったかな)
尾行されていれば、帰りつく迄に気づく自信はあった。敵である自分を前にしてよくも、と思え
る程なかなか眠りから醒めなかった「友人」を見くびるつもりはなかったが。
 だが既に雨も止んだ夜更けに、足音や気配を聞き逃す筈はない。このアジトまで戻ってくる迄
の十数キロ、自分しか乗客のなかった始発のバスも含めて、自分の動きを追ってくるものがなかっ
たのは幾度となく確かめている。
 しばらく眺めていると、やがて時折コートのポケットを覗き込むような動きをするのに、ふと
思い当たった。
(……まさか)
ジャケットのポケットを探ってみた。触れるものはなかったが、なおも袖口や襟のラインを辿る。
背に大きな傷を負っていたからか自分の着ていた作業着は見当たらず、手近にあった上着を無断
で借りてきたのだが。しかし指先に触れるのは、柔らかな繊維の感触だけだった。
 だが尾行されていないとなれば、どこかにある筈だ―――と、なおも辿った指が、ジャケット
の下のシャツに触れる。洗剤の匂いが残る寝間着代わりの開襟シャツは、昨日意識が戻った時に
既に着せつけられていたものだ。
 自分も迂闊だな、と思った。
 持って出るかどうか解らないジャケットよりも、仕掛けるならもっと確実なところに仕掛ける
筈だ。それ位の事は頭が回っていて良かったろうに、とヨロイ元帥に気づかれないように苦笑し
ながら、糊のきいた袖口から探っていく。小さな回路ひとつを仕込んでも外見にはそれと解らな
い部分というのは実際のところ意外とあるものなのだが、生真面目な「友人」が考えそうな場所
は大体察しもついていた。
 袖口でないなら、と触れた襟の先に、指先は小さく固い金属の感触を伝えている。
(……探知機か)
万が一を考えて、このシャツを眠っている自分に着せたのか。
 だとすれば、随分「友人」もしたたかになったものだ―――と思いかけて、ふと思い直す。
(いや)
自分の認識は、オリジナルである風見志郎の認識のコピーだ。それでつい「友人」の事なら何で
も見通しているような気持ちになるのだが、彼にはまだ風見志郎に話していない事がある。それ
を自分も知っていた。
 あいつは覚えているだろうか、とちらりと思った。
 それともあれは、データ化された記憶の中に混ざっていた映像が勝手に生み出した幻なのだろ
うか。自問するとやや自信はなくなったが、それでも目を閉じると、今もその光景は妙に生々し
く甦るのだった。

 蒸し暑かったのだろうが、それまで喉を満たしていた培養液に比べれば乾いて頼りない空気は、
まだ呼吸に馴れない喉の入口で止まってなかなか吸い込めなかった。そんな理由などもまだその
頃には解らなかったものの、ただもがくように頭は動いていたようだった。
 喉を満たす潤いを求めて初めて開いた目に映ったのは、暗く高い天井だった。
 むき出しになった梁の上のトタン貼りの天井は、埃と時間に虚ろに煤けている。
 生まれて初めて認識した《世界》は、粘ついて埃じみた熱気と薄闇に満たされていた。密で心
地よい培養液に比べると不快な世界だったが、ただ初めて知った不思議な感覚には妙に心惹か
れた。それが《光》だと知るのは、もう少し後の話である。
 その頃はその名も知らず、ただどこからともなく射してくるおぼろげな恵みを求めて、培養
液の中に比べて重く思うようにならない頭を動かしたようにも思う。
 その光を背にして、こちらを見下ろしている長躯があった。

「……探させておけ」
闇の内に浮かぶ冷笑に、ふと我に返っていた。
 片頬にかすかな笑みを浮かべ、兜の奥からヨロイ元帥は画面の内を歩いているコート姿の男
を眺めている。スクリーンの青白い光が照らすその横顔は、かつてデストロン最凶と呼ばれた
底冷えのするような残虐さをたたえていた。
「どのみちここを突き止められはせん」
それはどうだかな、と思った。
 ヨロイ元帥の復元された記憶は、デストロンの切り札だった《D計画》実行直前までのもの
らしい。現実にはその後プルトンロケットもライダーマンに阻止され、半ば捨て鉢とも見える
最後の攻撃もV3に通用しなかったヨロイ元帥は大首領にも見限られる事になるのだが、その
無惨な最期は今の当人の記憶には無い。
 奇跡的に一命をとりとめた結城が仮面ライダーの一員として新たな人生を歩み始めたと、言
葉で伝えられてはいても、その意味を深く考えていないのは明らかだった。大した事ではない、
とおそらく思っているのだろう。ヨロイ元帥にしてみれば、結城丈二は戦いにかけては素人同
然の半端な改造人間に過ぎない。
(……それも面白いか)
ならば自分にできるのは、この狂気にも近い信念につきあう事なのか。
 だが自分は、その後の全てを「知って」いるのだ。擬似的な「死」を乗り越え、幾つもの組
織との戦いを経てきた彼は、もはやあの頃の彼ではない。
 だがそれを解説してやるのも面倒だった。
 随分ややこしい事になったものだ、と肩をすくめた。
 もっともそれは自分ばかりの事ではない。
 風見志郎とヨロイ元帥が表向きは穏やかな会話を交わしているこの光景は、その正体が解っ
ていてもあの男には目を疑う眺めなのだろうな、とふと思った。だが逆に、この空気は自分
よりもむしろ彼に馴染む筈だ、とも思う。いっそこのアジトに招き入れてみたいな、とふと
思った。
 つと手を伸ばして、シャツの襟にまた触れてみる。これだけ発振器まで小型化できている
とは思わなかった。記憶にないという事は、風見志郎本人もまだこのタイプは知らないので
はないか、とふと思う。指先に触れる違和感は薄く、端の鋭利さがなければ布切れが紛れ込
んだとしか感じ取れない。
 潰すのはたやすかった。
 かすかに指先に力を込めかけ、しかしふと気は変わっている。
 地下深くからの信号を伝えるには、どれだけ高性能にしても小さい発振器だ。遠からず電
池も切れるだろう。どのみちこの辺に自分達のアジトがあると突き止められてしまった以上、
今更発振器を潰したところで意味があるとも思われない。
 そう思いながら、ちらりと横目でヨロイ元帥を見やった。
「それにしても、まさか味方に襲われるとは思わなかった」
「それは災難だったな」
ヨロイ元帥は小馬鹿にするように眉を上げ、いかにも心外だ、という表情をつくってみせた。
「シザースパンサーはまだ攻撃衝動をコントロールしきれていない。僅かな敵意でも見せれ
ば、いつでも襲いかかってくるぞ。味方と思って気を抜かない事だ」
兜の奥の目は、しかしあからさまに蔑む色を隠そうともしない。
「それはそれとして、手負いながらに奴のところへ転がり込んだのは上出来だと褒めてやり
たいところだったがな」
言いさして、スクリーンの中で動く人影を見やる。
 それにつられるように、ふとまたスクリーンへ目を上げた。
 浜に打ち寄せる波は、白い泡を砂の間に残しながら引いていく。弾けて黒く濡れる砂を踏
んで、黒いコートの青年はゆっくりと歩いている。
「……味方なら、あいつも気を抜くだろうと思ったか?」
「それを聞いてどうする」
低く答えて、ヨロイ元帥はじろりとねめつけた。
(―――俺に言う必要はないという事か)
肩をすくめたが、別に無駄な反抗をするつもりもなかった。あの男ならばそうは行かないの
だろうがな、とちらりと思ったが、生憎自分は己の立場を解り過ぎている。それならそれで
いい、と口の中で呟いて立ち上がり、椅子にしていた置き物を隅へ軽く蹴りやった。
「……どこへ行く」
自分でさえかすかに鳥肌のたつような冷たさで響く声が、背中から追いかけてきた。
「命令なしに勝手な行動はするな」
「部屋へ戻るだけだ」
そう目くじらたてるな、と肩をすくめ、それからふざけてつけ加えてみた。
「随分信用がないんだな」
「当たり前だ」
答は間髪入れず返ってきた。
「誰が風見志郎など信用できるものか」
違いない、と苦笑する。全く同感だった。

 与えられた部屋のドアを押しかけたところで、薄暗い角を曲がって白衣の青年がこちらへ
やってくるのに気づいた。
 これ位ならまだヨロイ元帥の方がまだましだったな、と内心溜息をつく。気づかないふり
をするつもりだったのだが、どうやら偶然来合わせた訳でもないらしい。おや、とわざとら
しく目を見開いてみせると、足早に近寄ってきた。
 いかにも神経質そうな、理性の際立つ面差しだったが、屈託なさを装っているとそのくっ
きりとした二重瞼の細面は快活にすら見える。
「―――もう動けるようだね」
その言い方はあの時と同じだな、と思った。
(おや、生きていたね)
目覚めてどれ程の時間が経っていたのかは解らなかった。
 まだ培養槽から出るには早かったのだ―――と知ったのは、ずっと後の事だ。その頃はまだ
そんな事も知らず、生き延びる為には喉も肺も乾かしてひりつく熱い空気を飲むように呼吸
するしかなかった。
 傾き始めた陽光が鈍く埃を光らせる中、やがて再び誰かが自分を覗き込んだ。
 それが初めて聞いた「言葉」である。まだその時は、その音の連なりの意味すら解らなかっ
たのだが。
 本来の専門であるロケット工学の分野では世界的にも有名だという彼が、どんな経緯でこ
の組織に加わるようになったのかは知る由もない。だが表面と裏の顔を完全に使い分け、現
在も某国の宇宙工学研究所で主任研究員を勤めている科学者だ。
 名前は。
(僕の事は《M》と呼んでくれればいい)
もっともそう名乗られる前から、彼の事は「知って」いたのだったが。
「結城くんは元気らしいね」
「まあな」
曖昧に言葉を濁す。この科学者と、その話はしたくなかった。
 もう数年前に、彼は結城の前に姿を現している。とある事件に、共に巻き込まれた科学者
としての顔で結城に近づき、その最後で本性を現したのだった。科学者でありながら、同時
に戦闘用改造人間としての顔をもつ彼は、正直なところ何を考えているのか解らない相手だ。
「それにしても、結構あっさり見破られたみたいだなあ」
それでは自分の動きは全て見通されていたのか、と思う。向けた視線は知らず尖っていたよ
うだったが、しかし一向頓着しない風でどこか愉しげに《M》は独りごちた。
「もうちょっと迷うんじゃないかと思ってたんだが」
甘いな、と睨んでみせたが、意に介する風もなかった。
「とんだ茶番だ」
いつものように襲撃団を率いてあの村に向かったのは、一昨日の夜の事だった。
 標的の人物が一人になるのを見計らって背後から近づき、素早く麻酔薬を嗅がせて眠らせ
―――連れてきた大型の改造人間にその身を運ばせる。既に何回も重ねてきた手順に軽い吐
き気を覚えながらも、今回も目的を達した事にどこかで警戒は解いていたかもしれない。
(さっさと運んでいけよ)
無造作にきびすを返した瞬間、背に激痛が走っていた。それが誰に加えられたものなのか悟
りながら、成程「仲間」に不意打ちされるとダメージは大きいものだ、とちらりと思ったの
も覚えている。
 知能の低い、凶暴な改造人間だと知っていた筈だった。ただ知性の代わりに特殊な能力が
あり、周囲の人間の発する気配で敵味方を識別し、敵と判断すると即座に攻撃を仕掛けてく
る。思えば自分もそれを忘れて、うっかり嫌悪感を滲ませたのだ。
 味方だと思っている相手ならば、信じていない筈の自分でさえこんな風に無防備に背を向
ける。ましてや正義の名を背負うなら、怪我を負っている相手を疑うゆとりもなく助けよう
とするだろう。
 とは言え、あの時自分が何を考えていたのかはほとんど覚えていない。ここへ戻ってくる
よりも遠かったにもかかわらず、あの家へ何とか身体を運ぼうとしたのは、そんな無意識の
計算がはたらいた為なのか。あるいは自分に植えつけられた友情の記憶に拠るものなのか。
 そして見破ったとはいえ、同じ顔かたちのみならず共に過ごした記憶を持ち―――友人に
向けるまなざしをごく自然につくる人間を刺客とみなすのはあの男には難しいだろう、とも
解っていた。その気になれば多少の怪我はあっても、まだ完成にはほど遠い改造人間一人を
倒すなど「風見志郎」にはたやすい筈だったのだ。
 だから何の手出しもせずに帰ってきたのは、認めたくはなかったが自分の甘さなのかもし
れない。
「馬鹿馬鹿しい」
思い返すと、まだ背がかすかに痛む気がして眉を寄せた。
「そうでもないよ」
その声音にふと見やると、《M》は真面目な顔をしていた。
「意味はあるさ。色々とね。まあ、もう少し休むといい」
「計画はどうするんだ」
聞きたくもない事だったが、言葉が先に出ていた。
「ああ、それなら数日は大丈夫だよ。一昨日はあの後、僕がシザースパンサーを連れて行っ
て、もう一人調達したしね」
「聞いてないぞ」
「おや、言い忘れていたかな」
白々しく《M》は二重瞼の大きな目でまばたきしてみせた。
「どちらにしてもイノセンスドロップは使い切ったからね、今精製しているところだ」
「実験とやらは、まだ続ける気か」
いい加減うんざりしているのだ―――と言外に含めた。
 感じる嫌悪感の大半は、植えつけられた「正義の味方」の記憶に拠るものだと解っていた。
だがそれを置いても、こんなこそこそしたやり方はどうにも性に合わないのだ。田舎の老人
や娘を週に数人、それと気づかれないように攫ってくる―――などという任務は、できれば
もうお役御免を願いたかった。
 長くとも一日で解放されると解っていても、彼等に何が施されたのかは流石に解ってきて
もいる。
「いや」
しかし《M》は、妙に明るい表情になった。
「今回の実験で、かなり精度の高いデータが取れそうなんだよ。確かにまだ成果が出ていな
いところはあるんだが、今回の結果次第ではもう本番に踏み切っていいかなとも思っている」
嬉しそうだな、と思った。
 科学者というのは変に無邪気だから困るのだ。それが非人道的ではないかと思える実験で
さえ、幾度となく熱心に繰り返して飽きる事がない。そのまなざしは、おそらく彼が子供だっ
た頃、昆虫や小動物相手の実験や解剖を見ていた目と同じなのだろう―――と思えた。嫌悪
しながらも心底ではそんなまなざしを憎む事のできない自分を、またどこかで持て余しなが
らついと視線を背けてドアに手をかけた。
「悪いが、少し疲れているんだ」
「ああ、ゆっくり休んだ方がいい」
その声は、変に優しげにすら響いたのだった。
「まだ肝心な計画は、これからなんだからね」
そしてふと思い出したように、つけ加えた。
「君が帰ってきてくれて嬉しいよ」
馬鹿馬鹿しい、とまた思った。
 自分の帰る場所はここしかないと、教えたのは彼ではないか。
 世界でもっともしっくり来る筈の場所には、既にオリジナルが居るのだ。



     五

 幾つかの国境を越え、友人の居る国に入ったのは昼過ぎだった。
 静かな街だな、というのが第一印象だった。まだ歴史も浅く、ここ数年で企業の研究所
や大学が移転してきていささかの賑わいはあるものの、日曜日という事も手伝ってか駅か
らのメインストリートにもほとんど人通りはない。
 聞いてはいなかったが、大して意識を巡らすまでもなくどの道をどう行けばいいのかは
解っていた。一時間もバイクを走らせると、やがて同じような屋根の並ぶ中でも一軒のコ
ンパートメントの屋根だけがくっきりと浮き上がって見えてくる。
 ノックをする前に、鍵の開く音がした。
 慌ただしく開いたドアの向こうから、三ヶ月ぶりに会う友人の顔が覗く。
 自分を見た途端、何か言いかけたものの慌ててその言葉を飲み込んだようにも見えて、
風見志郎はふと眉を寄せた。すぐにいつも通りの笑顔が出迎えたものの、言葉はそれより
一呼吸遅れている。
「……早かったな」
「そうか?」
引き受けていた仕事を早めに切り上げて来たとはいえ、先に伝えてあった到着は午前中の
筈だった。遅い、と言われるのも覚悟してきたのだが、と思いながら部屋に入り、そして
風見の眉はまたかすかに顰められている。
 何か違和感があった。
 どうやら結城も今しがた帰ってきたばかりらしい、という事は何となく解った。ソファ
の背にかけられたコートからは冷えた外気が漂っている。その割に机の上には資料や文献
が乱雑に広げられたままになっているのが、結城らしくもないと言えば言えた。だが感じ
た違和感は、それとは別種のものだった。
「で、状況は?」
そう問いかけると、しかし友人は困ったように言い淀んだ。
「まだ電話で話した以上の事は」
そのまなざしに、また風見の眉が寄る。
 友人は確かに気が回る方ではない。呼び出されて来てみても、いざ蓋を開けてみると驚
く程何の目星もついていない事も珍しくはなかった。だがそれも、結城にしてみれば彼な
りに考えて動き回った末での事なのだ。少なくとも、結城自身がまだ充分に調べていない
状況で、自分がここに居る―――というのは初めてと言っても良かった。
「……まあ、座れよ」
言われて日当たりの良い居間のソファに腰を下ろし、足元に荷物を置いた。
 会うのは夏のレース以来だったが、何故かもっと久しぶりのような気がしてならないの
を、どこかでまた不審に感じている。それこそ半年も会わなくても、つい昨日別れたよう
に互いの呼吸を読んで動けてきたのだ。最近では意識すらしていなかったそんな自然な空
気の流れが、どこかで微妙に途切れているようだった。
 二着のコートをまとめて部屋に作りつけのクローゼットにかけている結城の横顔を、風
見は目をすがめて眺めた。
 何もかも包み隠さず明かされない事に、別に怒る筋合いもない。まあ細かい事を気にし
ても仕方ないか、とすくめた肩越しに振仰ぐ。自分も友人と遊びに来た訳でもない。
「その『神隠し』にあった人々だが、たとえば何か共通点はないのか」
「共通点?」
結城は手を止めた。
「だが学生もいれば、リタイヤした人もいるし」
答えると、風見は苛立たしげに髪を掻いた。
「だから、それ以外のところだ」
そんな事も調べてないのか、と軽く睨んだ。
「卒業した学校とか、この地域での活動とか、何でもいい」
年令や表向きに属する組織には脈絡ないように見えても、どこかで繋がる線があればそれ
が糸口になる。そんな調査の基本位は今更俺に言われるまでもないだろうが、といつにな
く風見も苛立ってきている。どうもおかしいな、と口の内で呟いた。
(……何かあったな)
 勘は悪いほうではない、と自負している。
 研究に熱中するあまり時としてそれ以外の事がおろそかになるのは、科学者共通の特性
だと知ってもいた。先輩にも同じようなところがあったから、その辺はある程度納得して
いるつもりだったが、しかしそれにも限度がある。どことなく上の空な風の友人には、明
らかに研究ともこの事件とも別に、何か気を取られている事があるのだ。
「それにしても、どういう事なんだろうな」
しかしそれ以上問いつめずに、話を逸らした。
「どんな手口だと思う?」
「そうだな……条件反射をコントロールするような回路を脳に埋め込んで、強制的に操って
いるのかもしれない。でなければウイルスや細菌か、あるいは」
そう水を向けると、友人は科学者の顔になる。
「薬物か。催眠導入を補助して、強い暗示を定着させる薬の一種かもしれないが……いず
れにしても、今のところは何とも言えない」
「そうか」
結局何も解らないんだな、とは言わずにおいた。



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