四
高槻は次の日、約束通りに現れた。
「お早うございます」
朗らかに挨拶されて、結城は昨日の事を尋ねてみるタイミングを逸している。
「最初タヒチって聞いて、島全部がてっきり観光地だって思ってたんですけど、そうでもないんですね」
そう言えば自分も最初は、南海の孤島にでも流れ着いたかと思ったのだったと結城は思い出す。
高槻の勤めているという工場は、結城が漂着した海岸から距離にして一キロにも満たない内陸にあった。ここも採掘場の一つなのか、片面を切り崩されて奇妙に歪んだ山が黒褐色の地肌を晒し、その手前に工場の敷地のフェンスが巡らされている。かけた幌をはち切れさせんばかりに荷を積んだトラックが、砂埃を蹴たてながら二人のすぐ横を通り過ぎて行った。
「この工場では、ポリネシア諸島に点在する鉱山から採掘された鉄鉱石の精錬を一手に引き受けているんだそうです」
先に立つ高槻の後について歩き出しながら、結城は何とはなしに辺りを見回す。
随分この辺りも歩いたと自分では思っていたのだが、こんなところに工場があるとは知らなかった。結城がそう言うと、高槻は笑って答えた。
「ああ、一月前にできたばっかりですから」
白い塗装も真新しい工場の建物に入ると、金属と機械油の匂いが漂った。
整然と配置された機械に取りついている男達は、この島では珍しい程寡黙だった。ふと視線を背に感じて振り返っても目の合う事はなく、隣り合わせた同僚と機械の駆動音に紛れる程の囁きを交わしている。来客を遠巻きに品定めをしているようなどこか冷ややかな気配に、全く別の何かを思い出すような気がして、結城は落ち着かない気持ちになる。それが何故なのか、思い出せないだけに一層もどかしかった。
「…あ、ここです」
しかし高槻は家路を辿るような慣れた足取りで、いそいそと工場の中を抜けると敷地の奥にある白塗りの建物に向かった。
「まあ、研究室って言ってもささやかなところですが」
少し照れたように言いながら、高槻はドアを開けて結城を招じ入れた。
どうやら事務室か何かだったのを改装したらしい。五メートル四方程の室内には、薬品棚や器具をのせた机がひしめくように置かれている。棚の上は天井近くまで段ボール箱が詰まれ、一方机の下には大型の測定機器や機材が押し込まれて、足の踏み場もない有り様だった。しかしそんな息の詰まるような狭さが、ふとまた自分に何かを思い出させるのを結城は感じる。
それは―――紛れもない懐かしさだった。
ここは結城もかつては身を置いていたのと同じ、研究の為だけの閉じられた空間だ。
全てが一つの目的の為に用意されており、それ以外には何もない。
「やっぱり何て言うのか、研究してる時が一番落ち着きますね」
同意を求めるように振り返られて、結城はどんな顔をして良いのか解らなかった。
「人は裏切るけれど、科学は裏切らないですから」
独りごちるように呟いた高槻の目に、何か言わなくてはならない事があるような気がしながら、結城は黙って高槻の手元を眺めていた。
そんな結城の様子を気にする風もなく、嬉しげに高槻は一つ一つの機材や研究中の検査技術について説明を始めた。こんなに饒舌な男だったろうか、とぼんやり思いながら、しかし結城はどこか上の空に話を聞いている。
「結城さん」
いつの間にか、話は途切れていた。視線を向けた結城に一瞬気後れたように口をつぐんだが、高槻は思いきったように言葉を継いだ。
「結城さんは、これからどうされるつもりですか?」
「…」
結城の沈黙に、高槻はいつになく探るような視線を向けていた。
「デストロンで、結城さんは本当に裏切って仮面ライダーV3と共闘しているって話を聞きました」
窓から射す南国の太陽が、机上の実験器具に照り映えている。
「…知っていたんだな」
結城は低く呟いた。
「ええ」
答えて高槻は、手近にあった測定機器に撫でるように手をかけた。
「…でも当然だと思いました。だって貴方を裏切ったのはデストロンのほうなんだ」
「高槻」
「デストロンが本当はどういうところなのか、阿部さん達はうすうす知ってたんだって、後で聞きましたけど…それじゃあんまりじゃないですか」
高槻は睨むように結城を見据えている。
「僕らはデストロンを信じていた…人類の平和や進歩の為だと信じて、寝る間も惜しんで研究を続けたのに」
その目が懐かしいのは、かつての自分と同じ目だからだと結城は思う。信じたものに傷つけられたいたみをあからさまにする、切なく―――盲目的な痛々しさのひそむまなざしだ。
「でもその研究は、全部デストロンの野心の道具だったんじゃないですか。デストロンが貴方の理念を裏切ったように、信じるものに騙されるのは、僕はもう沢山なんですよ」
「…高槻」
結城は静かに遮った。
「…それでも」
それでも真実はある。
「僕がデストロンと戦う事を決めたのは、デストロンが僕を裏切ったからじゃない」
「結城さん…?」
「…最初は確かに」
それは言葉にする為に思い出そうとすると、随分遠い昔の事のようにも思えた。
「僕は僕自身と、阿部や片桐や平の復讐の為に戦おうと思った。…僕が信じたデストロンの為に、ヨロイ元帥を倒そうと誓った…だがそれは間違っていると、教えてくれた人が居た」
その時のまなざしは、いつも結城の心の奥底にある。
「デストロンは人類の発展に寄与する事はない…平和に暮らす人々を虐げ、その上に君臨しようとする組織だと」
敵だと教え込まれてきた青年の、決して多くはない言葉に反発しながらも、初めて会った時から何故か揺さぶられた。
「そしてそれに、僕も力を貸していたのは消す事のできない事実だ…」
何か言いかけようとする高槻を目線で制しながら、結城は思い出している。
そのまなざしが語るのは、ただ正義ばかりでなく。おそらく生涯、本当に自分には理解し得ない感情をあの時、正義の味方の瞳に垣間見たようにも思うのだ。それが何だったのかは、未だに解らない。それでもようやく自分にも掴める真実を知り、デストロンと戦う決意を定められるようになったその矢先。
「だから…疑う事も知らずに、デストロンを信じていた僕の愚かしさが」
あの時―――思ってもみない形で結城の目の前に現れたのだ。
熱暴走する特性ゆえに結城が封印していた筈の薬品・ゼフィア三〇はデストロンの手によって対V3兵器バタル弾の核となった。ようやく共に戦う覚悟を決めたまさにその時に、結城は自分自身の内に風見の横に立てない理由を見てしまったのだ。
「…それが僕にとっては本当の敵だったのかも知れない」
デストロンとして真摯に研究を続けた日々は、自分の敵ともなった。だとしたら、とまた結城は考える。
自分は本当に、誤る事なく進んで行けるのだろうか。
見つめ返す高槻の視線は、何かを求めているようにも見えた。デストロンでの日々を捨ててあえて戦いに身を投じる価値を、その納得のいく理由を求められている気がして、一瞬結城は言葉を探した。
その時である。
ふっと背後に、気配を感じて結城は振り返った。
(ドアの外か)
思うより早く、身体が動いていた。慌てて立ち去ろうとする忍ばせた足音が聞き取れて、間に合わないか、と思いながらもドアノブを掴む。
勢い良くドアを開けると、やはり塗ったばかりらしい壁の白さが目にとびこんできた。急いで左右に視線を走らせたが、窓の形に陽射しの射し込む廊下が続くばかりで、人の気配は既に残っていない。
(…気のせいか?)
考えた瞬間に、その可能性は感覚が打ち消している。
経験ではV3には及ぶべくもないが、むしろ裏切者を抹殺しようとするデストロンの追手との攻防を繰り返していた結城には、こちらの気配を探ろうとする意識を察する感覚が鋭くなっていた。
誰かが今迄ここに居てこちらの会話を探り―――そして自分に気づかれて逃げた。それは間違いない。
(…だが、一体…?)
「結城さん…?」
訝しげな高槻の声に、結城は我に返った。
「どうしたんです?」
「いや…」
生返事をしながら改めて意識を巡らせてみたが、触れる殺気はない。ただ眩しい太陽が、室内を照らすばかりである。
ひくりとまた左手の指先がひきつった。結城自身の意志に反してあらぬ方向にこわばって曲がろうとする左手をなだめるように右手で掴んで、落ち着くのを待つ。
(…これも、このままにしてはおけないか…)
どうやらとっさに行動を起こそうとした時や緊張した時に、左手の自由がきかなくなるらしいのがそろそろ解り始めていた。治療できるものなら早く―――そしてできないのならその時は、何か他の手段を講じないとこの先、困った事になるのも解り切った事だった。
「結城さん」
やがてゆっくりと左手の感覚が戻ってくるのを確かめて、結城はようやく高槻を振り返った。
「本当に、どうしたんです?」
大きく目を見開いて詰問してくる高槻のまなざしには、一点の曇りもない。それが結城にたった今の感覚を告げるのをためらわせた。
どこか不吉な予感がした。
何が、ともはっきりとはしなかったが、少なくともこれ以上この場に居る訳には行かない、と意識のどこかが囁く。
「…高槻。済まないが、用事を思い出した」
「結城さん?」
「また時間のある時に、もう少し話をしよう」
場を取り繕うのがあまり上手くないのは自分でも知っていた。さぞかし不自然に見えるだろう、と思いながら、結城は思い出したように高槻を振り返った。
「…そうだ」
丁度、誰かに話したいと思っていた事だった。
「僕は今、C計画の研究を続けているんだよ」
根を詰めて書き続けると、右手の感覚も鈍ってくる。元々細かい作業を長時間続けられるように設計されてはいないのだ。
(今日はここまでか…)
万年筆を置いて、結城はノートを読み返す。
思いもかけず、謎は解けていた。
どうして右腕が、設計段階で想定しただけの力を出せなかったのか―――そしてその解決策も。結論は解ってしまえば、至極当然の帰結だったとも言えた。
(元の設計が正しかっただけか…)
結城は知らずその答に苦笑する。
何の為に書いているのか、どこかで自分には解っている気がした。急ぐ必要はなかったが、いずれは完成しなくてはならない事だった。
もう眠るか、と立ちかけてふと思い出した。
ポケットを探る指先に触れた硬質の感触が、心のどこかに爪をたてるのを感じながら、スタンドの光の下に転がしてみる。油膜の鈍い虹色に照り映える、直径五ミリ程の六角ボルトである。
しばらく指先で弄んでいたが、やがて結城は再び椅子を引いて机に向かった。
引き出しの中には、もう一つボルトが入っている。風見がタヒチを発つ少し前に、海岸で拾って置いていったのだ。
机の上に並べて眺め、手のひらに乗せるとどちらがどちらだったのかもう結城にも解らない程、二つのボルトは良く似ていた。と言うよりも、むしろ同じ鋳型から造られたのでない―――と言われる方が不思議な程に。
掌上で冷いやりとした金属の感触を確かめながら、結城は開けたままの引き出しからルーペを探した。
五
それから一週間を、結城はほとんどホテルの自室で机に向かって過ごした。
それでも朝夕一度は必ず海岸を見回って本郷に連絡を入れる事は忘れなかったが、それ以外の事は二の次になっていた。ホテルの管理人から何か聞いたらしい子供達は時折窓の外から覗いていたが、声をかける事もなく帰っていった。
パペーテで調査を続けている本郷からも、時折連絡が入った。
ザイールから移動してきた《敵》は巧妙に足跡を隠していたが、幾つもの組織を相手に単身の戦いを挑んできた本郷もその僅かな痕跡を見逃す事はなかった。既にアジトの目星はついているらしかったが、迂闊に踏み込むと逃げられる恐れもあり、今はタイミングを計っているところだ―――という連絡を結城が受け取ったのは、その日の夕方の事だった。
万年筆のキャップを閉めて、結城は座ったまま大きく伸びをした。
(終わった…)
かつての記憶と、唯一のサンプルである右腕のデータから復元されたC計画の設計図と実行プランの全貌は、結城の手元に一冊のファイルとなっている。
これで必要な資材や環境さえ揃えば今すぐにでも、C計画は実現できる筈だった。
随分長い間忘れていた、研究を完成させた充実感にしみじみと背筋を伸ばして仰ぐと、机上を照らすスタンドの明るさが忘れさせていた辺りの闇が、今更のように視界に入ってきた。
日暮れまでは覚えていたのだが、そのまま最後の仕上げに夢中になる余り時間を忘れていたらしい。時計を見ると既に夜半を過ぎて、まもなく夜も明けようという時刻だ。室内は暗く、スタンドの光だけがぼんやりと手近の壁と天井にけば立った陰影をつけている。漆喰塗りの天井がつくる薄闇を、結城はふと心に潜む不安のように眺めている。
(…だがこの完成は)
完成の懐かしい喜びに心を満たしながら、しかし昔のように手放しで喜ぶ事ができなくなっている自分に、結城は薄々気づいている。
そんな思いを振り切るように、椅子から立ち上がった。だいぶ時間は遅くなってしまったが、今からでも少しは眠っておかないと明日に差し障る、と窓のカーテンを引こうとした結城の手が、ふと止まった。
窓の外には見慣れた満天の星空が広がっている。
しかし撒かれた星明かりよりもはるかに近く、はっきりした光が窓ガラスの向こうにぽつりと灯ったのだ。一瞬消えた、と思ったのは緩やかな波間に隠れただけで、窓越しに目をこらすと、遠くかすかに白んで見える波の中に―――明らかに人工の光が一つ、見えない程の速度でゆるゆると動いているのが見える。環礁の外をゆっくりと移動しているようだった。
(船の明かりか…?)
しかしこんな時間に、この近くを船が通った事はない。もう少しはっきり距離を見定めようと結城が窓を開けようとした、その時である。
部屋の電話が鳴った。受話器を取ると、夜明け前の受電で叩き起こされたらしい管理人の寝ぼけて不機嫌な取次ぎと回線の切り替わるかすかな音がして、続いて砂嵐のような雑音が結城の耳に飛び込んできた。
『…結城くんか?』
本郷の声だった。どこかの通信機を経由してでもいるのか、ひどく音声が割れている。
「はい」
『起きていて良かった。パペーテ近郊で、前から目星をつけていた敵のアジトを突き止めたんだが、踏み込むのが少し遅れた…ここは一時的な拠点だったらしい。どうにか現地の連絡員を一人捕まえたんだが、奴らはこの後、何かを受け取ってタヒチから日本へ向かおうとしている』
「日本へ…?」
『どうやらこことは別の場所で何かを作っていて、それが完成するのを待っていたらしい』
別の場所、と呟いて、結城ははっと窓の外を振仰いだ。
「心当たりがあります」
受話器を握る手に、知らず力がこもった。
『何?』
まだその時は確証があった訳ではなかった。しかし考えるより先に、言葉が出ていた。
「あの海岸から南側へ入った場所に、鉄工場があります。白い壁の建物です。後で話しますが、おそらくその工場が、奴らの息のかかった施設の一つです」
『鉄工場だな?』
本郷もぐずぐず聞き返す手間はかけなかった。
『解った。今からそっちへ向かう』
「僕もこれから出ます」
結城は急いで答えた。
「多分僕の方が、早く行けると思います」
『結城くん』
一瞬、奇妙な間があったように結城は思う。
『君はまだ本調子じゃない筈だ。くれぐれも深追いはするな』
「解っています」
電話を切ると、結城は急いで身支度を整えた。事態はどうやら一刻を争うらしい。
(急がなくては)
部屋を出ようとして、しかし結城はふと振り返った。部屋の隅に置いてあるスポーツバッグに目が止まる。
どうして一瞬ためらったのかは、自分でも良く解らなかった。
バッグをテーブルに上げ、中を確かめると改めてジッパーを閉じる。それでもなかなか、次の動作が起こせなかった。
結局自分はまた研究に没頭する余り、肝心な事を突き詰めて考えるのを避けていたのだ。
(…何を迷っている…)
認めたくない事実が多すぎて、思考を停めている。自分が今から向かおうとしている場所に、ある筈のものと―――そして自分がしなくてはならない事は解っている筈なのに、身体が動かなかった。
(…逃げるな)
深く息をつくと、結城は目を開けた。
バッグの上には自分の両手が置かれている。
生身の左手と、機械の右手だ。
その両手に力をこめて、結城はバッグを取り上げた。
遠く臨む水平線は、ぼんやりと明るくなりかかっている。
それでも辺りはまだ暗く、街灯の光も点々と遠い。手の内に収めたペンライトで足元を照らしながら、結城は道を急いだ。
やがて薄闇の彼方に、うっすらと白く工場の建物が見えてきた。灯はついていなかった。
(…どこだ)
海へ視線を向ける。少しずつ柔らかな藍色を帯びてくる静かな海のうねりの彼方に、まだ小さく灯は光っていたが、さっき窓から見た時よりも次第に陸地へ向かっているのははっきりと見てとれる。《何か》を受け取りに来た、敵の船―――おそらくは潜水艦に間違いあるまい。あれはこの海岸のどこへ着けるつもりなのだろう、とふと足元を照らしたライトに結城の目が見開かれた。
(そうか…!)
急いで結城は今しがた来た道を戻り始めた。工場の敷地を背にして走り、途中から海岸線に続く岩場に駆け登る。注意深く辺りの岩を照らしている内に、ようやく結城は探していたものを見つけた。
岩肌に残る足跡は、ライトで追っていくとやがて唐突に途切れる。
その先は一見何の変哲もない岩の連なりに見えた。
こういうところは変わらないものなのだな、と結城はかすかに思う。かつての勘で見当をつけた岩を押すと、さして力もこめさせずに大きな岩は音もなくスライドした。岩に擬装した入口だ。腰を屈めてようやく通れる程の狭い通路の奥は、しかしどこまで続いているのかライトで照らしても伺えなかった。
迷っている時間はなかった。
バッグを抱え直し、入り口をくぐった。岩場を掘削しただけの悪い足場を十分も歩いたろうか。振り返っても来た道の方角の見当もつかなくなる程歩き続けた頃、やがて遠くに明かりが灯っているのが見えてくる。
ほどなく今度はなだらかな坂になっている通路を下っていくと、唐突に視界が開けた。
青白い蛍光灯の光が、コンクリートの壁と床、そして天井を照らしている。背後には人がほとんど通る事すらない鄙びた岩場があるとはとても思えない、広く堅牢な造りの真新しい地下室だった。
結城が通ってきた道は、この地下へ続く横穴だったのだ。
人の気配はなかったが、足音が反響しないようにそっと足を踏み入れて結城は辺りを見渡した。天井こそさしたる高さではないが、茫然とする程広い秘密の地下室は、右手が大きな鉄の扉で塞がれている。方角を考えるとこちらが陸地になるのか、と試しに捻ってみたドアノブは固く、どうやら鍵がかかっているようだった。
(成程…だとすればここから)
ふと視線を転じると、そこに先程から変に近く聞こえていた音の正体があった。
地上で岩場に擬装できる限界まで掘り上げたらしい、高くカーブを描く天井はしかし船を入れるとすればぎりぎりの高さだろう。不十分な光の下では見定められなかったが、遠くゆるゆると寄せる波頭が、かすかに光っている。
地下に引かれた海だった。
向けられた懐中電灯の光をおぼろげに映して、この地底に引かれた海水は黒く淀んで見えた。外の海ならば清々と砂浜に打ち寄せて引いていく筈の水はこんな地下に矯められながらも、何かに抗うようにコンクリートの接岸壁にひたひたと打ち寄せている。地下室の一端は、小型だが本格的な船着場になっていたのだった。
(待てよ…水がここまでしか来ていないと言う事は)
外界と遮断されていない限り、この波は外の海岸に寄せる波と同じ高さで打ち寄せている筈だった。巡らせた懐中電灯の光は奥まではぼんやりとしか届かなかったが、その波の湧き出している辺りではコンクリートの下から黒っぽい岩肌が剥き出しになっているのが見てとれる。
(この上にあるのは山か…!)
天井の高さを改めて仰ぎ、結城は一瞬茫然とする。
遠浅の海岸の外側から、おそらくは深い地底を掘り進めて作られたこの船着場は、結城が日頃歩いている海岸近くの岩場から少し入った内陸の山中に築かれているのだ。
そこまで用意の上で、ここへ来る船がある。
方角と距離をざっと計算し、出した答は既に予期していたものだった。
(…ここはやはり)
だがとことん確かめないと、と自戒しながら、結城はなおも懐中電灯の光を巡らせた。おそらく船が着いたらすぐに積み込めるようにだろう、木箱やシートのかかった機械が壁に寄せて積まれている。
(ここから運び出していたのか…)
自分の気づかない間に、この地下埠頭から運び出されていた品物はどれ位にのぼるのだろう―――と身体の内が熱くなるような考えに苛まれながら、結城は更に調べ続けた。
ここに積まれている品物はごく一般的な部品や機材に過ぎない。パペーテ近郊のアジトを敵が放棄したのが本郷の動きと関係ないとしたら、今回ここから運び出されようとしている荷物も、普通の物ではありえない筈だ。
「…?」
懐中電灯の光が、結城の背より高い影を照らした。かけられている青い防水シートを、結城はためらいなく引いた。
(…これは)
光をぎらりとはね返すしたのは、高さ二メートルはあろうかという巨大なガラスの半円筒だった。人間一人くらいは楽に入れそうな円筒は、そのガラス面を抱え込むように配置されている基板に半分は覆われている。ガラス越しに透けて見える配線はガラス筒の至るところに端子を接着し、それはどこか子宮を巡る血管を想起させた。
そしてガラスの円筒を支えているのも、結城の身長程もある巨大な円柱だった。固い鉄板の外装は、簡単には中の機構を覗かせない。
「何だ…これは」
知らず呟いて、結城は抱えてきたバッグをその場に下ろし、機械の外装に手で触れてみた。
どこかで似たものを見た事があるような気がしながら、何か表面に手がかりになるようなものがないか目を近づけた、その時である。
「―――触らないで下さい」
低い声が、埠頭に反響した。
「それはやっと完成したんです」
「…そして今夜中にはここから日本へ運び出す、か」
結城は手を放して、改めて機械を見上げた。
「そうです」
声はゆっくりと近づいてきた。
「本当は、環礁の外まではボートで運ぶつもりだったんですが。貴方や風見志郎がしょっちゅう見張りに来てましたからね。もうまともに上陸する訳にはいかなかった…でも、工場からあまり遠くに上陸したんでは、今度は輸送途中で人目につく危険がある。こんな田舎道じゃ、輸送途中に破損する可能性だってある。どのみち小型潜水艦ですから、地下埠頭から入れればいい…少し工事に手間はかかりましたけどね」
「やはりそこまで君は知っていたんだな」
結城は静かに向き直った。
「…高槻」
もし殴りかかられてでもいれば、たとえ相手がかつての部下でも反射的に身体は動いたろう。
しかし高槻はひっそりと一礼するように少し頭をこごめ、結城の横をすり抜けた。そのまま機械を守ろうとするかのように、結城と機械の間にゆっくりと割って入る。予想もしていなかった動きに、結城は知らず高槻に場所を譲るような形になった。
「驚かないんですね、結城さん」
機械の無事を確かめるようにさっと視線を走らせると、高槻は振り返った。
「…解っていたからな」
結城も静かに答えた。
「あの時、工場で拾ったボルトに見覚えがあった…帰って比べてみると、全く同じものだったよ。あの工場がここの鉱山からの生産ルートを引いているなら、どうしてソ連のセレナコワ鉱山から産出された鉱石の製品と同じものが工場内に落ちている?この島のどこを探したって、こんなものは作られていないんだ」
ポケットから出した二つのボルトを、結城は掌に転がして眺めた。
「しかもこれは、僕にも君にも見慣れた物じゃないか。…デストロンの御殿場アジトで、組織培養器BM―1の組立て作業に立ち会った時、数が足りなくて調達に行ったのは確か君だったな?」
「…参ったな」
小さく独りごちて、高槻は泣き笑いに似た表情になった。
「でも何だかほっとしてますよ」
「?」
「いっそ何もかも打ち明けてしまえたら、どんなに楽だろうと思ってましたから…デストロンから離れてしまった貴方には、きっと許して貰えないだろうと思うと、怖くて言い出せなかった」
かすかにはにかんだように、その声は響いた。
「だって貴方は僕の憧れだった…たとえ貴方がデストロンを離れても、それは生涯変わりませんよ。どこへ行ったら会えるのか解らなかったから、随分あの海岸にも観光客のふりをして行ってみたんですよ。だからあの食堂で会えた時は、本当に嬉しかった…」
「…僕は君をあの海岸で見かけた」
「そうですか」
嫌だな本当に間が悪い、と高槻は笑った。
「…そう言えば、最初の上陸隊も随分タイミングが悪かったそうですね」
「では、あれが最初だったのか?」
高槻は肩をすくめた。
「ええ。安心しましたか?」
笑おうとしたのかもしれなかった。
「何でも結城さんは毎日…あの海岸にいらしてるって聞いてました」
「だが僕は無駄足を踏んだ訳だな」
自分がただ漫然と海岸を見回っている間に、その足の下では彼らが外海の海底から密かに掘り進み―――そして工場へ通じる地下通路と施設を造り上げていたのだ、と結城は今更ながらに煮えるように思う。
「できれば貴方には首を突っ込んで欲しくなかったので。仮面ライダーがザイールからこっち、本隊を追跡してきてましたから」
「…そこまで解っていながら、あの工場へ僕を呼んだのか」
それでは自分はわざわざ《敵》に招待されるような真似を―――と自嘲に裏返りかける声を、どうにか結城は抑えている。あの時、ドアの外の殺気に気づかなければ、自分は勝手の解らない敵地で殺されていたのかもしれない。懐かしさにかられて、かつての部下を疑う事もなくあっさりとおびき出された自分の甘さを思い返すと、また腹の底がかっと熱くなった。
しかし高槻は困ったように少し首をかしげると、悪びれる風もなく答えた。
「すみません。ただ…ちょっと考えたんです…もしかしたら、結城さんも僕と同じかもしれないと思って」
「何?」
その無邪気な物言いに、結城は知らず怒りを削がれている。
「デストロンは僕達を裏切ったけれど、もしそうでない、新しい組織があったとしたら。しかも彼らは更に進化した技術を求め、その開発ができるだけの優秀な科学者を求めている…」
話し続ける内、高槻の声はどこか陶然とした響きを帯び始める。
「だったら良いとは思いませんか。結城さんもまた、研究が続けられるじゃないですか…僕達は科学者です。研究が続けられなかったら、死んだも同じです…」
「―――止すんだ」
結城は低く遮った。
「やっぱりあの頃は良かった」
しかし高槻はうっとりと続けた。
「デストロンを信じて、ただ研究を続けていれば良かった…余計な事を考える事も、疑う事もなかったあの頃は、本当に天国みたいだったと思いませんか…」
「止せ」
知らず声が荒げられて、高槻が打たれたようにびくりと身震いした。
咳払いして、結城はまっすぐに高槻を見据えた。
「君の話は、途中までは本当だったんだろう。その組織はV3との戦いで弱体化したデストロンを襲い、根こそぎ滅ぼした…だが、君はそこから逃げたんじゃない。彼らが知っていたのか、君が自ら名乗り出たのかは解らないが、君はその組織に科学者として加わった。そして奴らは鉱物資源調査という皮を着せて、このタヒチに君を派遣した。この工場そのものが、その組織の基地だ。おそらく労働者も、戦闘員の変装だろう…」
だから自分には変な既視感があったのだと結城は知っている。あの時、工場全体に漂っていた気配―――それは結城自身も良く知っている、意識改造を受けた戦闘員の集団のもつ一種の統率に似ていたのだ。
「僕の想像は、間違っているか?」
続く沈黙が、そのまま高槻の答えだった。
「…だがどうして」
「前にもお話ししたじゃないですか」
ややあって、高槻は吐き捨てるように呟いた。
「僕はもう、何ひとつ信じるつもりはありません…ただ科学だけは、研究だけは僕を裏切らない」
背に庇った機械を、ふと高槻は仰いだ。
「だから研究を続けていく事だけが、僕に残された道なんです。科学には本来、正義も悪もない…結局は使う人間が、どちらに使うかだけの違いじゃないですか」
「だが」
結城はもどかしく言葉を探す。
「どちらに使われるか、君には解っている筈だ」
「…だから僕には、本当のところは解らないんですよ」
高槻の唇が、かすかに歪んだ。笑おうとしたのかも知れなかった。
「デストロンを正義だと信じた僕には、もうそんな判断はできないんです。デストロンを滅ぼしたのなら、もしかしたら仮面ライダーV3と同じように奴らだって正義なのかもしれないじゃないですか」
「…高槻」
「奴らが僕に提示した研究テーマは、一度は手掛けてみたかったものでした」
高槻の手が、愛おしげに機械の外壁に触れた。
「以前、別の組織が滅亡の折に、組織の大幹部だった数人の細胞がデストロンに運ばれていた事は結城さんも御存じでしたね」
「…ああ」
結城は低く答えた。デストロン科学者グループに属した者なら誰もが知っている事実だ。
医学技術に秀でた人材を集めていたデストロンでは、人体改造以外にも様々なテーマの研究が行われていた。優れた遺伝子の研究もその一つである。
「これはデストロンで完成された、最先端技術の一つなんです。僕達は知らなかったけれど、細胞一個からでもオリジナルの肉体をクローニングする技術は、デストロンで完成されていたんですよ…」
「それじゃ、これがRB―1なのか?」
「…結城さん?」
いぶかしげに聞き返して、それから高槻は困ったような―――しかしどこか満足げにも見える微苦笑を浮かべた。
「ああ、やっぱり結城さんは御存じだったんですね」
結城は答えなかった。
分野としては畑違いだったが、デストロン科学者グループのリーダーを務めた結城はかつての組織で行われていた研究の全容をほぼ把握していた。しかしその起源はショッカーと呼ばれた組織に遡る、改造人間の再生技術は専門スタッフ以外には秘密とされていた為、結城もそれ程詳細を知っている訳ではない。
細胞のクローニング技術には様々な問題があり、初期段階では能力的にオリジナルを大幅に下回る上、生命力にも弱いものが多かった。そんな欠点を克服すべくデストロンで研究が重ねられた末、とうとう完璧なクローンを造り出すシステムが完成した―――という話までは聞いていたが、現物を見るのは初めてだった。
「ただデストロンでの研究も、オリジナルと全く同質のクローンを造り出す事はとうとう出来なかったんです。…なんて」
結城さんに僕が講議するのも変ですね、と笑った。
「僕が目指したのは、その研究の完成でした。生体のクローニングは、誕生後の記憶までは複製しない…例え姿かたちは寸分違わない形に成長させたとしても、それはかつての大幹部とは全く違う器になってしまうのは、デストロンで実証されました。ですがそこへ記憶のバックアップを高速培養の段階で学習プログラムに加えてやれば、クローン体はオリジナルと全く同じ人生を辿った上でその死の直前から甦る形になる…何度でもね。いわば不死が実現する訳です。仮面ライダーや貴方のような機械改造体で立ち向かおうとする方が、不自然で理不尽だとは思いませんか」
ずっと感じ続けて居た矛盾の正体を、結城はふと見抜いたようにも思う。
(きっと僕らはそんな風に揺れ惑うのだろう…)
生体の複製ではなく、無機質のシステムを組み込む事で本来の肉体以上の力と寿命を備えた改造人間は、生命の流れからは異質の存在だ。そしてそれにもかかわらず、人類の為に戦うのが仮面ライダーだとしたら、何という皮肉だろうか。
「組織が壊滅しても、秘密裏に運び出された大幹部の細胞は、今も世界各地で保存されている…いつの日にか新たな組織が生まれ、必要とされた時に彼らがまた甦ってくる事ができるように」
「…この機械は、その為にデストロンから持ってこられたと言うんだな」
「そうです。でもオリジナルから大分僕が手を加えました…今はRB―2と呼んでいます」
「他にもこれと同型の機械はあるのか?」
高槻は無言だった。
「…設計図がどこかにあるんだな」
呟いて、結城は機械を仰いだ。
「だが、これを破壊すれば当面の奴らの行動は抑えられるな?」
「…一時しのぎにしかなりませんよ」
ようやく高槻は拗ねたように唇を尖らせて答えた。
「遅かれ早かれ、RB―2はまたどこかで建造されます」
「その時は」
結城は静かに対した。
「何度でも、僕らは戦うだろう…それはたとえ、ヨロイ元帥が甦ってきたとしてもだ」
「結城さん…?」
「たとえ後学習で記憶を植えつけても、それはやはりクローンに過ぎない」
憎しみも憧れも死の瞬間の残念も、その真実は信念をもって最後の瞬間まで戦った者だけのものだ。
それが悪であろうと善であろうと。
どれだけ精巧に復元しようとしても、決して補えないものがある。
それがもしかすると、科学の決して越える事のできない一線なのかも知れない。
「…結城さん」
それでも高槻はまだ復元機の前に立ちはだかっている。
「これがあれば…貴方の右腕も元の生身に戻れるんです。解っているんでしょう?」
真摯に自分を見据えるまなざしを、結城はふと懐かしく見やる。
「だけどこれを壊してしまったら、もう僕には二度とRB―2は作れない…貴方はその機械の腕のままで一生、生きていかなくちゃならなくなるんですよ?壊す前に一度だけ、動かしてみませんか?」
ちらりと腕時計を見やって時間を確かめ、再び自分にひたと向けられる高槻の縋るような目は、本心から結城を案じてくれていた。デストロンに与えられたまやかしの正義を信じて一緒に過ごした時間の内にも、確かに真実はあったのだ。
「貴方の右腕を復元するだけの間でいい。それまでの間なら、積込時間は僕が延期させます」
復讐の記憶をもつ右腕を、そう言えば最初は呪いもした自分だったのだ―――と。
「それで何もかも元に戻るじゃないですか…」
そうだろうか、と結城はいつになく醒めた頭で考える。
機械の腕を外し、生身に再生したら、ただ研究だけを続けていた日々に戻れるだろうか。
自問すると同時に、その答は胸に返っていた。
手袋を外すと、はっきりと造りものと知れる右手の輪郭がおぼろな光の内に浮かび上がる。
「結城さん…?」
初めて見る人造の手に、高槻の声がかすかに震えたようだった。
「…高槻」
拳をつくった右手が熱い。
「そこを退いてくれ」
「機械は機械です」
及び腰になりかけながらも、高槻はまだ諦めなかった。
「どんな機械だって、正しく使えば」
「解っているよ」
それは―――多分高槻よりも自分の方が解っている、と結城は思う。
「この右腕は、デストロンで生まれた腕だ」
それも最初は、悲しみと憎悪に縁取られた誕生だった。数々の事件を経て、やがて思い知る事になる自分の頑なさや愚かしさや無力感や、そんな全てをこの右腕は記憶している。
けれども、だからこそ。
「僕の右腕は、ここにあるこの腕だ」
たとえその誕生にまつわる記憶がどんなに忌わしいものであろうとも、その道を選んだ誇りをもって。生身にはもはや代える事のできない程重く大切な記憶を、この機械の腕は持ってしまっているのだと。
(それを教えてくれたのは…)
それでもどこか寂しげにもみえるまなざしの記憶が、一瞬脳裡をよぎった。
その瞬間、結城は何かを悟っている。
正義と悪、平和と戦闘の間にあって、ある意味どちらにも完全に相容れる事のないもの。その行先を、自分は見届けたかったのかもしれない。
だから戦う事を選んだのは、誰のせいでもない。
「…聞け、高槻」
ただそれでも、自分にしか解らない事もある。
「デストロンのプルトンロケットに乗り込んで、東京壊滅を阻止したのはこの僕だ」
「結城さん…?」
「その少し前に、デストロンで風見を助けた男は…東京に残した家族を救う為に、風見にプルトンロケット計画を打ち明けた。だが風見がその男を助けようとした時、彼は様々な悪行に染まった自分の手は汚れていると、自らデストロンに残って処刑されたそうだ…」
その男の死後に聞いた話である。
「…僕らはデストロンを信じていた」
しかしその意味を、本当に知ったのは彼の最期の姿を見た時だったかも知れない。
「だから償わなくてはならなかったんだ…自分が信じていた事で、何かに不幸をもたらした代償を」
「…でもそれは」
「知らなかったでは済まされない」
結城は自分に言い聞かせるように呟いた。
だからあの時は、命に代えるつもりでいたのだ。
デストロンが滅び、はからずも生き残った自分の生の意味を考え続けていた。異形のもの達との戦い―――世に知られる事のない修羅場に命を賭けるよりも、その人生の全てを、今度こそ人類の発展の為の研究に捧げる事の方が、もしかすると本当は正しいのかも知れない。中途半端な改造人間としての力は、自分が思う程役には立たないのだろうとも思う。誰もが自分に望んだ明日に背を向けて、選択した道が平坦でない事は、誰よりも身にしみて解っている。
だがそれでも、後戻りはしない。
たとえそれで、人間とははなれた道を歩む事になろうとも。
「高槻。もし君がその組織に正義を見ているのなら、ここで僕を阻止してみるか…?」
「結城さん」
「そうでないなら、今すぐに逃げろ」
すいと一歩、歩を進めた。
「でなければ、今度は君の方が危険になる」
「え…?」
「君が僕をあの工場へ招いたのを、奴らは知っている」
不思議な既視感が、再び甦ってくる。すぐ側にあった悪意に気づかず、無邪気な一途さで研究だけを続けていた愚かしさは、確かにかつての自分自身と同じだった。
「僕はこの機械を奴らには渡さない…とすれば、君はその手引きをしたのも同然だと奴らは考えるだろう」
「そんな」
「裏切者の処遇に例外はない。それともここでは違うのか?」
畳み掛けられて息を呑んだ高槻を、結城はふと諌めるようなまなざしで眺める。
「逆にもし僕が失敗したとしよう。この機械が完成した今となっては、それ以上の功績が望めないとしたら、奴らが科学者としての君を用済みと考えないと、どうして考えられないだろうか…デストロンに居た僕達に」
「…結城さん」
高槻は何か言いたげに声を張り上げたが、そこから続く言葉はなかった。
「早く行くんだ」
もう時間がない―――と結城は声を上げる。
《敵》の潜水艦が埠頭に入ってくれば、高槻を逃がすだけの余裕は自分にはなくなる。
「早く」
促されてもまだ高槻は迷っている風だった。無理矢理にでもここから連れ出さなくてはならないのか、と結城が苛立ちかけた、その時である。
高槻の足が、よろめくように前に出た。結城と目を合わせようともせず、何か憑き物でも落ちたかのような無表情のまま、結城の横をふらふらと通り過ぎる。
その瞬間、訳もない悔恨が結城の胸をよぎった。
自分は二度、この青年の信じようとしたものを壊したのだ。信じる心を否定される虚無感も怒りも、誰よりも知っていると思っていた自分が今度は逆の立場になる。それでも誰かが盲目的に間違ったものに縋りつこうとするのを見過ごす訳にはいかないのも、今の結城には解っているのだった。
「…高槻」
振り返らずに、結城は静かに呼んだ。
「お互い、今度こそ自分に恥じる事のない研究をしよう」
一瞬、背後の足音が止まった。
ややあって放心したように、変に裏返った声が聞こえた。
「…僕に出来るでしょうか」
「ああ」
結城は静かに、力をこめて答えた。
「きっと出来る」
自分にも出来たのだから―――とは、言葉にはしなかったが。
やがて結城は、再びコンクリートに響く靴音を聞いた。
(やはりあのドアは工場へ続いていたのか…)
重い金属製の扉が開き、閉じると同時にその足音も消えるのを耳をすまして聞きながら、積み上げられた箱の合間に落ちていたスパナを拾う。
(…急がなくては)
外装を外して配電盤を開く。蓋も完全に外している暇はなく、閉まりかける金属板を左の肘で開きながら、結城は右手で懐中電灯を照らした。
今からでは完全に内部機構を破壊しているだけの時間はない。しかしどこかで配線を結んでショートさせれば集積回路に簡単には復旧できない程度のダメージは与えられる筈だ。左手で色とりどりの被覆線を分けようとした、その時である。
「!」
左手の指が、不意に弾かれたようにひきつった。しまった、と思う間もなかった。
目の奥まで突き抜けるような衝撃と同時に、したたか床に身体が叩きつけられた。まだ何が起こったのか理解できず、言葉もなくのたうつ結城の鼻先に、肉の焦げる匂いが漂った。
「…っ…」
思考を根こそぎ奪う激痛に喘ぎながらさまよわせた視線の先に、砂の上に投げ出された自分の左腕が映っている。しかしまだ何が起きたのかは、なかなか解らなかった。
(しまった…高電流か…)
電流に灼かれながらもまだ生きている神経の一部が、結城に訴え続けている。
過って触れた接続から指先に電流が流れて、外装に挟んでいた肘から抜けたのだ。ひとつ間違えば左半身が全部灼かれていたろう。すんでのところで命拾いしたものの、しかしコードに触れていた指先から肘までは自力ではぴくりとも動かせない。肩まで骨を摩るような激痛が間断なく襲い、息をつくと胸がざらざらと痛む。
(…まずい)
それでもどうにか気力を振り絞って、復元機に縋るように身体を起こした。
(早くしないと…奴らが来る)
今の自分には敵と戦うどころか、動く事さえままならない。みすみす奪い返される前に、これだけは始末しなくてはならなかった。
何とか立ち上がりながらゆっくりと深呼吸し、思考を動かそうと試みる。
(右腕一本では破壊するのは無理だ…だとしたら)
朦朧と動かした視線の先に、薄闇の中でぼんやりと白っぽい稜線が浮かびあがった。階段に似た船着場の輪郭だ。なおも目をこらせば、その先にかすかな波頭を光らせて寄せる海が見えてくる。
(…だとしたら…僕に選べるのは)
縋っていた復元機から身体を起こし、まだ力の入らない右手を復元機の中央に押し当てる。ぐっと力を入れたが、重い機械は無言のまま結城の右手を受け止めて微動だにしない。
(…駄目か…)
ともすれば緩みかかる足元を堪えて、なおも押し続ける。どれ程かは解らないが、潜水艦が通れる位ならこの復元機を沈められる深さはあるだろう。少なくとも今の自分にとれる方法はこれしかない。しかしいくら力を込めても、復元機はびくともしない。このままでは水辺へ運ぶ前に自分の気力が尽きるか、この復元機を受け取りに来た敵が現れてしまう、ともどかしく仰いだその時である。
(…あ)
はっと結城の目が見開かれた。頭を上げると一瞬視界が暗くかすみかけるのを堪えて、床に置いたままだったバッグのそばにとって返し、ジッパーに手をかける。バッグの中からは、修理したばかりのライダーマンのマスクが現れた。
(こんな形で使う事になるとはな…)
その重みを右手に確かめながらも、果たして今の自分に、変身システムが起動できるのか―――できたとしてもその能力が引き出せるのかは解らない。
(だがもう…それしかないだろう…)
そう自分を叱咤し、結城はマスクを頭上にかざした。
「…ヤア!」
装着と同時に、マスク内部の受信端子が命令を読み取って強化服の展開を始める。久しぶりの―――けれど馴染んだ感覚に、知らず微笑が浮かんでいたのに結城自身も気づいてはいない。
(…っ)
傷ついた左腕が強化服に覆われた瞬間、皮膚を剥がれるような激痛にまた一瞬意識が遠のいた。はっと見開いた眼前に地面が迫った直前でどうにか踏み止まり、倒れ込みそうになるのを膝をついてようやく堪えながら、変身が完了するのを待つ。
やがて誰一人見る者もない薄闇の中で、青い仮面がゆっくりと照明の光の下に現れた。
数カ月ぶりの赤い複眼がおぼろに光り、ものうく身体が起こされる。
ライダーマンはよろめくように再び復元機へ向き直った。銀色の手袋に覆われた右手が、復元機にひたと押し当てられる。
改めて押しても、機械は動く気配すらない。しかしなおもライダーマンは右手に力を込めた。
右腕には損傷はないのだ。力が入らないのは左腕の激痛が意識の集中を妨げているだけで、ライダーマンとしてのフルパワーは発揮できる筈だ。
たとえそれが改造人間としては不十分な力であっても。
ここで何も出来ないのは、この先も何も出来ないのと同じだ。自分がやるべき事がある時と場所で、今度こそ迷わずに動こうと―――その為に今度は生きると誓ったのだから。
(…頼む)
右腕に内蔵されたコンバーターが静かな唸りを上げる。
最大出力まで引き上げられた機械の腕と生身の腕とのインターフェース部分が、同時に最大限に駆動する。強化服だけでは支え切れない反動は、しかし腕の接合部でも吸収しきれないのが解っていた。
復元機が動くのが先か、右腕の回路が焼き切れるのが先か。
(…!)
右腕の肘の内側で、どこかの部品が弾けるような感触に口辺がかすかに歪んだ、しかしその時である。
ふっと右手にかかる力が弱まった、と思った瞬間、機械はコンクリートを擦る耳障りな音と共に上部のガラス筒を震わせながら動き出した。
(動いた…!)
一度動きだしてしまえば、動かし続けるのは少しは少ない力で済む。
掌に、それでも未練がましく踏み止まろうとするように底面の擦れる震動が伝わる。それは何故か、高槻のまなざしを思い出させた。
(…これがあれば…貴方の右腕も元の生身に戻れるんです。解っているんでしょう?)
自分を翻意させようと必死だった、あの迷いのない目を思った。
何故だろうな、とライダーマンは考える。ひたすらに復元機を押し続けながら、どこかで今考えておかなければならない事のような気もした。
たとえ生身の身体に戻れるとしても。
(それでも)
自分が戻らないのを知っている。
復讐の為でなく。ライダーマンとして自分が本当に成すべき事は、まだこの先にある。
阻む力がすっと抜けた、と見上げた目に映ったのは、天窓から射す光に一瞬ぎらりと輝きながら音もなくのめっていく培養槽の滑らかなガラス面だった。
コンクリートの角を底面が乗り越えた震動に手を放すのは、しかし一瞬遅れている。
「…!」
仰向けに倒れていく復元機に半ば引き込まれる形で、ライダーマンは体勢を立て直す間もなく自分の目の前に黒い海が迫るのを見ていた。水面に落下した瞬間だけ身体を支えた復元機の浮力もあっという間に自重に引かれて、機械は呑み込まれるように沈んでいく。その輪郭も、目の前に弾ける気泡に薄れた。
それでもどうにか見開いた目に、黒い海の底へゆらめきながら消えていくガラス槽が映った。
どこか懐かしい眺めに見えるのは何故だろう、とぼんやりと思ったようだった。
無意識の内にもがいた右手がざらつくコンクリートに触れて、無我夢中で掴んでいた。
それが埠頭の防波壁の突端だったと解ったのは後の話で、どうにか自分の身体の方を引き寄せてようやく頭を水上に出すと、結城は咳き込むように呼吸した。
仰ぐと随分高く思える暗い天井には小さく青白い蛍光灯の光がぽつりぽつりと見えている。しかしその丁度真上の一点に、夜空の月程の丸い空洞が開いているのを、目をすがめて眺めた。換気口か何かだろうか、ぽっかりと丸くくり抜かれて、そこから暁の空が覗いている。それはまだほんのかすかな夜明けの先触れに過ぎなかったが、夜の闇と人工の光ををゆるやかにはらう淡い光に目を射られて、結城は喘ぐように息をついた。
どこかでこんな風に空を仰いだ事があったな、とちらりと思った。
(…ああ、そうか…)
震動で視界の揺さぶられるロケットの小窓から、複眼を模したレンズ越しにかいま見た遠い空だ。身体を圧する重力に肺から息が押し出され、血の巡らない額の冷たさに激しい吐気がした。それでも自分が必死に見ようとしていたのは何だったのだろう―――と結城はぼんやりと思った。目まぐるしく海の青と混ざって反転する虚空の彼方に、あの時は死を従容と待ちうけていた自分が見ようとしていたものは。僅か半年前の思い出が、今はこんなにも遠い。
それは自分が変わったからだと結城は知っている。同じように、手の届かない空を仰ぎながら、今の自分は諦めては居ない。
自力でここから這い上がるだけの力はもう無かった。自分がここに居る事を伝える方法もない。やがて潮が満ちて来れば、今は片腕も満足に使えない自分が遠からず水に呑まれる事も分っていた。
それでも生きようと思う。
自分はここに居る。
そう思う自分の声は、誰かに届くのだろうか。
(…本郷さんは)
その先はもう思考にならなかった。
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