夏祭(忍者部隊月光)

「忍者部隊月光への招待・準備号」(2003.8.16発行)より(ところで「忍者部隊月光」とは?)



 敷きたての油の匂いをむっと漂わせるアスファルトに、鬱蒼と茂った緑から蝉時雨は間断なく降り注いでいる。仰ぐ空には雲の一片もなく、路上を行く人々を容赦なく真夏の太陽が照らしつけていた。
「暑いわね」
三日月はハンカチで額の汗を押さえると、提げたハンドバッグを持ち直した。隊服ではなくワンピース姿なのは、あけぼの機関への使いの為である。極秘任務を担う忍者部隊からの報告は、そうと見えない人間の方が良い、という月光の判断で日頃から三日月が務める事が多かった。
 普段と違うのは、今日はもう一人担当者が居る事だ。
「あけぼの機関の場所は覚えた?」
「うん」
こちらも半袖の開襟シャツに半ズボンといういでたちの半月はまだ緊張した面持ちである。初めて行ったあけぼの機関で、もの珍しさも手伝って居合わせた機関員にさんざん構われたのだ。半ズボンのポケットは、帰りまでに食べきれないまま土産に持たされた飴やビスケットの包みで膨らんでいる。
「これから一人で行って貰う機会もあると思うから、しっかり覚えておくのよ」
「うん」
それにしても暑いわね、と三日月はぎらつく空を仰ぐ。
 一九六四年八月・東京。
 忍者部隊はつい先日、海外での任務から帰国したばかりである。今年に入って本格的にあけぼの機関の一組織として起用されて以来、日本で訓練を積むよりも海外で活動している時間の方が長くなっていた。勿論それに是非もないが、日本に居られる時間は今回もそう長くはないだろう。訓練や新しい技術の習得等、やるべき事は山程あるのだ。早く帰らなくては、とまた歩を速めた。
「半月、行くわよ…?」
しかし足音がついて来ないのに振り返って、三日月は半月の視線の先に気づいた。
 車道を挟んだ向かいは神社の敷地になっていて、長いブロック塀の向こうには陽光をはね返す深緑も眩しい木立が連なっている。その歩道沿いには「御祭禮」の文字が染め抜かれた提灯が延々と取りつけられていた。
 視線を転じれば、門から伺える神社の境内には色鮮やかに塗られたベニヤ板や角材が既にずらりと組み上げられて、気の早い屋台には「ラムネ」「わたあめ」等等の暖簾が揺れている。
「ああ、お祭りがあるのね」
問いかけるように向けられたまなざしに、三日月は笑って答えた。
「…お祭り?」
半月は外国語のようにその言葉を繰り返した。
「そうよ。夜になると、あそこにずーっと夜店が出て、明かりがついてそりゃあ綺麗よ」
「ふーん…」 早く帰りましょう、と急かしかけて、三日月はふと半月の横顔を見た。
 少年の目はまばたきする事も忘れたように、微風に揺れる提灯に向けられていた。

「…祭?」
月光は目を上げた。
 窓の外は夕闇が濃くなり始めている。午後の訓練も終了し、先の任務に参加したメンバーを集めての作戦会議も先程終わっていたが、勉強の為に部屋に戻った半月以外はそのまま第一作戦室に残ってそれぞれに装備の手入れをしていた。
「半月が、行きたいと言ったのか?」
「いえ」
訝しげに視線を上げた月光に、三日月は目を伏せる。
「…行きたいとは、きっと自分からは言い出さないと思います」
かすかに言い淀んだ。
「今は己の術を磨き、一日も早く一人前の隊員になる事が大事だと解っていますから、自分から遊びに行きたいとは言わないでしょう。本人がそうした心構えでいるのですから、余計な事かもしれませんが」
「そう思うなら、何も甘やかす事はないだろう」
月輪が拳銃の手入れをしながら口を挟む。
「我々はいつ何時も、気を抜く訳には行かん。子供と言っても忍者部隊の一員なら同じだ」
「それは解っています。ですがせめて少しの時間だけでも、同じ年頃の子供のように過ごさせてやりたいんです」
半月が忍者部隊に加わって、まだ二ヶ月程である。
 父親をブラック団に殺されて天涯孤独となった彼を、日本へ連れてくるつもりは当初忍者部隊には無かった。確かに年の割に腕はたつとは言え、年端もいかない少年を生まれ故郷から遠い異国へ―――それも普通の家庭に引き取るならまだしも、明日の命すら知れない任務を背負う自分達と同行させるなど、到底考えられる事ではない。
 しかし少年の真剣さに、終いには月光が折れた。
 そして実際に隊に加えてみると、半月の力量は確かに月光にも目を見はらせるものがあった。自分で申し出たという自覚がそうさせているところもあるのだろうが、忍者であった父親にきちんと躾けられたと見えて筋は良いし、大人の隊員に遅れをとるまいと訓練に打ち込む様は健気な程だ。
 当初の煩悶も忘れてしまう程に。
 月光は椅子に凭れて腕を組み、少し考えていた。
「…良いだろう」
かすかに咎めるような視線を上げた月輪に微笑を向けて、肩をすくめた。
「今のところ緊急を要する事案もない。二、三時間なら連れて行ってやれ」
「有難うございます」
「だが連絡が取れないのは困るな。もう一人誰か一緒に行くといい」
ちらりと向けられた月光の視線を、さりげなく躱す事で気乗りしないのを表して月輪は席を立っている。その向こうで通信機を調整していた名月がうっかり顔を上げて、月光と目が合った。
「名月」
「―――はい?」

 風にのって、拡声器越しに音の割れた流行歌が遠く流れてくる。ぽつりぽつりと灯る街灯の向こうに黒く茂る森は、普段とは違う賑わいに満たされていた。いつもならば周囲の光を吸い込むように暗い木立全体が、今日は遠目にも眩しく光をはらんでいる。
 明るく灯を透かす提灯の並びの下に、友達同士らしく談笑する浴衣姿の娘達や、親の手を引っ張って走り出そうとする子供達の上気した顔がぼんやりと照らされている。日頃は静かな神社の境内は、石畳の両側にひしめきあう夜店とそぞろ歩く人々で熱っぽい
喧噪に満たされていた。
 握った手のひらが汗ばんでいるのを感じながら、三日月は半月の横顔を見下ろす。
 まばゆい祭の灯を黒い瞳に映しながら、半月はどこか緊張した面持ちで歩いている。もう一方の手には、出がけに月光から貰った数枚の硬貨がきつく握りしめられていた。生まれて初めて見る縁日は、何もかもが珍しい。ともすればすり抜けそうになる手は三日月がしっかり繋いでいるが、右を見れば左、左を見れば右が気になるという風で左右にきょろきょろと視線を泳がす半月の足は止まりがちだった。
 ラムネ売り、風車が並ぶ棚、玉蜀黍焼き―――と忙しく見ていた半月の目が、ふと一つの屋台に止まる。
「あれは何?」
「綿飴。ふわふわして甘いぞ」
二人の後を歩いている名月が答えた。その肩からは、この場にはおよそ不似合いな通信機が下げられている。平時とは言え、いつ本部から緊急の連絡が入らないとも限らない。その時にはすぐに戻れるように―――と月光に同行を命じられた名月だが、命令だから、と口では言いながらもこの状況を楽しんでいるのはその顔を見れば明らかだった。
「買うか」
「ちょっと、名月」
三日月の声に頓着せずにさっさと夜店に歩み寄って、一本、と財布を出す。プラスチックカバーの内に細く糸のように浮き上がってくる飴を、半月は手品でも見るようにまじまじと見つめていた。
「ほら」
上半分はちぎって自分で食べながら、名月が綿飴を差し出す。割箸に絡められた綿飴を受け取り、一口噛みとろうとして半月は目を丸くした。
「…食べたのに消えちゃうよ」
「それが綿飴なのよ」
笑って答えながら、三日月は少し眉を寄せて名月を見やった。
「私達が遊びに来たんじゃないのよ」
「まあ、それはそうだが」
たしなめられると長身を少しこごめて、気まり悪げに名月は首の後ろに手をやった。その袖を半月が引く。
「ねえ名月、あれは?」
指さす先では、金魚すくいの盥を囲んで二、三人の子供がしゃがみこんでいる。
「お、金魚すくいだな」
半月に引かれると言うよりむしろ先に立って夜店に寄って行く名月の背中を、三日月は呼び止めようとして諦めた。
 もう半月の術中だ。
 子供ながらに―――と言うか、むしろ子供だからと言うべきか―――半月は周囲の人間の気分に聡い。祭の華やかさに子供の頃を思い出して浮き立った気分になっている名月は、半月にとってはただでさえ年も近く気安い相手でもある。
 得意の催眠術を使うまでもない。
 これでは誰が誰を監督しているのだか解らない。それとも最初から隊長はこうなると解って名月を選んだのだろうか、などと思いながら三日月はゆっくりと二人の後を追っていった。
 ポイを手に金魚に向かっている先客を暫く観察してから、半月はひとつ頷くと煙草を噛んでいる男に掌の硬貨を差し出した。硬貨とひきかえに差し出されたポイと金鉢を手に、盥の傍にしゃがむ。
「やり方は?」
「解るよ」
半月は笑って、後ろから覗き込んでいる名月を振り仰いだ。
「この紙を濡らさないように、掬えば良いんでしょ?」
答えて、盥に目をこらす。
(簡単だよ)
その言葉をこの場では口にしてはいけないのは解っていたから、ただじっと水面を見つめた。
 盥の中には数十の赤や黒の金魚が透き通るように薄い鰭を揺らめかせて佇んでいる。ついと気紛れに、中の一匹が水面へ浮かんできた。その動きに逆らわずに、ポイの枠だけを添わせて浅く掬う。殆ど水を吸わない紙は、赤い小さな金魚を容易く攫って間を入れず金鉢へ落とし込んだ。
「水入れないと」
名月に言われて金鉢を盥に入れて水を満たすと、何事も無かったように金魚は小さな鉢の中ですいすいと泳ぎ出す。
 半月の目が輝いた。
「…半月」
加減しろよ、と始める前に言っておくべきだったのだ―――と名月は遅まきながら思っている。
 自分も良く知っていた筈なのだ。
 そのつもりになれば、仮令初めてだろうとこの盥一杯の金魚を掬ってしまう事など雑作もない事なのだと。
「坊主、上手いじゃないか」
店番の男の笑顔は、唇の端が微妙にひきつり始めていた。
 盥の向かいにしゃがんでいる女の子が、自分の手にあるポイもすっかり忘れて半月の手許を凝視している。
 半月は水面に近づいてくる金魚の動きを逃さず、次々と確実に金魚を掬い上げて行った。その掌の金鉢には、既に水よりも金魚の占める方が多いのではないかと思える程赤や黒の色彩がひしめいている。何回となく水をくぐって流石に新品同様とは行かなかったが、ポイにはまだ半分以上紙が残っていた。この勢いではそれこそ一匹残らず掬ってしまいかねない。
(…そろそろまずいな)
背後から三日月の視線を感じて、名月もようやく懐を探った。周りに気どられないように懐紙の端を口に含む。丹念に湿して口中で丸めると、ふっ、と吹いた。
「…!」
おそらくそれに気づいたのは当の半月だけだったろう。それは誰の目にも、ポイを過ってとり落とした―――としか見えない筈だった。ポイの縁を目にも止まらない速さで弾いた名月の紙弾は、他の客が水中に溶かした紙に紛れて盥の底に沈んでいる。
「名月」
抗議しようと振り返る半月の肩を有無を言わさず抱き込むと、名月は笑顔で半月の手から金鉢を取って店番の男に差し出した。
「…袋に入りきらないな。半分にして貰えるか?」

 名月と三日月と半月の手には明らかに定員オーバーになった―――金魚にその形容が当たるとしての話だが―――ビニール袋が下げられている。行き交う人々にぶつからないように注意して、半月は金魚のひしめき合う袋の重みを手でそっと支えた。
(これじゃあこちとら商売上がったりだ。坊主、頼むから今度は他所でやってくれよ)
苦虫を噛み潰したような顔で睨みながらも、金魚すくいの男はそれでも半月の掬った金魚を全部、三つの袋に分けて渡してくれたのだ。
「十五、十六、十七と」
ビニール袋を軽く上げて眺め、泳ぐ金魚を名月が数えている。
「責任持ってちゃんと飼うんだぞ、半月」
「名月も同罪よ」
しかし三日月にそう言われると名月には返す言葉も無い。連帯責任で金魚を飼うのは十年ぶりの事だが、まあそれも良いだろう、と肩をすくめた。
「餌は明日、買いに行こうな」
振り返ると、しかし当の半月は悄然と俯いていた。
「どうした?」
「…ごめんなさい」
「半月…?」
「僕、つい調子に乗っちゃって」
ビニール袋を大事そうに抱えながら、足は人込みの中で所在なげに立ちすくんでいる。
「いつも父さんにも言われてたんだ。忍びの術は普通の生活で見せびらかすものじゃないって」
「半月」
なのに、と戦利品を手にしながらうなだれる半月の頭を、名月はくしゃくしゃと手荒く撫でて笑いかけた。
「気にするな。俺にも覚えがあるから」
半月は名月を見上げた。
「それじゃ名月も、お祭りに来た事あるの?」
「うん?」
はぐらかそうか、とちらりと思ったが、名月は仕方なく頷いた。
「…一度だけな。半月よりもうちょっと小さい頃かな。…隊長が、今の半月くらいだったか」
少し懐かしげな目で、遠くを見やった。
「一度だけ皆で計画して、里を抜け出して近くのお祭りに行ったんだ」
「みんなって?隊長とか三日月とか?」
「そうだ。半月と同じように、俺達も子供の頃からずっと忍法を教えられてたからな」
それは忍者部隊の結成されるずっと前の話である。
 伝えられた忍術を何に活かすという目的もなく、ただ継承する為に連綿と続く里に生まれた。彼等が属した武家社会の不文律に守られていた江戸時代は既に遠く、明治に入ってからは里の子供も「外」の世界に怪しまれないように学校にも通うようにもなって昔程の閉鎖性はなくなったと言う。
 それでも里の子供がどこか違っている事は「外」の同級生達にも暗黙の内に知られていたようにも思う。
 それを悲しいとも寂しいとも思わなかったし、何の不満があった訳でもない。まだ自分達の技倆がのちのち役立つ事になるとは知る由もなく、ただ受け継がれる術を習得する事だけを目的として何の疑いも持たない、そんな日々だった。
(…行ってみたいと思わないか)
あれは誰が言い出したのだったか。
 おそらく「外」の世界でも大差はなかったのだろうが、子供だけで里を抜けて遊びに行く事は禁じられていた。祭に里の者が加わる事そのものが禁忌だった。その理由も教えられてはいたが、正直なところ意味は理解できておらず、他の古くからの慣習とどう違うとも思えなかった。
 夏休みは彼らにとって、里から一歩も出る事なく朝から晩まで修行に明け暮れる長く暑い日の繰り返しである。
 だから自分達は、密やかな冒険を企んだのだ。
(巽の木戸に七時に集合。遅れた奴は置いていくからな)
夕方の訓練終了後、そう言ったのは仮令その血筋が無くても次期の頭領は既に確実だった彼等のリーダーだった。夕暮れの淡い光の内、決意を確かめる為に寄せた幾つもの額をぐるりと見渡したまなざしは、あの頃から少しも変わらない。
「隊長と月影、月輪、月明、新月…三日月と夕月も行ったな」
だがその内の二人はもうこの世にいないのだとも思い出して、名月はふと口をつぐんだ。
「でもあの時は、名月が家を抜け出すのを見つかって」
そんな名月の表情を見てとってか、三日月が話に加わった。
「小父様達につけられてるのに気づかないで集合場所まで来て、一網打尽にされそうになったわね」
ちぇっ、と名月は頭を掻いた。
 だからこの話はあまりしたくなかったのだ。
(つけられたな、名月)
それをあの時いち早く察したのも、彼等のリーダーだった。
 濃く夕闇の淀む中、木戸に集まった少年達は遠く―――しかし確実に親達の気配に取り囲まれていた。当時はまだ圧倒的なものに思えたその気配が、自分達をそれぞれの家に連れ戻し―――しかるべき罰を加えようとゆっくりと余裕をもって近づいてきている。
 今にして思えばただそれだけの事なのだが、それでもあの時の事を思い出すと未だに身体のどこかに緊張が走るような気がして、名月は密かに苦笑した。
「それで、どうなったの?」
半月が見上げる。え、と名月はまばたきし、軽く空を仰いだ。
「お祭りに行ったな」
あるいはあの時、この人に生涯ついて行くのだ―――と自分は思い定めたのかもしれない。
(どうする。皆このままじゃ捕まっちまうぞ)
辺りを伺いながら苛立たしげに囁いた同輩を、落ち着け、と窘めた月光のまなざしはいつものように落ち着いていた。
(灯はつけるな。茂みに入れ。…俺達の方が身体は小さいのを忘れずに経路を選べば、必ず逃げ切れる。神社で会おう)
術ではまだ大人に遠く及ばない。しかし大人の入れない塀の狭い隙間や潅木の間を通り抜けられる子供の特権を活かせば、幾らでも有利に運ぶ事は出来る筈だ―――と言葉少なに、けれど適確に指示を出すと先陣をきって茂みに入り込んでいった月光の背中を、今も名月ははっきりと思い出す。
 時に見失っても、必ず目指す先にはその背中があると信じる。宵闇に淀む草いきれの中で、そう思い定めていたのだ。
(散れ)
その声に背を押されるように、潅木の隙間に入り込んだ。
 相手は大人だ。気配を殺して自分のすぐ傍まで追ってきているのではないか、と言う不安が何度となく込み上げるのを堪えながら、月光に言われた言葉を信じて己の術を駆使した。道を違えて痕跡を消し、時には囮の跡を残して追手を捲こうと試みる。
 術がうまく使えているのかも解らなかったが一人走り続け、約束の場所に辿り着いたのはどれ位経ってからだったろうか。
 祭の会場まで大人達が追って来る事も、月光は念頭に置いていたらしい。既に集まっていたメンバーは彼の指示で傍の茂みに身を潜め、月光だけが鳥居の横に独り座って待っていた。
(…お互い逃げ切ったな、名月)
そう言って笑った。
 祭の提灯にぼんやりと照らされたその笑顔を見た途端に、込み上げた安堵を名月は今でも覚えている。
 そして自分達は、生まれて初めての祭の喧噪に足を踏み入れたのだ。こっそりと溜めた小遣いを握りしめ、眩い灯や賑やかな歓声の交錯する空間で過ごした数時間は―――思い返せば幻のようで、しかし同時に十年以上経った今でも提灯の模様まで鮮明な記憶だった。
「でも、楽しかったわね」
三日月も同じ光景を思い返していたらしい。ああ、と答えながら名月は記憶を辿り、そして呟いた。
「…帰ってから、月田の頭領に怒られたな」
「月田の頭領?」
「隊長のお父様よ」
三日月は微笑して少し首を傾げ、ふと目を見開いた。
「…そう言えば」
あの時叱られた最大の理由も同時に思い出したらしく、口走りかけて慌てて手を当てた。
 名月は闇に浮かぶ提灯の光の列を眺める。
(祭とはハレ―――つまりは虚の内なのだ)
帰ればただで済まされる訳がないのは最初から覚悟していた。
 祭から戻ってきた少年達は、待ち構えていた大人達にそのまま有無を言わさず納屋に閉じ込められ、夜が明けると里の頭領の前に引き出された。
 頭領の前に出るどころか、家に上がったのも名月はそれが初めてだった。並んで正座させられた板の間から目を上げる事すら怖くて出来なかったが、蝉時雨を消して頭上から厳しく響いたその声が、今は聞き慣れた声に良く似ていたのを覚えている。
(実なる者がハレの気に遊ぶが、則ち祭の本質だ。そんな内に虚実を操る忍びの者が踏み込むは御法度と心得よ、と常々言ってきた筈だが)
(ですが―――)
板の間に両手をつきながら何か言いかけようとする息子を、頭領は鋭く叱責した。
(まだ解らんか。お前達はその虚の場に、実を持ち込んでしまったのだ。まやかしの本質を突き、虚を愉しんでいる人々を実に戻してしまう。例えばあのように)
言いさして開け放たれた障子の向こうを見やったのが、気配で解った。庭先の見事な池に、不似合いな小さな金魚が実に百匹以上も泳いでいるのは見なくても解っている。
(あまつさえ術を見せ物紛いにひけらかすとは。それでもお前達は忍びの者か)
初めて見る祭の出し物はどれも珍しく、片端から見て回っていたが、やがて金魚すくいの店に誰からともなく集まっていた。他の客の遊ぶのを観察している内に要領も飲み込めてきたのは、今夜の半月と同じである。
 ただ違ったのは、その場に少年達の正体を知る大人がいなかった事だ。
 つまり紙を破らずに掬えば良い訳だ、と独りごちて、盥一杯の金魚を一本のポイで最初に掬いきってしまったのは仲間内でも天才と名高い少年だった。成程そうか、と他の少年が気づけば後は止める者も無い。祭中の金魚すくいの屋台は彼等に潰滅させられたと言っても過言ではなかろう。
(あれは、その…)
流石に返事に窮してちらりと月光が視線を走らせた横で、月輪はただ黙って頭を下げていた。
 今なおその冷静さを自他共に認めている彼にとって、あの祭は後にも先にも唯一我を忘れた時間だったかもしれない。
(―――月光)
息子を二つ名で呼ぶと、頭領はふと諭すように語調を和らげた。
(術を磨くは当然の事。だがお前達が未熟と呼ばれるのは、その機に臨んで応じる事ができない所以だ。良いか。我等の術を使うべき場を見極めよ。真にそれが必要とされるものかを判じて、心得よ―――)
 その声は名月の耳元に、鮮やかに甦っている。
 闇にも心の浮き立つような祭の記憶と、板の間にはね返る陽光も鮮明な頭領の家の記憶は、表裏一体となって今も自分達一人一人の心の底にある。
 あの時の頭領の言葉の意味が、本当に理解できたのはもっと後の事になるのだが。
 だから隊長は半月を祭に来させたのだろうか、などと今更のように思いながら振り返った。まだ気まり悪げな半月に、少し悪戯っぽく笑いかける。その手に提げているビニール袋を指先で軽く突くと、中の金魚がするすると逃げ惑った。
「帰ったら、月輪に見せるといい」
「どうして?」
「さあ、どうしてかしら」
金魚の袋を提灯の灯に透かしながら、三日月はふと微笑む。
 月輪の事である。普段通りの冷静な表情はまず変えないだろうが、最初で最後の金魚すくいの事は十年以上経ってもきっと覚えている筈だ。まさか怒りもできないだろうが、その時の顔を見てみたい―――と普段にも似ず思ったりするのは、祭の賑わいのせいだろうか。
「…まだあっちは見てなかったな。行くか」
腕時計を灯に照らして時間を確かめると、名月は本堂へ続く道を囲む夜店の連なりを見やった。
「そうね」
三日月も半月の顔を覗き込む。
「半月なら、大丈夫ね」
「何が大丈夫なの?」
きょとんと聞き返す半月に、笑いかけて三日月は歩を進めた。
「…来ないと置いていくわよ」
時代は変わっていく。あの夜には想像もしていなかった、里の外の世界で―――自分達はその術を、この世界全体の平和の為に駆使する使命を享ける事となった。その途上で出会ったこの少年忍者は、これからどんな風にこの世界に対して行くのだろうか。
 そして自分達は、あの時頭領の言った未熟を脱せたろうか。
 そんな事を考えながら明るく夜店を照らす灯に目を細め、我に返ったように走ってくる半月の小さな足音を肩ごしに聞きながら、三日月はまた金魚の袋をついと上げる。
 紅色の薄く瑞々しい鰭が、お面売りの屋台の灯に透けて躍った。

                                <完>



   











本編第30話辺を想定して書いた話です。
半月が忍者部隊に加わったのが第24話、三日月が世界連合秘密情報部のロンドン支局へ転任になって
忍者部隊を離れるのが第33話なので、意外とこの二人が一緒に居た時間は短かったのですが。
でも三日月が居なかったら、半月の忍者部隊入りはかなったかどうか定かでないのも確かな訳で。

そして「忍びの里」とかまた勝手な設定をぶちかましていてすみません。思いきりオリジナル設定です。
 原作からすれば存在するのはむしろ「忍術学園(from「忍たま乱太郎」)」ではなかったか、とも思うの
ですが、そうすると劇場版の月蝕以下3名のゲストメンバーやTV版後期登場の満月や流月達が、既存のメ
ンバーと面識がなかったのがおかしい気がします。
 という事で「あけぼの機関」とは直接の関係はなく、昔から続く「忍びの里」が実はあちこちにあって、
そこから隊員として忍者部隊の訓練所に入ってくるシステムになっているのではないかと。ついでに書く
と、そのシステムを確立したのも実は月光なのではないか、などと考えたりもしたのですが、その辺はま
た別の機会に(と書き逃げ)。


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