パラダイスロスト(仮面ライダーV3)

「回帰線」(2002.3.18)初出


     一

 見上げる空は晴れて一片の雲もない。
 その空の彼方はとおく海に接し、その果てから静かに打ち寄せる波が、灰白色の砂浜に寄せては白い泡を残して引いていく。その砂の上に残された足跡を辿るともなく歩を進めながら、結城丈二はまた眩しげにまばたきした。
 夏を迎えた伊豆の海は穏やかに青い。
 ゆるやかに寄せる波に風が渡れば一瞬、陽光が幾千もの光の粒となって撒かれ、重なる波に溶けて混然と打ち寄せる。間もなく全国的に訪れる夏休みともなれば海水浴客の裸を満遍なく焼く陽射しははるかに空高く、海岸を歩く人々の肩や髪に熱く眩しく照り返している。
 先を行く風見志郎の髪先が、風に吹かれては鈍い光を滑らせるのを、結城はさっきから見るともなしに眺めていた。
 戦いを終えて故国でつかの間の平和な時間を過ごした仮面ライダー達は、再びそれぞれに元の生活に戻る支度を整え始めていた。四人の中では最初に帰国していた風見だったが、今度は一番先に、中断していた用事の為に夕方の飛行機でイタリアに向かう事になっている。
 早くに亡くした両親から本郷が遺産として受け継いだ建物が、遠く臨む岬に白くどこか玩具めいた小綺麗な外観を見せていた。姿の見えないカモメが時折猫じみた鳴声で遠く呼び交わしているのと、遠い潮騒の他には聞こえるものもない、静かな海辺だった。
 もう一つの日常に戻ろうとする狭間のひとときも、しかしもう終わりを告げようとしている。
「…そろそろ行く」
風見が腕時計を見やった。
「そうか」
結城は答えながら、自分も時間を確かめた。
「それじゃ、また」
「ああ」
軽く手を上げると、風見は堤防の先に停めたハリケーンへ向かって歩き出した。その背中を、結城はふと見やる。
 次に会うのはいつになるのだろう。
 そんな事を思ったのは、別れを惜しんでいるからではなかった。むしろ先にこの場を離れたいと思っていたのは結城の方だったのだ。数カ月ぶりに再会してこのかた、いつも意識の隅に抱いていた密かなおそれは、どうやら現実にはならなさそうだった。内心ほっとしながら見送ろうとした、しかしその時である。
 風見の足がふと止まった。
「…忘れるところだった」
独りごちて、そのままふいときびすを返す。
 無表情のまま早足で戻ってくる風見を見つめながら、それでも結城はまだ気づかないふりをしていた。
 一体何だ、ととぼけて唇にのせかけた言葉は次の瞬間手荒く塞き止められている。
 ドライビンググローブをはめた手が、結城の左手首をぐいと掴み上げる。その向こうで、風見は見た事もない程恐い顔をしていた。
「…何だ、これは」
掴む指に力がこもって、それでもたじろがない自分に結城は奇妙な後ろめたさと―――同時に誇らしさを覚えている。風見は手加減していない。
 生身の腕ならば骨まで砕かれるような痛みに振り解いているだろう、その手に強く握られても自分はまだこの腕を委ねていられる。
「僕の腕だ」
結城も力をこめて答えた。
 風見の目がかすかに細められて、少し力が弛んだ。
 生身の皮膚と見紛う程に柔らかな人造皮膚の表面にうす赤く指の跡がついているのを、袖口をたぐって確かめると結城は溜息をついた。
 無言のまま風見の肩口を軽く小突くようにじゃれかかると、しかし邪険に躱された。風見はついと顎を上げ、斜に見下ろすように結城にきつい視線を向けている。
 結城はかすかに苦笑する。
(怒っているな…)
おそらく喜んで貰える筈もない事は、ずっと前から解っていた。
 あの爆発から九死に一生を得た時以来、自分に望まれていた明日を結城は知っている。
(お前は自由だ…)
デストロンが滅びた今、結城丈二に戦う理由はなかった。唯一の改造部分である右腕から戦いの記憶が消える事はないにせよ、日常の生活に違和感を覚える事は少ない筈だった。今度こそ、市井の一科学者として忙しくも穏やかな日々を重ねる事もできた筈なのだ。その手は二度と血に染まる事はなく、人類の幸福に寄与する科学の発展の為にペンを取り、ものを造り出す。時にはその手を止め、今なお世界のどこかで戦い続けている友人の事を思い出す事もあるだろう。
 そんな未来を、風見は自分に夢見たのだろうと結城は思う。もしかすると、彼自身の選べなかった道の代わりに。
(…ただそれだけでもいい)
そう語った友人は、だから結城が「こちら側」に立つ事を今でも本当には納得していないのだろう。
それも含めていつかはっきりと話をしなくては―――と思っていた。
 だからこそ、この左腕もあるのだ。
「…右腕とは少し設計が違うんだが」
「そんな事を聞いてるんじゃない」
案の定、すげなく風見に遮られて結城は溜息をついた。
「はぐらかすな。お前の左手は、…生身だった筈だ」
どうやら本当に怒らせてしまったらしい。
「…だった、な」
袖のボタンを外し、二の腕までたくしあげてその左腕を露にする。陽に透かして、傍目には殆ど見分けられない肘の内側の僅かな傷跡を示してみせた。
「ここから先は―――内部を機械に代えている。人工皮膚で縫合しているから取り外しはできないが、機能的には右腕とほぼ同じになっている。もう三ヶ月くらい使っているかな」
「俺は聞いてない」
風見の表情は固い。無表情なようでいて、一歩も妥協するつもりがないのが見てとれた。
「…そうだな」
ややあって、息をつくように結城は答えた。
 いつかは話をしなくてはならないと思っていた。どんな風に話そうか―――とも、いつもどこかで考え続けていたようにも思う。
 あの日以来密かに温めて来た自分の決意は、どう話せば伝わるのだろうか。
「…どこから話そうか」
風見に問いかけるというより独白のように呟いて、結城はふと空を仰いだ。
「あの子の事を覚えているか?」
言いさして、言葉を添える。
「…タヒチで僕を助けてくれた、あの兄弟だ。ティアレ…というのが弟の方だが、あの子が僕の見舞いに来てくれた時、君も居たろう。君がタヒチを離れる、少し前の事だったな」
返事はなかったが、風見が思い出している事は解っていた。



     二

 窓際に腰かけて、風見は随分長く南洋の豊饒な夕暮れに見入っていた―――と見えていた。
「来週、モスクワへ発とうと思う」
ベッドの頭側に積んだクッションに上体をもたせかけて本を読むふりをしていた結城は、唐突なその言葉で我に返っている。
「…モスクワ?」
ああ、と答えて風見は立ち上がり、ポケットから縒れた封筒を抜いて結城に渡した。
 封筒の表書きは、この一ヶ月逗留しているホテル宛になっている。
 デストロン壊滅後、新たなる戦線に向かうべく南太平洋ポリネシア諸島に向かった風見を待っていたのは、デストロンとの最終決戦の直前にプルトンロケットと運命を共にしたと思われていた結城との思わぬ再会だった。
 負傷してこの南の島に漂着した結城は、現地の少年に救われて一命をとりとめたものの、しかし自然治癒に頼るには深すぎる傷を負っていた。海岸近くの森の中の洞窟にまさかこの怪我のまま置いてもおかれまい、と考えない方がどうかしている。
 幸いこの海岸は、ちょっとした経緯で大きな観光地からは少しばかり離れた村に面していた。村に一軒のホテルは十数年前の建物で、島のあちこちに次々と最新型のリゾートホテルが立ち並び始めた今となっては、他に客の姿を見た事もない。元々商売気がなかったのか既に諦めてしまったのか、ホテルらしいサービスも無いに等しかった。だが逆に言えば、却って放っておいてくれる分ゆっくり落ち着いて療養できる、願ってもない環境でもあったのだ。
(君は君のやるべき事の為に来た筈だ…僕に気を回す必要はない)
しかしあきれる程の強情さは、どうやら一度死にかけた位では治らないらしい。
 相変わらず頑固で自分の力を省みない青年と、時に風見は険悪なやりとりまで繰り広げる羽目にはなった。もっとも風見が引き下がる筈もなかったのだが。
 そして啖呵をきっただけの事はあると言うべきか、結城もこの一ヶ月でおよそ常人離れした回復を遂げていた。なるべく余計な行動はしないで体力を取り戻した方が話が早いだろう、と風見は思ったのだが、ある意味互いに柄でもない状況に耐えられなくなるのは大体は生真面目な方である。起きられるようになるや、結城は毎日例の海岸へ出掛けていった。どうやら少しずつ行動範囲を広げているらしく、ここ数日は随分長く外出していたようだった。
(毎日毎日、どこまで行ってるんだ?)
(…ちょっとな)
風見に尋ねられると言葉は濁したが、流石に疲れたとみえて珍しくまだ陽が落ちる前から横になっている。本に没頭しているように見せて取り繕っているものの、さっきからともすれば本が指から滑り落ちかけるのに風見は気づいていた。今更そんな意地を張るこの男がおかしくもあり、それなら少し協力してやるか、と持ち出した会話は、実際いつ切り出すか―――と風見自身が考えていた話でもあった。
 風見のポケットの中で二日程温められていた手紙の差出人名を見て、結城は少しためらった。
「僕が読んでいいのか?」
軽く肩をすくめたのが風見の答えだった。
 毛布の上に手紙を広げる結城を眺めながら、風見は言葉を加える。
「…例の上陸地点を調べていた時に、機械の部品を幾つか拾ってな」
それは彼らの再会の場所でもあった。
 人里離れた海岸に上陸し、何か機械を組み立てようとしていたらしい謎の一団は、明らかにその肉体を改造された戦闘員だった。デストロンの壊滅の余韻もつかの間、新たな世界征服の野望の匂いを感じ取ってこのタヒチにやってきた風見の対すべき組織の尖兵にまず間違いはないだろう。
 しかしその先発隊を単身退けたものの人事不省に陥った結城と、事件に巻き込まれた子供達を風見が安全な場所へ運んでいる内に、一団の残党は機械を回収して姿を消している。
 それ以降、彼らの足取りは杳として掴めないままだった。
「何の部品か調べて貰ってたんだが、まだそっちは解らない。だが調べている内に、面白い事が解ってきた。その部品の鉄の中に含まれている微量元素の比率は、セレナコワ鉱山から産出される鉄と同一だというんだ。精錬前の鉱石が持ち出されて加工されたものと考えると、おのずと部品の作られた場所は限られてくる。後は現地調査で位置を特定すれば、重大な足掛かりになる」
「そうか」
読み終えた手紙を畳みながら、何か考えているように結城はどこか上の空に呟いた。
「どうかしたのか?」
「…いや」
言葉を濁して、しかし結城は明るく顔を上げた。
「それじゃ、君はこのままモスクワへ行くのか?」
「そのつもりだ」
正直なところ、まだ完治していない結城を数に数えて良いものかどうかは風見には判りかねた。そもそも、共に戦う―――という結城の言葉を一旦は受け入れながらも、まだどこかで本当に認めている訳ではない自分に風見は気づいている。しかし事態は急を告げており、少なくともあの日以降、この島に敵の動きらしいものはなかった。
「ザイールに居る本郷さんも、オーストリアの一文字さんもまだ調査途中で動けないらしい」
そんな事も考えあわせると、今のところ一番動きがとれるのは風見だったのだ。
「だから」
言いかけて、風見は戸口の気配にふと振り返った。
『…やあ』
それでも結城はどうにか笑いかける事ができた。
『今日は』
兄がはっきりした口調で挨拶しても、弟はもじもじと兄の後ろに隠れている。
 この島に流れ着いた結城を最初に発見し、助けてくれた兄弟の訪問はあの時以来だった。少年ライダー隊南大平洋支部の隊員を務める兄のアオレレは年に似合わず大人びて利発な少年だったが、弟のティアレは内気で殆ど口もきかない子供だった。そんな子供を危険に晒してしまった事が、結城には気にかかっていた。
 しかし自分に会えば、あの時の事を嫌でも思い出すだろう。子供が落ち着くまで―――さもなければ、もう会わないままこの島を離れようと結城は決めていた。
(…怖かったからな…)
いっそ忘れて貰った方が良いのかもしれない、とも思っていた。
『お、久しぶり』
ようやくアオレレを思い出したらしい風見が挨拶する。
『どうした?何かあったのか?』
『いえ』
少し笑って、アオレレは背中から弟の肩を押しやった。
『今日は付き添いです』
『付き添い?』
ほら、と兄に促されてティアレはおずおずと歩き出した。
 結城はどこか白日夢を見るような心持ちで、子供が近寄ってくるのを眺めている。
 一歩一歩を確かめるような緊張した顔で、ティアレはベッドの横までやってきた。
「…?」
まだ結城を見上げようとはしない子供のつぶらな瞳は、毛布の上に出されたままの機械の右手にじっと向けられている。それに気づいたが、結城も手を隠そうとはしなかった。
 風見は黙ってそれを見ていた。
 やがて褐色の柔らかい小さな指が、硬質の肌に触れるのを結城は感じる。握るには大きな手を、汗ばんで湿った温かい掌が掴もうとする感触が静かに伝わって、結城はあやうくその声を聞き逃すところだった。
『…ありがとう…』
それはほとんど息のような、小さな呟きだった。
『怪我しないように守ってくれて。ありがとうって、言いたかった』
礼を言うのは自分の方だ、と結城は思っていた。
 夕陽に照らされてはっきりと異形の外見をあらわにする右手は、柔らかな小さな手の下に確かに安らいでいた。

(長袖と黒い手袋の隙間から覗く結城の右手首は、滑らかに鈍く陽光をはね返している。
「…あの時から、僕はずっと考えていたんだと思う。デストロンが滅んだ今だからこそ、自分がこれからできる事は何なのか…話せば長くなるが、済まないな」
 風見は黙って聞いていたが、本題になかなか辿り着かないのに苛々しているのはその表情で解った。
 しかしそれでも、遮ろうとはしない。
 済まないな、ともう一度前置きして、結城はふと空を仰いだ。
 あの南国の空まで続く、夏の空だった。)



     三

 窓から射す夕陽が、机もレポート用紙も惜しみなく明るい朱に染めている。ようやく測定値の計算結果が出て、気づけばもう夕方だった。結城はすっかり凝ってしまった右肩を軽く回しながら、書きつけられた数値を改めて眺めた。
(…微調整の時の反応速度は平常時なら問題はないようだ…)
まさかこんな形で、この腕の動作テストをする羽目になるとは思ってもみなかった。
 それももう随分昔の話のようにも思えた。
 いよいよ終盤に近づきつつあった仮面ライダーV3とデストロンとの死闘をよそに、当時結城達デストロン科学者グループが研究していたのは、あんな事件がなければとうに完成していた筈の計画だった。全く新しいコンセプトに基づいた改造人間の設計は、しかし結局その一部である右腕が製作されたところで結城にかけられた疑惑によって中断されたのだ。
 そしてその試作品は、思わぬ形で実用化される事になったのだった―――他ならぬ結城自身の右腕として移植されたのが、デストロン内ではC計画と呼称されていたその計画の唯一の現物である。
 マスクの装着によって起動されるメカニズムは、勿論右腕だけのものではなかった。結城達が目指したのは、それまでとは全く逆の切り口からの身体改造技法である。身体の改造パーツがそれぞれに独立したシステムを持ち、各パーツに振り向ける力を変調させる事によってより効率的な戦闘を行える設計だった。
 結局は完成しないままデストロンの壊滅を見る事となったこの計画を、自分がまだ進めているのは何の為なのか、結城はあえて考えないふりをしている。
(解らないのは、最大パワーが予想値よりこんなに低い事か…)
右腕の内部に収められていた設計フィルムを見返してみたが、やはり問題はない。人目につかないよう深夜にこっそり繰り返した実験で、得られた右腕の能力値は設計段階の予想よりもかなり低いものだった。どこか破損しているのだろうか、と調べてみたが異常はなかった。
 だとすれば最初から自分はこの数値で戦ってきた事になる。あの頃はそんな事に気づく余裕もある筈もなかったが、よくデストロンを敵に回して戦ってきたものだ、と我ながら思った。
(このままではやはり、不完全という事だ…)
改造人間と渡り合う頼みの右腕の力を、何とか想定レベルまで持っていかなければ間に合わない。再び戦う日の為に、早く原因を突き止めなくては―――と思いながら、結城はなかなか進まない解析に少し苛立っていた。
 ふと向けた視線の先に、テーブルの上に置いたままの青いマスクがあった。不思議な偶然のように、結城が流れ着いたのと同じ海岸に日を前後して打ち上げられた、もう一つの結城の姿だ。なかなか材料が集まらず、修理には思ったより時間がかかった。
(…あちこち出掛けていたのはそれか)
町の部品屋やジャンク屋に通っていた理由を風見に話せたのは、ようやく修理の終わった―――風見がモスクワへ発つ前日の事だった。
(別に隠さなくても良いだろうに)
苦笑いしながらも、それじゃ後は頼むぞ、と言い残して風見がタヒチを離れてから一ヶ月が経っている。
(だが、このままではたとえライダーマンになったとしても)
まだ体調が完全に回復しておらず、思うように動けない自分にも歯がゆさは覚えていた。あれ以来《敵》の姿を見ていないとはいえ、その日は明日でもおかしくないのだ。いつ事態は急変するとも知れず、そしてその時は今度こそ、自分一人で戦わなくてはならなかった。
(今度は…風見は居ないのだから)
 とは言え一日に数回は、あの不審船が上陸した砂浜を見回ったりしているが、あれ以来何の異常もない。
 それとも見落としているだけという事はないだろうか、と思ったりもした。ほんの半年前までは研究室の外の世界すらほとんど知らなかった自分は、デストロンとの攻防を除けばほとんど素人も同然である。そもそも以前上陸を阻止された場所を、再度の侵入地点に選ぶとしたら、そこには余程の理由がなくてはなるまい。
 しかしそれならどうするか、と考えても一向に有効な考えは浮かんでこなかった。
 こんな時、風見ならどうするのだろうか、と何度も考えてみたが、思いつく程長い時間を一緒に過ごした訳でもないのに気づいて独り苦笑するばかりである。
(不思議だな…)
それでもほんの僅かな記憶を、今は拠り所のように思い出している。
 ふと視線を転じると、窓の外にはゆるゆると打ち寄せる南国の海と、その波を藍色と朱色の混然に光らせて、そろそろ一日の名残りを惜しむようにゆるやかに水平線に溶けかかる大きな太陽があった。
 思えばこの島に奇跡的に漂着して最初の記憶が、こんな穏やかな海辺の光景だった。
 この地上のあちこちで繰り広げられている闘争や差別や、そんな全ても知らぬ気に幾千回―――幾万回となく繰り返されてきたのだろうその静かな夕暮れの海を、結城はしばらく眺めていた。

 そんな日は、決まって同じ夢を見た。
 夢の内では、故国の空も山道も灰色にくすんでいる。それはどこかで見た筈の風景だったが、どうしても思い出す事はできなかった。
 けれどその単色の風景の内に、ただひとつ鮮やかな色彩を纏うものがある。
 見慣れた黒い皮の上下と、濃い栗色の髪とは過ぎる風に吹かれて時折鈍い光を走らせた。
(…風見)
その名を呼んだようでもあったが、風見は黙ったまま、じっと遠くを見つめている。何を見ているのか、とその視線を追っても、自分の目に映るのは灰色の空と山ばかりだ。
 風見はそれでも何かを見つめている。
 それだけは確かな事で、だから自分には見える筈もないと解っていても、ただひたすらに目をこらすのだ。

 ぼんやりと目を開けると、仰ぐ窓の外は鮮やかな常夏の青空だった。
(…そうか…ここは日本じゃなかったな)
 流れ着いてもう二ヶ月になろうとしているにもかかわらず、南国の空の色にはどこか馴染めないものを感じている。その圧倒的な明るさにむしろ憧憬にも似た感情を覚えながらも、同様にその底のない明るさは、どこかで結城を居たたまれない気分にさせる。
 ホテルには相変わらず他の客は居ないらしい。形ばかりのフロントに鍵を預けて出ようとしたところで、一日中暇を持て余している支配人が欠伸混じりにのろのろと封筒を差し出してよこした。
『―――手紙が来てるよ』
『僕に?』
聞き返して、受け取ろうとしたその時である。
 出した左手が、ひくりと震えてこわばった。
(…またか…)
あの爆発は、結城に癒える事のない傷を残している。もっともそれに結城自身気づいたのも、つい最近の事だった。
 どうやらどこか神経を傷めたらしく、時折左手が思うように動かなくなるのだ。
 いぶかしげな視線を向ける支配人に曖昧な微笑を返すと、手袋をした右手で封筒を受け取った。差出人の名前を見ると、結城はそのまま封筒をポケットに入れてホテルを出た。

 タヒチ島は珊瑚礁に囲まれた島である。ここ数年で急激にまた観光地化が進み、結城が逗留しているホテルからは三十分も歩かない内に、つい先日建てられたばかりの豪奢なリゾートホテルの外観が青空と深い森の間に我が物顔に現れる。更に少し行けば、外国人相手の洒落たレストランや土産物屋が並ぶ繁華街に出る。
 まだ結城が療養中の頃、暇を持て余しているだろうとアオレレが気を利かせて日本語の新聞の切り抜きを持ってきた事がある。南国の島々の現状を伝える連続レポートの一回だったらしい、その記事の見出しには「地上最後の楽園」の文字が躍っていた。
(綺麗な島だと思ったな)
飛行機で上空から島全体を見た風見が、そう言ったのも思い出す。
(環礁がぐるりと囲んで、島が守られているように見える)
一年中穏やかな遠浅の海と抜けるような青空は、ほぼ一年を通じて変わらないという。照りつける陽射しは強いが、吹く風は爽やかに乾いて日本の夏より余程しのぎやすい。
 故国の冬を逃れてこの南の島の常夏を満喫していた人々も、そろそろ帰国にかかり始めているらしい。先週来た時よりも、更に見てそれと解る外国人客の姿は少なくなっていた。
 スタンドで新聞を買い、近くの定食屋に入る。本国の風習にならって客の服装に目を配るリゾートホテルや近くのレストランとは違い、メインストリートも少し外れると、繁華街や近くで働く現地の人間を相手にする気楽な店が軒を連ねている。
 昼食時間をかなり過ぎていて、店は空いていた。近くの工場ででも働いているのだろう現地民が数人、賑やかに店の奥で何やら言い争いながらも楽しげに大皿の料理をつついている。一方の窓際では、綺麗に髪をなでつけた中国系らしい東洋人が、麻のスーツを横の席に無造作に引っかけ、熱心にラジオに聞き入っている。片手にビールのグラスを握りしめ、もう片手で手元に畳んだ新聞に何やら書き入れている。
 結城も適当な席に座り、見慣れたメニューを一瞥して注文した。人なつこい店主がカウンターの向こうから白い歯をちらりと見せて、レンジに火を入れる。油の焦げる匂いのたちこめる中で、結城は新聞を開いた。
 ざっと目を通した限りでは、奇妙な事件や怪しい現象も起こってはいないらしい。細かいところまで読むにはどのみちまだ辞書が要る。新聞を畳むと、結城はポケットから出がけに受け取った航空便の封筒を取り出した。
 どこからどうやって投函したのかは知らない文字の消印では解らなかったが、日付は丁度一週間前になっている。そして差出人の名前で、訳もなく結城は納得していた。
 紙質の悪い便箋は意外に達筆な文字を滲ませて読み辛かったが、どうやら国際電話をかけようとして、ホテルの番号が解らずに手紙にしたらしい―――という辺は何となく読み取れた。その文面は簡素に過ぎて何回読み返しても不足の分は想像で補うしかなかったが、読み進む程に、少し自分が困惑した顔になり始めているのに結城は気づいている。しかしそれは文面のせいばかりではなく、読み取れた内容のせいでもあった。
 風見はどうやらソ連のどこかで、敵に繋がる有力な手がかりを掴んだらしい。その連絡は同時に、彼の先輩達にも伝えられていた。そして風見の調査が、ザイールの仮面ライダー一号―――本郷猛の捜査と繋がり、それによって次の敵の動きはタヒチへ向かうという推論が導かれたのだという。そしてその線を追って、本郷がタヒチへ向かう筈だとも。
『お前の事は話してあるから』
当たり前のように書かれた連絡が、どれ程結城を戸惑わせるものか、きっと風見は気づいてもいないのだろう。それはそうか、と納得しながらも、結城は奇妙に居心地の悪い気分になっている。
『それまでに何かあったら下記まで連絡してくれ』
そう結ばれた下には、電話番号らしい数字の羅列が記されている。
 読み終えたところで、いつの間にかテーブルに料理の皿が置かれていたのに気づいた。とにかく食べてからもう少し考えよう、とスプーンを取った、その時である。
 戸口から射す真昼の光を遮って、新しい客が入ってきた。
 この南国では意外な程、東洋人の姿を見る事が多い。とは言えその殆どは中国人で、日本人にはまだ会った事は無かった。
(でも外国に行くと)
そんな話を助手に聞いたのは、まだデストロンに居た頃である。
(何でか日本人とそうじゃない東洋人って、ぱっと気づくんですよ…)
どうしてそんな話になったのだったか―――と思いながら、結城は目で追うともなくその男を眺めていた。このタヒチで初めて会った日本人は、この店は初めてらしい。どうやら勝手が解らずに、新客はきょろきょろと辺りを見回している。その視線が、ふと結城と合った。
 知らない相手を見つめる不躾に目を逸らす暇さえなかった。と言うよりも、目が離せなかったのだ。
 まさか、と理性は囁いた。しかし目の前で、信じられない―――という表情を同様に浮かべながらもみるみる目を輝かせる青年の姿は、紛れも無い現実だった。
「…高槻?」
結城の声は、それでもまだ疑わしく響いたかもしれない。
「結城さん!」
それはかつてデストロン科学者グループで、結城の助手を務めていた高槻巧だった。

 向かい側に座ると、高槻はメニューを選ぶのもそこそこにテーブルに肘を置いて結城を見つめた。
「…本当に、結城さんなんですね…」
それを問い返したいのは結城も同じだった。
 身に覚えのない裏切りの罪を着せられたあの日が、それまで寝食を共にしてきた助手達との別れになった。自分を処刑し損じたヨロイ元帥が、まだアジトに残されていた助手達にどんな腹いせをしているか。当時の結城にもそこまで思考を巡らすゆとりはなかった―――と言うよりも、どこかで諦めていたようにも思う。
「君達こそ」
自分に味方する存在を、あのヨロイ元帥がそのままにしておく筈がないとも思っていた。
「あれからどうしていた?」
それを聞かれるのを待っていた―――と言わんばかりに、高槻は身を乗り出した。
「もう僕らの方が、結城さんには会えないかと思いましたよ…」
コップの水を一口飲んで、ふと窓の外を見やる。
「あの…あんな事が起きて、でも結城さんが奴らから逃れられた事は僕達にもすぐに知れ渡りました。表向きには裏切って脱走されたって事にされてましたけど…でも勿論僕達は結城さんの味方ですから、そのまま御殿場に置いといて万が一手引きをされるような事になったらまずいとヨロイ元帥は思ったらしいです」
「良く生きていられたな…」
その時の事を思い出すと、結城の胸は疼く。自分を助ける為に、三人の助手は犠牲となったのだ。
「だって科学者グループ全員を処刑したら、デストロンだって終わりじゃないですか」
しかし事もなげに高槻はそう受け流した。
「それであの日の翌日でしたか…科学者グループはまた元のF市の研究所へ戻される事になったんです」
元々デストロン科学者グループは、人体改造を専門とする部門を除いて戦闘部隊とは独立した研究所を都下F市に構えていた。しかしいよいよデストロンの本格的な総力攻撃を控え、結城をリーダーとするグループ全体が、その準備の為に―――今にして思えば、既にそれだけデストロン自体が追い詰められていたという事の裏返しだったろうが―――戦闘部隊の主力であり、大幹部ヨロイ元帥の束ねる御殿場アジトへ合流し、共闘するよう命じられたのだ。「あの日」の僅か二十日程前の事だった。
「でも今になって思えば、それがかえって幸運だったのかもしれません」
「どういう事だ?」
「僕にもはっきりした事が解っている訳じゃないんですが」
そう前置きして、高槻は少し身を乗り出した。
「デストロンの敵は、どうやら仮面ライダーV3だけじゃなかったんです。それから少しして、二ヶ月位前でしたか…プルトンロケットの打ち上げが失敗した、すぐ後の話ですが」
失敗という事にされていたのか―――と結城は言いかけて止めた。そのロケットに自ら乗り込み、デストロンの切り札を潰したのは結城なのだと、それでは高槻は知らないのだ。
「F市のアジトは全滅しました。仮面ライダーV3ではなくて、別の組織の襲撃にやられたんです」
「別の組織?」
結城の眉が上がった。
「どういう事だ?」
「僕にも本当の所は解りませんけど…おそらく」
言いながら、高槻の声はその当時の事を思い出すように微かに震えた。
「デストロンが弱体化するのを、どこかで伺っていた組織があったって事だと思うんです。何の為にとか、そんな事は勿論解りませんが…ただもしかしたら、狙いはデストロンの科学技術だったのかもしれません」
知らず見開かれた結城のまなざしと、高槻の視線が合った。
「研究所はアジトじゃありませんでしたから、警備も手薄でした。丁度、仮面ライダーV3がヨロイ元帥を倒して、戦闘部隊もほぼ壊滅状態でしたから。奴らは労せずして研究所を占拠した…他のアジトの事は知りませんけど、もし残ったアジトがあったとしても、おそらく奴らが滅ぼしていたと思います」
「デストロンの残党を滅ぼすだけの力を持っていた…というのか」
結城は聞き返した。
「奴ら…と君が言う組織は、改造人間を作る技術を持っていたとでも言うのか」
「ええ」
高槻は身を乗り出し、声を潜めるようにしながらしっかりと囁いた。
「僕達を襲ったのは、デストロンの戦闘員と良く似た戦闘員でした。あれは生体と意識の改造を受けた汎用型の改造人間に間違いないですよ」
(…それでは…)
おぼろげに、結城の内で何かが形になり始めていた。
 あの日、海岸に上陸してきた黒装束の改造人間達は、一体どこから来たのか。彼らはデストロンではなかったが―――同じ根幹をもつ改造技術に拠る生体改造を受けていた。
 デストロンもその歴史上、突然に生まれてきた組織ではない。直系の組織ではないが、その前身にショッカーやゲルショッカーといった組織の一部を持ち、その組織の技術を受け継いでいる。
(あの時、僕が見たのは…)
デストロンに代わり―――そしてデストロンの技術と同じ野望を受け継いで、新たに動き始めようとする存在だったのだ。
「…僕らも逃げるのが精一杯でした」
沈黙を誤解したらしく、高槻は上目遣いに結城を見上げた。
「申し訳ありません」
「…いや」
慌てて結城は笑顔をつくる。
「君が謝る事はないだろう…何よりも、無事で良かった」
いやあ、と笑って高槻は頭を掻いた。
「どうにか逃げられたのが幸いでしたか…でも日本に居ると、どうしたって色々な事も思い出したり、心配になったりするじゃないですか。どうしようかと思ってたところに、こっちの鉱山の検査技師の募集を見つけて、どうにかもぐり込んだって訳です」
「そうか…」
「それにしても結城さん…」
高槻は不意に真面目な顔になった。
「…良く生きていて下さいました…」
彼はどこまで知っているのだろう、と結城は思う。
 紆余曲折の末にデストロンと戦う事になり―――ある意味デストロンの滅亡に手を貸したとも言える自分だ。最後までデストロンに残った仲間がいれば、自分は裏切者として糾弾される覚悟はできていた。
 しかし結城を見つめる高槻の目には、猜疑の色は全くない。
 こんな風に再会する事もあるなら、それだけでも生きていて良かった、と結城は思った。
「結城さんは、しばらくこちらにいらっしゃるんですか?」
覗き込まれて曖昧に頷くと、高槻はなおも身を乗り出した。
「…そうだ、時間があるんでしたら、今度僕が今いる研究室を見に一度いらっしゃいませんか?明日のこの時間にでも、この店にいらしていただければ」
断る理由はなかった。
 むしろ結城は奇妙な喜びを覚えている。
 自分は嬉しい―――のだった。デストロンに係わった者が、今は平和な生活の中に暮らしている事に、安堵にも似た喜びが静かに込み上げる。
(…お前が戦う事はないんだ…)
そう語った友人のまなざしが、その時ふと思い出された。
 既に戻る事の出来ない道の上から、この世界を見るまなざしの記憶は、不意に心に削り込むような近さで結城に迫った。風見が自分に託そうとした明日は、だから結城にも解っているのだ。
(だが、それでも…)
それ以上は考えずに意識の隅に押しやると、では明日、と結城は見上げてくる高槻に答えて席を立った。

 昼下がりの海は静かだった。
『結城さーん』
朝も一度見回っていたが、丁度ホテルへの帰り道なので念の為に例の海岸へ向かうと先客が居た。
頬が緩みかけるのを抑えて足早に近づきながら、結城は少し表情を厳しくしてみせる。
『ここは危ないからって、言ったろう』
いつまたあの一団が現れないとも限らないのだ。昔からこの海岸を遊び場所にしている子供達には酷か、と思いながらも、遊びに来ないように再三言っておいた筈だった。
『大丈夫。な』
兄が振り返ると、弟ははにかんだように結城を仰いで笑った。
『だって、結城さんがいるもの』
『…でもね』
結城も海岸に腰を下ろして、子供の目を覗きこんだ。
『僕はV3みたいな仮面ライダーじゃない…そしてもしかすると、今度の敵はデストロンよりももっと恐ろしい相手かも知れないんだ』
自分がもっと強ければ、この子を危険な目に遭わせる事もなかったのだ―――とまた、あの時の後悔が苦くこみあげて結城の笑いを歪める。
 ティアレは黙ってじっと結城をねめつけていたが、不意に俯くとそのままくるりと背を向け、再び砂に両手をぐしゃぐしゃと突っ込んだ。
『…?』
『あーあ』
子供の扱いには不馴れな結城に、アオレレが苦笑しながら割って入る。
『大丈夫だよ』
なだめるように弟の頭を撫でながら、その顔を覗きこんで言う。
『ティアレは結城さん強いって、知ってるもんな。結城さんの事、信じてるもんな』
笑いながら、ちらりと結城に向けたまなざしには少し非難の色がこもって見えた。
(だが…)
しかし流石に子供相手にその先はむきになって言い募れもせず、結城は変に気まずい思いを振払うように子供の手元を肩ごしに覗き込んだ。
 子供の手の下では、板切れを組み合わせた三角錐が砂に固められている。充分に安定した事を確かめて、ティアレはその頂点に一本の棒を横に乗せようとしているのだった。棒の一端は丸められた粘土がつけられ、もう一端には日本でも縁日で良く見るような赤いプラスチックの風車が手の離れる前から海風を捉え始めている。
 息を止めて支点を定め、注意深くティアレがそっと手を放すと、風車は虫の羽ばたきに似た軽い音をたてて速く回りだした。海風の流れる向きにつれ、僅かに方向を変えて回る。風見鶏みたいだな、と結城が思ったその時、ふと風が止んだ。
 次の瞬間、鮮やかな回転は不意に失速して砂に羽を埋めた。
 子供が声にならない溜息をついたのを、結城は何故か自分への失望のようにも聞いた。
 風を受けて回る筈の風車は、一瞬止まった風に自らの重みを支え切れずに倒れている。
『あ、お前大きな方の羽持ってきたんだな』
砂にまみれた風車を取り上げて、アオレレは苦笑した。
『だって』
『だからさ、それじゃバランスが悪いんだよ』
取り戻そうとする弟の手を横から止めて、粘土を手にとる。
(バランス…?)
ふと結城の眉が上がった。
『そりゃ羽は大きい方が綺麗だけどさ、重くなるとどうしたって転んじゃうだろ。こっちを軽くするか、…でないなら、反対側も少し重くしてバランスを取ってやらなくちゃ』
言いながら粘土の錘りに新たな粘土を盛る子供の手を、結城は凝視していた。
(…そうか)
それはまだおぼろげな閃きに過ぎなかったが―――しばらくの間、身じろぐ事さえ忘れさせた。
(どうしてこんな簡単な事に気づかなかったんだ…)
頭の片隅にずっとひっかかっていた疑問が、糸をほどくように解けていく。
『ほら』
今度はアオレレの手で台の頂上に乗せられた風車は、再び風を受けて軽やかに回り始めた。
 時折羽に受け切れない程の強い風を受けてあおられても、逆にかすかに風の止んで浮力が途切れるその間も、羽の生む力は反対側で錘りがバランスをとって、決して台からは落とさない。
(…だからか…)
その錘りに支えられ、風車はプラスチックの羽に海と空の光をまばゆく跳ね返してくるくると回り続ける。危うげな、しかし確かな回転の軌跡を、結城は目眩のするような思いで見つめていた。
『…結城さん』
茫然と立ち尽くしていた結城の袖を、つとアオレレが引いた。はっと結城が我に返ると、また少し咎めるように目を大きくして背後へ顎をしゃくってみせる。
「?」
 結城が振り返ると、一人の青年が波打際をゆっくりと歩いてくるところだった。
 少し陽に灼けた面ざしは、自信と静かな力に満ちている。
 初対面だったが、結城はその顔を知っていた。かつては忠誠を誓った組織の敵として意識に刷り込まれた風貌は、しかしそんな記憶をあっさりと払拭する温かな空気を滲ませている。海に照り映える陽射しが眩しいらしく少し目を細めていたが、それが見ようによっては微笑しているようにも見えた。
 知らず結城は立ち上がっていた。
 ゆっくりと一礼すると、青年も軽く挨拶を返した。自分も名乗る必要はないのが、結城にも解っていた。青年の瞳には、既に数年来の知己を見つめるような穏やかな色があった。
 本郷猛―――仮面ライダー一号である。

 夕暮れの海は、水面に惜しみ無い光をたたえて凪いでいる。
 まずはこれまでの経緯を実際の場所を見ながら整理しておきたい、と本郷に言われ、結城はまだ少し戸惑いながらも子供達を家に返し、先に謎の一団が上陸した場所へ向かった。
 ザイールから敵の痕跡を追って本郷が辿り着いたのは、この海岸からは丁度島の反対側に当たるタヒチ本島最大の港湾都市・首都パペーテである。
「おそらくその辺りに拠点があると、俺は睨んでいるんだが…しかし君や風見がこの海岸に上陸したのを見たとなると」
どうなるかな、と半ば独りごちるように呟いて、本郷は結城を振り返った。
「ここから陸路を使って移動するつもりだった、という事ではないんでしょうか」
砂浜を岩場が囲い込むような地形が連続し、すぐ近くには深い原生林の広がるこの海岸は、観光地としての条件に恵まれていない。原生林側の岩場を抜けて一キロも海岸沿いに行けばリゾートホテルのプライベートビーチがあるが、いずれにせよ人目を忍んで上陸しようとするならこの島にしては格好の場所である。
「それも考えられるが」
そう言ったきり、本郷はしばらく考えこんでいた。
 環礁に囲まれた潟は打ち寄せる波の音もやわらかい。
 考えあぐねたように水平線へ視線を向けていた本郷が、やがて思い出したように呟いた。
「…そう言えば、ここは君が流れ着いた場所でもあるんだな」
そうです、と結城は答えた。
 風が海を渡って、背後で森の木々が静かにざわめいた。
 本郷は少し目を細め、水平線と砂浜を交互に見比べるようにしてゆっくりと歩いていった。結城もその後からついて歩きながら、本郷の背中を眺める。
 聞いてみたい事が、沢山あるような気がした。
「…少し驚いている」
しかし口を切ったのは、本郷が先だった。
 意味をはかりかねていぶかしげに見つめる結城に、静かに振り返る。
「本当なら、俺が最初にここに来ている筈だった。…俺と、一文字と」
知っているかな、というようにまなざしを向けられて、結城は頷いた。仮面ライダー一号―――本郷猛と同様に、もう一人の仮面ライダーの存在は、今とは違う意味で既に記憶に刻まれている。小さく頷き返して、本郷は話を進めた。
「…そして風見の三人で、それぞれ行き先を決めた時、風見は最初ザイールへ行く事になっていた」
「風見が?」
結城はぼんやりと聞き返した。まだ本郷が何を言おうとしているのか解らなかった。
 本郷はそんな結城を、少し眉を寄せて―――何かを見透かそうとするかのようにじっと見つめていた。言おうか言うまいか、見定めようとしているかのようでもあった。
「…だが、風見はいつも海を見ていた」
ややあって、静かに言葉が継がれる。
「おそらく風見本人も気づいていなかったんだろうが、君がプルトンロケットを自爆させた海の向こうに、何かを探そうとしているようだった…」
その時、柔らかな波音がふと結城の耳にも満ちた。この島に漂着した時、友人の事を思いながら聞いた波音だった。
「我々仮面ライダーは、ある種の精神感応で呼び合う。同種のメカニズムを組み込んだ事で、何らかの共振が生まれた…というのは仮説だ」
そんな結城に気づいているのか、本郷の言葉も穏やかだった。
「とは言え聞いた状況では、君が生きているとは到底俺には思えなかった。無論それは錯覚だろうと思った。だが、そんな錯覚を引きずったまま戦うのは危険だと思ったから、風見はここへ来る事になった」
そこまで言うと、本郷はまっすぐに結城に向き直った。
「…しかしこの島で君に会うと、風見には解っていたのかも知れないな」
「僕は」
言いかけて、ふと結城は言い淀む。
 風見からそんな話を聞いた事はなかった―――と言いかけて思い出したのだ。
(…お前が呼んだんだ)
それは熱の中で見た夢のようにおぼろげだったが、思い出そうとすると今も耳元で囁かれるようにはっきりと甦った。
 あれはどういう意味だったのだろうか。
 そして自分は何故、何の不思議もなくあの言葉を受け止めたのだろう―――と思いながら遠くを見やった、その時である。
(…?)
一瞬何に気をとられたのか、結城は自分でも解らなかった。
 彼方に眺めた岩場に、白いものが見え隠れしている。良く見れば見覚えのある白いシャツだった。その背中が早足で、赤褐色のごつごつした岩の間を横切って行く。
(…高槻?)
ついさっき別れたばかりの相手を見間違う筈もなかった。結城の視線に気づく筈もなく、高槻はやや危なっかしい急ぎ足で岩場を上がっていく。
(こんなところに、何の用だ…?)
追うともなく視線で追っていた、その背中は悪い足場に苦労しているらしく上下しながら、しかしやがて唐突に消えた。転びでもしたのか、と思ったが、その背中が結城の視界の内に再び現れる事はなかった。追っていなければ見間違いでもしたのだろう、と思うところだ。
「…どうかしたか?」
結城の足が止まっている気配に、本郷が振り返った。
 何でもありません、と答えて結城は歩を進めた。



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