三
背中から後頭部を包み込むクッションの柔らかな感触が心地よかった。
目を開けると、頭の位置が高くなった分だけ昨日より随分遠くまで見渡せるようになった窓の外
には、陽光に輝く深い緑の木立が広がっている。
やはり見覚えのない風景だったが、ベッドの上からでも少なくともここが日本でない事くらいは
分かった。まだ手の届くところにある新聞は全て横書きで、上端に印刷されているのは遠い未来と
しか思えない日付だ。
目が覚めたら十年近くも経っている―――などという事が本当にあるものなのだろうか、と昨日
からの自問をまた繰り返していた。壮大な仕掛けを用意して自分を担ぐ気ではないのか、と悪戯好
きの大学の友人の顔を思い浮かべてみたりする。高木あたりならそれ位の事はやりかねないな、な
どと思いながら、しかしまさか先輩達まで一緒になってこんな悪ふざけをするとも思えなかった。
そもそも陽を照り返す緑と濃い青空は、疑いようもない夏の色だ。
その眩しさに目を逸らすと、年期の入った黒いスーツケースと、あちこちに空港のものらしきス
テッカーがべたべた貼られたがっちりした造りの飴色のトランクが壁際に寄せられていた。どちら
かは自分のものなのだろうか、と思ったが、やはり見覚えはなかった。
そしてその横の机では、さっきから白いワイシャツの背中が何やらペンを走らせている。
しっかりしたその背中は、先輩達とはまた違った落ち着いた空気を漂わせていた。先輩の言を信
じるならば彼こそがこの数年、最も自分の近くに居る友人なのだという。
名前は。
「―――結城さん」
声をかけると、しかしその肩はいきなり叩かれでもしたようにぎくりと強ばった。
「どうした?」
振り返るその表情も、どこかぎこちなく見える。
どうもやりにくいな、とかすかに思った。
先輩達を疑う訳ではないが、本当にそんなに親しい間柄だったのだろうか、と訝しんでいるのも
確かだった。まだあまり言葉を交わしてもいないとはいえ、どちらかと言えば同級生として机を並
べていてもそこまで仲良くはならなかったタイプに見えるのだ。
とはいえ今の自分の感覚は学生のままに過ぎない。社会に出てから、きっと予想もつかないよう
な出会いもあったりしたのだろう。例えばレース関係で知り合って意気投合したとか、などと考え
ようともしてみた。
しかしそれにしても自分が声をかける度に、相手も妙に身構えている風に感じるのも気掛かりだっ
た。どうも腑に落ちない気持ちが抜けきれないまま、言葉を継いだ。
「俺のレースの時はいつも、貴方がスタッフに?」
それも本郷から聞かされた話だった。
「そうだな」
椅子を引いてこちらへ向き直ると、結城は少し懐かしげに目を細めた。
「もう四、五年にもなるか」
医者ではない、と聞いてはいた。本業は機械工学を専門とする科学者で、外国の企業で研究の日々
を送っているそうなのだが、それにしても白衣はその身体にしっくりと馴染んでいる。
「だが君はほとんどの事は自分独りでやっていたから、僕がやる事と言えばメカニックと」
しかしそこで、ふいに口をつぐんだ。
「……まあ多少心得がある、こんな時くらいかな。僕も君と知り合うまでは、レースにかけては素人
だったし」
何事もないように言葉を続けたが、その僅かな沈黙が何故か気にかかった。
何を黙っているのかは知らないが、とにかく今の自分には解らない事だらけなのだ。少しでも空
白の時間を埋められる話が聞きたい。
ふと頭に浮かんだ疑問が、そのまま唇をついていた。
「そう言えば結城さん、大学は城南じゃないんですよね?」
少なくとも同じ大学なら、自分よりもはるかに顔が広く、開校以来の天才と呼ばれていた本郷と面
識がない方がおかしい。だがどうも本郷の口ぶりからすると、結城と出会ったのは自分を介しての
事らしい。そもそもそれ程大きな学校でもない母校である。幾ら学部や学科が違ったとしても、頭
角を顕す人間の名前くらいは自分の耳に入る筈だ。
「どうやって俺と知りあったのか、教えてくれませんか」
その上レースでの知己でもない、となると一体どこで接点があったのか。どうも不自然に思えた。
先輩達が嘘をついていないとするなら、もしかすると鍵を握っているのはこの男かもしれない。
しかしその瞬間、結城のまなざしはかすかに揺らいだ。
「……そうだな」
言いかけたものの、その先の言葉をどう継ぐか考えている風だった。
「話せば長くなる」
そう言ったきり黙っていた。しばらく待っていたが、続く言葉はなかった。
「―――ただ」
窓から射す陽光が、白衣とワイシャツに跳ね返る。かすかに眩しげに目を細め、やがて結城はゆっ
くりと目を上げた。
「その時、僕は誓った」
黒い瞳に溢れる感情を押し殺し、何とか平静を保とうとしている。そのまなざしを、確かにどこ
かで見た事がある―――と風見は思う。
「たとえ何があろうとも、君の友人であり続けると」
いきなり何を大袈裟な、と思いながらも、揺れ動きながらも精一杯に言葉を継いでいるその面差
しを、思い出せないのがもどかしかった。
(知っているのに)
そう思った瞬間、頭の左側にかすかに痛みが走った。
眉を寄せてその痛みを宥め、風見は結城を眺めた。
くっきりとした真昼の光の中で、まるで子供の頃から着慣れているような白衣にその身を包み
ながら、どこかその姿は所在なげにも見えた。何をためらっているのかは知らない。しかし語れ
るだけの言葉で自分に対しようとしているこの男は、確かに自分の友人に違いない。
そんな気がした。
「……まあ、別にいいんですが」
何も困らせるつもりはなかったのだ、とクッションに頭を預けたまま肩をすくめ、風見は少し唇
の端を上げてみせた。
(……すまない)
自分はまだ納得できずにいるのだ、と結城は思う。
自分が知っている「風見」と、今の風見との微妙なずれを。無防備な笑顔、不安を隠さないま
なざし。見知らぬ友人である自分に探りを入れようと向けてくる無邪気すぎる言葉のひとつひと
つを、受け止めるだけで精一杯だった。
だが自分よりも、不安なのは風見の方だ。
ここに居るのは、昨日までの平和な生活が明日も明後日も続くのだと疑いもしなかったそのま
まに、いきなり何年も先の未来へ送り込まれた一人の青年だった。
それでも出会った時の話はまだできない―――と思う。
「それより」
気詰まりな沈黙を何とか切り替えようと、いかにも思い出した、という風に急いで話題を変えた。
「その、『結城さん』や『貴方』は止めてくれないか」
今の風見にとって自分は初対面に近い相手だ。それは分かっているのだが、他人行儀な呼び方を
されるとどうにも落ち着かないのも確かだった。
(……結城さんですね)
どうも自分まで、初めて会った時の事を思い出してしまうではないか。
(貴方は何故、ライダーマンになったんです)
信じていたデストロンを追われ、この世の何もかも敵と身構えていた自分に、あの時の風見は何
一つためらう風もなかった。自分の理不尽な怒りも正面から受け止め、まっすぐな言葉でただ真
実だけを告げた。その口調から距離をおいた丁寧さが消え、ほとんど今と変わらない口調になる
のに、しかしあの時は一日とかからなかったのだが。
「同い年なんだ」
そしてそれを知ったのは、随分後になっての事だった。
そもそも元々年上だの年下だのと細かい事を気にかけるような男ではなかったから、同じ年だ
からといって別に何が変わる訳でもなかったが。
「……そうなのか」
それでも少し、風見の表情は和らいだようにも見えた。天井へ視線を向け、独り言のように呟く。
「そう言えば本郷さんにも、もう何年もの付き合いになると聞いていたな」
理解不能な事態にあって、それでも風見は自分の置かれた状況を何とか受け入れ対応しようとし
ている。
「なら、確かに『貴方』はおかしいのか」
自分に言い聞かせるように呟いた。何を聞かされてもその動揺を、あからさまに見せようとはし
ない。
そんな処も、いかにも風見らしい―――とふと思う。
「……だが、何て呼んでいたんだろうな」
呟いた風見の横顔にかすかに苦痛の色が浮かんでいるのに、そしてようやく結城は気づいた。
「痛むのか」
触れたこめかみが微熱を帯びているのに、眉を寄せる。
「ちょっと待っていろ」
言いおいてキッチンへ向かった。
手袋を外して手拭いをシンクに浸け、手早く水気をきって絞る。畳み直した手拭いを、そっと
こめかみから額に押し当てた。
「すまない、喋りすぎたな」
風見の脳のスキャンは、昨日の内に完了している。おそらくは思い出そうとする気持ちが脳を刺
激した為に、過剰な反応を引き起こしているのだろう。
額からこめかみへかけて手拭いで押さえていると、やがてかすかに息をついて風見の目がまっ
すぐに見上げた。
「……大丈夫だ」
そう言われても包帯越しにまだこめかみの熱さが感じとれて、結城は手を離せずにいた。
「風見」
声をかけると、風見はのろのろと手を伸ばした。手拭いを自分で押さえようとする指先が、右手
の甲をかすめる。怪訝そうな色がふとその横顔に浮かんだのに、はっと結城は手を引いた。
(しまった)
うっかりさっき手袋を外したままになっていたのだ。慌てて左手で押さえかけて諦める。
もう遅い。
風見の目は、右手に向けられていた。
「……その手は」
あけすけに見るのは不躾にすぎる、という遠慮はあるらしい。幾らか伏し目がちに、しかし風見
の視線は右手に注がれている。人の手の形を模しながら、肌色に塗装されたその硬質の外観はくっ
きりと異質だった。
「ああ、この手か」
風見に気づかれないように、息を整える。作った笑顔が、空々しく見えないといい―――と思った。
「この手は義手なんだ」
「義手?」
ああ、と左手で右手の甲を撫でる。風見にも良く見えるように、そっと毛布の上に置いた。
「切断しなくてはならなくなった右腕の代わりに、着けた機械の腕だ。だが今は生身の腕のよう
に動かせる」
向けられる風見の目は、かつての自分の目だ。
(この身体は)
そんな言葉で自らの身体が生身でない事を告げた風見を見ていた時の自分の目は、おそらくもっ
とあけすけな恐れを帯びていた筈だ。人の姿をしながら人間離れした力をもつものへの根源的な
恐れが、どれだけ相手を傷つけるかなど思いも寄らずに。
(だから)
自分はこのまなざしを、正面から受け止めなくてはならない。
そう思いながらも、陽光の下であらわになるその右腕の輪郭は自分でもいかにも作り物めいて
見えた。その時である。
ゆっくりと伸びた風見の右手が触れかかる感触に、指の関節が音もなく軋んだ。
「……風見」
「君が造ったのか」
言葉のように柔らかく、静かにその指は触れてくる。
「凄いな」
おそらくは、自分に引け目を感じさせまいとしているのだろう。屈託なく見上げてくるそのまな
ざしを、ついに結城は受け止めきれなくなっている。
この腕にかつて込められた執念も刻まれた過去も、今の風見は知らないのだ。当の風見自身が、
既に生身の身体でない事を知らないのと同じに。それを告げるのは、今でさえ《未来》を何とか
受け容れようとしている風見にとっては酷すぎる。
だがそっと触れかかってくるその手もまた、超人的な力を発揮する改造人間の手なのだと。そ
の真実を明かさないのは不誠実ではないのか。そう諌める心と、これ以上混乱させたくない、と
思う心がせめぎあう。
思わず窓へ逸らされた結城の目が、ふと細められた。
「どうした?」
怪訝そうに問いかけてくる風見の指の下から無言で手を抜いて、結城は窓の傍にそっと近づいた。
(……居るな)
結城の耳は、押し殺した息遣いを窓の外に聞きとっている。見つからないように身を潜め、やり
過ごすつもりらしいが、そうは行かない。随分自分も見くびられたものだ、と苦笑する。
単なる他チームの偵察か、それとも―――。
(敵か)
右手をゆっくりと窓枠に添わせ、左手でベッドの下を探る。ライダーマンのマスクを収めたケー
スの把手を指先で引き寄せて、ふと風見を振り仰いだ。
「―――何でもない」
安心させようと微笑したつもりだったが、うまく行ったかどうかは分からなかった。風見の表情
を確かめる余裕もなかった。思いきり窓を押し開けざま、窓枠に右手をかけて身を翻す。
屋根から覗いた太陽が、眩しく光った。
目視できなくても、気配で相手の位置くらいは掴める。
(狙いは―――風見か)
風見の目が届かない屋外ならばライダーマンに変身して戦える、と思いながら、その一瞬僅かな
隙ができたのを、後になって結城は苦く思い出す事になる。
壁の下に潜んでいた人影が、はっとこちらへ向き直った。半ば予想していた黒装束の戦闘員で
はなく、開襟シャツにスラックス姿の青年だった。目が合った瞬間、しかし結城は立ちすくんで
いる。
(……まさか)
そこにどんな異形が―――あるいは再生怪人が居たとしても、驚かない筈だった。
だが明るい陽光の下、こちらを見上げた面差しに一瞬微笑みかけられたようにも見えて、結城
の身体はそのまま固まっている。その名を呼ぼうとした声は、しかし喉元で止まっていた。
そんな訳がない、と理性が囁く。次の瞬間その僅かな隙をついて繰り出された蹴りが、結城の
腹を捉えていた。
(しまった)
とっさに引いて急所をかわし、どうにか踏み止まったものの体勢は崩れている。ぱっと身を翻し
てウッドデッキの柵を軽々と飛び越えていく赤いシャツの背中が視界の端をかすめたが、伸ばし
た手は僅かに遅く空を掴んだ。
「……どうしたんだ」
窓から覗いた風見の顔を、そして結城は一瞬、初めて見る顔のように仰いでいる。
「何かあったのか?」
怪訝そうになおも問いかけてくるその顔色はまだ少し悪かったが、どうやら頭痛は治まったらし
い。
「いや」
それが答になっていない事は分かっていたが、それ以上は何も言えないまま、結城は森の向こう
を見やった。
だがそこには、眩しく陽光を照り返す深緑の木々が僅かな風に揺れているばかりだった。
四
遠く聞こえるエンジン音に耳をすまし、結城は腕時計を見た。大したものだ、と思う。一時間
も走らない内に、もうマシンの癖を掴み始めている。流石は風見だ、と思いながら、なだらかな
坂をこちらへ向かってくる影が少しずつ大きくなってくるのを眺めていた。
「お、早いな。もう走ってんのかよ」
「はい」
結城は振り返らずに答えた。
「とにかくマシンに慣れて、一度は本番のコースを走っておいた方がいいだろうと」
「まあ、なあ」
不意に近くなった気配に見やると、頬を乾いた風が吹き抜けた。一文字は手すりに頬杖をつき、
片手をひらひらと高く振った。
「―――何だ、今頃起きてきたのか」
コテージの前で砂煙を上げて、マシンが止まった。先行していた本郷が片手を上げて応える。
御挨拶だな、と一文字は苦笑した。
本郷のすぐ後ろから、ゆっくりとブレーキをかけて風見もマシンを止める。ゴーグルをヘル
メットの上に外し、デッキの一文字と結城に笑って手を振った。まだ頭の包帯は取れてはいな
いが、ヘルメットの下に隠れてそれとは判らない。
おう、と明るく笑い返す一文字を横に、結城はまた心が波立つのを感じる。その不安が、ど
こから来るものかも解っていた。
「それじゃ、これから本番のコースを流してくる」
言いながらも結城の返事は待たず、本郷は再びエンジンの回転数を上げている。行くぞ、と声
をかけられ、はい、と風見もハンドルを握り直した。
二台のマシンは再びコテージ前の道を抜けて、森を回り込むカーブの向こうへ消えていく。
「風見にしても俺達にしても、余計な事をあれこれ考えても仕方ないか。本郷の言う通り、こ
こまで来て下りる訳には行かないしな」
独りごちて、一文字はかすかに目を細めた。
その横顔を、結城は眺めている。
いつもは明るく屈託ない印象が先に立つその黒い瞳が、いつになく底知れない光を含んで見
えた。ぼんやりとただ遠くを見ているようでありながら、自分の考えまで見透かされているよ
うな不思議な感覚は、しかし不快ではなかった。
「……一文字さん」
「それにしてもいい走りするよなあ、風見の奴」
ふと呟く。どうやら一文字の目には、遠く森の彼方に消えかけている風見の姿がはっきりと見
てとれているらしかった。
「そんなに単純な奴って訳でもないのにな。不思議なくらい雑念のない、まっすぐな走りだ。
そう思うだろ?」
はい、と結城は答えている。
純粋にタイムを競うレースであるにもかかわらず―――あるいは、だからこそ―――その走り
方には性格が出るらしい、というのが結城にも判ってきたのは最近の事だったが。
一瞬の判断が明暗を分けるからこそ、その瞬間には人間としての資質が覗く。駆け引きや計
算は経験で身につくが、その底にあるものはそう簡単には変わらない。おそらくはデストロン
との戦いで慎重になりもし、言葉は悪いが随分したたかにもなったのだろうが、そんな風見の
走りは大胆でむしろ大らかだった。
「面白い位、変わらないもんだな」
ぽつりと呟かれた言葉の意味を、しかし一瞬結城は掴みかねている。
「……昔っから、あんなだったぞ」
そんな戸惑いも見透かしたように、一文字がちらりと視線だけ上げた。
「何があったって人間、そうそう根っこは何も変わらないって事だ」
「……ですが」
おそらく自分は何か言おうとしたのだと思う。しかしその言葉を、一文字のまなざしが制して
いる。
「少なくともここ何年かの話なら、俺達よりはお前の方がよっぽど風見の近くに居た筈だ」
そうだろう、と向けた笑顔は、どこか諌めるような色を帯びている。組んだ手を内側に垂らし、
背を丸めて手首に顎を乗せると、独り言のように呟いた。
「なんてのも、余計なお世話って奴か」
悪い悪い、と肩をすくめて、更に目を凝らす。
「昨日の話が事の真相だとすれば、どのみち風見を放っておく筈がない。だとすれば、いっそ
こっちからお膳立てしてやった方が手っ取り早いってのには賛成だ。風見を囮にするってのは
正直ちょっと気は乗らないが」
くしゃくしゃと髪を掻き、その手の下からまた結城を見やる。
「まあ何かあったら、その時はお前も風見を守るからいいか」
振仰ぐと途端にとまどったような表情になる科学者に、何だよ困ったな、と笑いかける。そん
な覚悟は充分できているのだろうに、この後輩はどうも自分達に必要以上に気後れしているら
しい―――と思う時があった。
「何だよ、そんな面喰らったようなツラして」
いえ、と結城が笑った。
「……ただ、本郷さんと同じ事を言うんだと思って」
「本郷?」
そんな事言ってたか、と一文字は視線を宙へ上げる。
風見が突き止めようとしていたものと繋がるかどうかは解らないが、と前置きした上で、本
郷は以前から研究の傍ら《敵》の動向を探っていた隣国へ向かっている。戻ってきたのは、昨
晩遅くの事だった。
(なかなか手強い先生だったな)
そう言って苦笑いした。かねてより《敵》に狙われているのではないかとマークしていた脳生
理学の科学者に半ばハッタリ紛いのカマをかけてみたものの、期待したような情報は得られな
かったらしい。だが本郷なりに謎に迫る手応えはあったようだった。
(確証はないが、とにかくここで下りる訳には行かん。風見が姿を現せば、敵は必ず何らかの
動きを見せてくる筈だ)
(ですが今の風見に、あのコースを走らせると言うんですか)
レーサーとしての経験も、ここ数年分の記憶と共に失っている状態の風見だ。その上に、もし
も今回の事故の原因が《敵》にあるとしたら、衆目のあるレースとは言え何が待ち構えている
か解らない。しかし本郷のまなざしは揺るがなかった。
(それしかあるまい)
(……そうだよなあ)
その少し前に帰ってきてそのままソファで寝ていた一文字が、のんびりと口を挟んだのはその
時である。
一文字は一文字で、別の事件を追っている最中だった。海峡をひとつ越えて話を聞きに行っ
た航空力学の専門家がくれたという何冊もの資料が、どれも読みさしのまま傍のテーブルに放
り出されている。まだ半分以上眠っているらしく、ほとんど閉じた瞼の間からちらりと瞳が光っ
たようにも見えたが定かではなかった。
(まあ、大丈夫だろうよ)
面倒げにそう呟くと、また腕を組み背を丸めてごろりと向こうへ寝返りをうった。話を聞いて
いて相槌をうったのか、それとも寝ぼけていて適当な合の手をいれたのか、判じかねて結城は
しばらくその背中をただ眺めていたようでもあった。
(……そういう事だな)
ふっと微笑んで、本郷は再び視線を結城に戻した。
(君はどうも甘く見過ぎている。たとえ自分が何者なのか、まだ思い出していないにしても)
かすかに苦笑したようだった。
(あいつは風見志郎だ)
違うか、と笑いかける。
(本郷さん)
ですが―――と再び言いかけて、結城はそのまなざしの前に言葉を失っている。
(それにその時は、君も風見を守るだろう?)
同じ仮面ライダーとして。
本郷の瞳が、そう言っていた。
風が吹き過ぎた。
「ああ、そう言や何だか言ってたなあ」
半分寝てたから忘れてた、と一文字は独りごちた。
「おおかた、それに風見は風見だ、とでも言ったか」
どうして、と振り返った結城に、にやりと片目をつぶってみせる。
「まあ、これだけつきあいも長いとな。自慢じゃないがツーカーみたいなもんだ」
それでいいのだろうか、と結城は思った。
先輩達はそれぞれに、何かを見定めているのかもしれない。しかし道に残された轍を眺めな
がら、まだ納得できていない自分を結城は持て余している。
自分達はあんな風に無防備に笑う風見を、敵が待ち構えていると解っていてレースに出そう
としているのだ。その身体に超人的な能力を備えているとも知らず、無意識下に通常のパワー
も制御されている今の風見は、生身の人間とほとんど変わるまい。そして気掛かりなのは、そ
ればかりではなかった。
(僕は本当に、風見を守れるのか)
昨日取り逃がした謎の青年の事を、結城はまだ本郷にも一文字にも話していない。言葉にす
るのを、どこかで恐れているのかもしれなかった。
自分の見たものが幻か、見間違いならいい、と思う。だが。
木立をわたってくる風が、不意にむせかえるような蒸し暑さを孕んだように結城は錯覚する。
それは―――二年前の故国から吹いてくる風だった。
五
ソファの乾いた固さが、しっくりと掌を受け止めている。
物心ついた頃から自分の定位置だったソファの背に両手をかけ、風見は見慣れた自宅の居間
を見ているのだった。
夢なのか、とぼんやりと思う。今の自分は外国に居る筈だ。
それともそちらが夢で、こちらが本当なのだろうか。そちらの方が、余程真実に思えた。
指を伸ばすと、ソファの布地の感触にしんと心が落ち着く。
向かいのソファには、いつものように父親が座っているらしい。もたれかかるようにゆった
りと座っているその姿の輪郭はかろうじて見てとれたが、僅かに俯き加減の顔が暗くて見えな
いのが妙に不安になった。
(……暗いな)
庭に面した窓を細かな柄まで記憶のままの分厚いカーテンに閉ざして、室内は薄闇に満たされ
ている。どうして灯を点けないのだろう、といぶかしく思い、見やったスタンドの陰に何者か
が潜んでいるのに気づく。
ふっと背筋が寒くなるような空気が漂う。薄闇の内からその何者かが―――姿を現した。
奇妙な輪郭が、おぼろに浮かぶ。
人間でもない。獣でもない。僅かに猫背めいた丸みを描くその頭部から背中を飾る長い毛並
が、さあっと逆立った。
(何なんだ)
本能的な恐怖に、知らず身がすくんでいた。
目の前に居るのは―――何者なのか。
人間のように直立しているにもかからわらず、その頭部の両側には獣めいた耳が和毛を宿し、
大きく裂けた口元から覗く牙は僅かな光を跳ね返している。一体この化け物は何なんだ、と自
問しながら、どこかで自分はそれを知っているように思う。
この先に、何が待つのかも。
風見は身動きひとつできないまま、闇の中からその姿がひらりと身を躍らせるのを見ていた。
禍々しく光った肉食獣の目の視線を追ってはっと振り返ると、逃げ場を失い身を寄せあう母と
妹の姿があった。
(まさか)
ソファにくつろいでいると見えた父親は、もう―――。
雷に打たれたようにそう思い当たった瞬間、目の前で展開されている光景を、自分はずっと
昔に見ているのだと遠く囁く声を聞く。それは今の自分にとっては未来だが、本来の自分の意
識からすれば既に起きてしまった過去の記憶なのだと。
だとすればこの先の光景を、自分は見ている。何が起こるのかも分かっている。
そう思いながらも、目を逸らせなかった。
巨大な鋏の先端が青白く光った。
(止せ)
そう叫ぼうとした、その時である。
鋭い刃先は、音もなく食い入っている。抵抗する術もなく柔らかな肉を切り裂かれる断末魔
の悲鳴が、掠れて長く尾を引いた。
耳を塞ぐ事も目を閉じる事もできず、ただその名を呼ぼうとした声は絶叫になったろうか。
(父さん、母さん……雪子!)
目が覚めたのだと気づくのに少しかかった。
息が上がり、四肢が強ばっている。
(……夢か)
のろのろと起き上がると、背を汗が滑り落ちた。ひいやりと速いその感触に、俄に目が覚めて
くる。夢の残響の消えた耳の奥に、やがて静かに届き始めるのが雨の音だと気づくのに、しば
らくかかった。夕方から降り出した雨は、夜半になって随分強まってきたらしい。
そうか、と思い出す。ここは外国だ。そもそも自分はもう大学生ではなく、国外に出て活躍
するレーサーになったのだ。昼間には本郷に併走して貰って、明日走るコースを実際に走って
きたではないか。
そう自分に言い聞かせる。
ましてや夢だ。
馬鹿馬鹿しい、と独り苦笑する。
子供でもあるまいに、怖い夢を見た位で何を自分は不安になっているのか。
だが少なくともこの三日間、一度も日本に連絡を取っていないのも確かだった。先輩達に連
絡を取る為に結城が自宅に電話を入れているなら、事故の話も伝わっているだろう。大した事
はないのだ、と連絡しなくては母や妹が心配するかもしれない。
急に頭を起こしたせいか、頭の片側がずきりと痛んだ。僅かな吐き気と嫌な感じの痛みを宥
めて、ゆっくりとベッドから下りる。
フットライトの光を頼りに、ベッドサイドのテーブルに置かれている電話を手に取った。
プッシュホンでも押し慣れた番号を何度も押して見たが、繋がる気配はない。
そう言えばここは日本ではないから普通にかけても駄目なのか、とようやく思い当たった。
国際電話でかけなくてはならない訳だが、生憎外国は―――今の自分は―――初めてで勝手が
解らない。何か説明書でもないか、とテーブルの下を探って手当たり次第にベッドの上に引っ
張り出したが、あるのはここ数日の新聞だけだ。
だがだからと言って、諦めるつもりもなかった。
とにかく今すぐに、家に電話をかけなくてはならない。
馬鹿馬鹿しい、とまた思う。だが無性に、家族の声が聞きたい。一言でも聞けば、それで良
いのだ。そして自分も元気だ、と伝えられればそれだけで良い。
それだけだ、と自分に言い聞かせながらなおも辺を見回していると、どきりと心臓が跳ねた。
奇妙な膨らみが、部屋の隅のソファの上に浮かび上がっている。さっきの夢のせいか、馬鹿
げた空想がちらりとかすめた。振り払って目をこらすと、肘掛けにもたせかけた黒髪の頭と、
襟元のボタンを緩めたワイシャツが闇の中でも僅かに光るのがやがて見定められてくる。
薄手の毛布を身体に巻きつけて、結城がソファに横になっているのだった。
(どうしてこんなところで)
結城の部屋は向かいにある。何もこんなところで寝る必要はない筈だ。そう思いながら、訳も
なくほっとしている。
「結城」
かすかにためらったが、ワイシャツの肩に手をかける。揺さぶろうとしたが、その前に小さく
息をついて黒い瞳がこちらを見上げた。どうした、と唇が動いた。
「国際電話のかけ方が分からないんだ。教えてくれ」
「国際電話?」
聞き返したがすぐに身体を起こすと、結城は立っていって受話器を取った。幾つかボタンを押
してから、風見に渡す。
「……こう押して、国番号の81。後は日本の電話番号の、頭の0を取ってかければいい」
ありがとう、と礼もそこそこに、風見はもどかしくボタンを押した。受話器を押し当てた耳の
中に、やがてかすかな接続音が届く。続く筈の呼出し音を待っていた風見の耳に、しかし届い
たのは予期していなかった声だった。
《……この電話番号は、使用されておりません。番号をお確かめの上……》
不意に背筋に寒気が走った。
(馬鹿な)
番号を押し間違えたのだろうか。手荒くフックを押して一旦切り、また教えられた通り番号を
押す。だがやはり戻ってきたのは、テープに吹き込まれたメッセージだけだった。今度は一言
聞き終わる前にフックを押し、念の為に受話器も戻してから改めて取り上げて慎重に番号を押
し直す。
しかし答えるのは同じ、無機的に穏やかなメッセージだけだった。それでもなおもかけ直そ
うと受話器を苛立たしく置きかけた、その時である。
「―――風見」
低い声が、風見の手を止めた。
「その番号は、もう繋がらない」
思わず力の抜けた指から受話器が滑り落ちて、故国から囁きかけるテープの音声が遠のいた。
「……あ、引越したのか?」
問いかける自分の声を、変に空々しく風見は聞いている。
これは嘘だ。
自分は―――返ってくる答を知っている。
薄闇の内で、結城の白いワイシャツだけが異様に浮き上がって見えた。
「そうじゃない」
その白さにいたたまれなくなったように、結城の声が大きく響く。
「……風見」
思い切ったようにそう切り出したものの、しばらく言いかけてはその言葉を飲み込んでいるよ
うだった。しかしようやく決心がついたのか、結城はまっすぐにこちらを見据えた。
「君の御家族は、もう亡くなられている」
暗い部屋を、窓の外に降る雨の音が満たした。
「……冗談だろう?」
聞き返した自分の声は、かすかに笑い混じりに震えていたようにも思う。少なくとも自分の知
る限り、両親は健康そのものだったし―――ましてや妹はまだほんの子供のようなものだった。
そんな筈は、と思いながらも、目の前のまなざしが、これは夢でも嘘でもないと語っていた。
停止しかかりそうな思考を、どうにか巡らせて問い直す。
「―――事故か?」
しかし結城の目は、なおも真剣だった。
「いや」
そうだ、と風見は思う。自分は知っている―――だが何を知っているのかは、やはり思い出せな
かった。
「……落ち着いて聞いてくれ」
そう言いながらも、自分の言葉ひとつで胸が痛む程はっきりと表情が動く風見を、結城はかろ
うじて見つめている。
これも自分が負わなくてはならない責任だ。
「もう何年も前の話だが、この世界を征服しようと企む組織があった。優れた技術力と、国家
の枠組みを越えた強大な力をもつ組織だ……名前をデストロンと言う」
目の前に居る風見にその頃会えていたら、と訳もなく思った。
「君はあるきっかけから、その組織に狙われる事になった。君自身は命はとりとめたものの」
自分の知らない惨劇を映したこの目にもっと早く出会っていたら、何かは変わっていたろうか。
罪も無い人々を手にかけるのに何ひとつためらわず、年端もいかない少女まで惨殺する―――自
分の信じた組織は、まさに悪魔の化身だったのだと。
「御家族はその時、デストロンに殺されている」
思えばそれを聞いたのも、風見からだったのだ―――と思い出していた。
(デストロンは……俺の家族も)
風見の目が大きく見開かれるのを、いたたまれなく見つめる。
「そして君は全てを捨てて、デストロンとの戦いに向かったんだ」
ここに居る風見は、まさにその悲劇に対した時の風見なのだと思う。持ち前の正義感から関わっ
た事件が、自分の運命すら変えてしまうものだったと知って茫然とする瞳だ。
「―――昨日、どうやって僕らが出会ったのか聞いたな」
ならばこの瞳にも、自分はもっと早く向かい合わなくてはならなかったのだと。
「僕らは、その戦いの中で出会った。―――その頃、僕は」
風向きが変わったのか、俄に雨音が窓ガラスを激しく叩いた。
「君の御家族を殺した、デストロンの科学者だった」
何を言われているのか、理解するのに随分時間がかかったようにも思う。
「……何なんだ」
声が知らず掠れて、風見は苛立たしく咳払いした。
「本気で言ってるのか」
言いかけて、目の前の瞳の色に絶句する。
悪ふざけや冗談で、こんな話をするような人間ではない。
「両親も妹も」
思わず膝から力が抜けて、風見はベットに腰を下ろしている。ふらつく身体を支えようとした手
が、放り出したままの新聞を乱した。乾いてけば立つ感触は、夢の中で掴んでいたソファの布地
よりもはっきりと触れて意識を醒ます。
「殺されただと……?」
足元から照らし出すフットライトの光が、目の前に立っている整った面差しに微妙な陰影を刻ん
でいる。無言のまま自分の視線に耐えようとするその表情に、不意に怒りが込み上げた。
そんな落ち着き払った顔で、昔からの友人のような顔をして、自分の前に立つというのか。
家族を殺した組織の一味だと言いながら。
次の瞬間、白い紙がおぼろな光にひらめいた。
「……よくもそんな事が」
息が上がった。握りしめた新聞の感触が、指先にざらつく。力任せに打ちつけてちぎれた紙片が、
季節外れの雪のように舞った。
したたか頬を打たれながら微動だにせず、薄闇の中に結城はじっと立っている。
その瞳はまっすぐに自分を見つめていた。たとえどんな言葉を投げつけられどんな仕打ちを受
けようとも、黙って受け止めよう―――と言いたげに。
そしてそのまなざしが、また記憶のどこかに触れる。
かつてこれと良く似た光景を、自分は見ている。もうめったに取り乱す事などない筈の自分だっ
たが、どうしようもなく怒りが溢れた。その時やはり、このまなざしは今と同じように自分の感
情の前に不器用に立ち塞がったのだ―――と思い出す。
憎んでも良かったのかもしれない。
だが。
憎悪よりも強い感情が、確かに自分を支えていた。それは自分の存在そのものを支え続けてき
た、静かで強い力だ。
そこまで解っているのに、肝心な事は何故思い出せないのだろう。無性にやりきれない気持ち
が喉元まで突き上げてきて、知らず足が動いていた。
「……風見」
「放っておいてくれ」
言い捨ててドアを開ける。
天井のライトがぼんやりと長い廊下を照らしている。見やるとすぐ横手にドアがあった。開け
放つと、肌にまとわりつく湿気と激しい雨が一斉に吹き込んでくる。だがためらわずに、そのま
ま外へ駆け出した。
「風見!」
背後から結城の声が追いかけてくる。振り払おうと、泥に汚れるのも構わず素足のまま走り出た。
外は街灯もない闇だったが、窓から洩れる光がおぼろに道の小石や枝葉を浮かび上がらせてい
る。雨に光る砂利道に、マシンが置かれていた。自分がオフロード用にもう何年も使ってきたマ
シンだ、と言われてもなかなかぴんと来なかったそのハンドルを縋るように掴む。
湿ったグリップの感触はしっくりと掌に馴染んだ。
その感覚に、もどかしくスタンドを跳ね上げてマシンを引く。踏み込んだ足で駆動するエンジ
ンの震動が、身体に低く響く。その鼓動のような確かさをなおも強く引き寄せようとしたが、し
かし気持ちに身体がついて来なかった。あっと思う間もなくマシンごと横転し、風見は水たまり
の浮いた路面に投げ出されている。
「―――風見」
結城の手がハンドルを掴んで、軽々とマシンを引き起こした。
「無茶はするな」
外傷はもうほとんど完治しているとは言え、頭の傷だけに甘くは見られない。横倒しになったマ
シンのエンジン音が、低い嗚咽のように途切れ途切れに響く。
大粒の雨が、容赦なく叩きつけてくる。とにかく早くコテージへ戻らなくては、と風見の身体
を支え起こそうとした手は、しかし手荒く払われている。
「風見」
砂の貼りついた風見の手が、ぎゅっと握りしめられる。
「……もし俺が、家に電話をかける気を起こさなかったら」
その声は掠れていたが、雨音に消されない確かな響きを貯えていた。
「君は俺の家族の事を、ずっと黙っているつもりだった」
違うか、と無言で問いかけられて、しかし結城は返す言葉を失っている。
確かに風見の記憶が戻るのを待てれば―――告げずに済むなら、その方が良いと確かに思って
いた。ましてやレースは待ってはくれない。記憶が戻るのが間に合わないなら、真実を知らせれ
ばかえって風見を混乱させかねない。
余計な事はできるだけ告げるまい、と思っていたのだったが。
だがそれは、自分が恐れていた為だけではなかったのか。真実を知った今の風見の目に見つめ
られる事を。
「だから俺は、思い出したいんだ」
何を、と問い返した自分の声を、結城は他人の声のように聞いている。
「……白々しいな」
濡れて額に貼りついた前髪の下から、風見の目が斜に結城を仰ぐ。
「家族の事だけじゃない」
しかしそこには憎悪も嫌悪もなく、ただ闇の内でさえはっきりと見定められる光があった。
「君も先輩達も、まだ俺に何か肝心な事を隠している。違うか?」
目を逸らしてはいけない、と結城は思う。
そこにあるのは、かつて自ら改造人間になる事を望んだという、強い意志だ。
「それ位は判る」
呟いた声は、僅かに掠れた。
おそらく隠されている理由が、自分を深く傷つけるものだろうと判っていても―――しかしそれ
でも、真実を知ろうとする。
「だが」
だからと言って、こんな無茶をして何になるというのか。そう言いかけたその時、結城の右腕は
強い力で掴まれている。
「教えてくれないなら、自分で思い出すだけだ」
結城の右腕に縋るように身体を起こし、風見はまっすぐに視線を上げた。その瞳の色に、結城は
ふと胸をつかれている。
懐かしい瞳だった。
それはもう何年も前、自分がまだ真実の重さにうちひしがれていた頃、そこから逃げるな―――
と無言の内に語り続けていた瞳だ。
(……そうか)
目の前に居るのは仮面ライダーなのだ、と目の醒めるように結城は悟っている。
マシンを駆って走り、風を受ける事によって、意志と力をその身に享ける者だ。たとえ自分が
何者であるかの記憶を失っても―――それが変わる事はないのだと。
言うべきなのか、とちらりと思った。
もうここまで明かしてしまった以上、何を聞いても風見が動じる事はあるまい。それならばいっ
そ彼が持っている力を、自分とも分かち合う事になった使命を、打ち明けるのは今ではないか。
そう思いながら、しかしどうしても言葉は継げなかった。
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