一
降り注ぐ蝉時雨が、無数の玩具モーターの唸るようなかまびすしさで耳を塞いでいる。くっきりと
落ちる木陰から一歩踏み出すと、淀む熱気よりも容赦ない灼熱の陽光が照りつけてきて、風見志郎は
目を細めた。
「―――風見」
振り返り、この暑いのに相変わらずワイシャツの袖口まできっちりと留めた友人が小走りでやってく
るのを待つ。
その表情で判り切ってはいたが、どうだった、と一応尋ねてみた。
結城丈二は首を振った。
「どうやら駅の方へは行ってないようだが」
「そうか」
仰ぐ空はどこまでも青い。その眩しさにまた眉を寄せながら、どこへ消えてくれたかな、と風見は
独りごちた。
「気づかれたと思うか」
「それは解らないが」
なかなか食えない先生だ、とは言葉にはせずに、肩をすくめた。
「どうする。一旦研究室に戻るか」
いや、と答えながら風見は頭の中で地図を広げた。
学生時代にはこの近くに住んでいた友人を良く訪ねていた事もあり、結城よりはこの辺の地理に
もあかるい。
この辺は高度成長期に作られた住宅街だ。住人でない人間が、そう易々と入り込んで見咎められ
ない場所はそれ程多くない。むしろ身をひそめてやり過ごすとすれば、住宅街の住民がかつて通っ
ていた近くの工業団地だろう。今は閉鎖された工場や、廃屋同然の建物も多い。
そう思いかけて、ふと思い当たった。
「そう言えばここからだと、あの工場が近いな」
何気なく言ったつもりだったが、結城の表情がかすかに強ばったのが判った。
未だに気にしているんだな、と思う。
だがもう過ぎた事だ―――何もかも。
「まあ、今回の件とは関係ないだろうが」
そもそもまだ事件になると決まった訳でもない。
「―――行ってみるか」
それでも逡巡を悟られまいと、あえて自分から言い出す辺が友人らしいと思いもする。
「そうだな」
かつて人知れず拠点がつくられていたとはいえ、もう三年も前の話だ。今更行ったところで何か掴
めるとも思わなかったが、一度は敵が秘密の研究を置いた場所だ。行ってみる価値はあるだろう。
「行こう」
先に立って歩き出そうとする結城を、風見は呼び止める。
「おい、そっちじゃないぞ」
え、と振り返る結城に、ついと手を上げて道路の反対側を指差してみせる。何もそんなにむきにな
らなくてもいいんだ、と思いながらも知らず微笑はこぼれた。
「何を笑ってるんだ」
何でもない、と答えて風見は歩を進めた。
先に帰国していた結城からの連絡を受けたのは、ちょうど風見が荷造りをしている時だった。
(都合がつけば、でいいんだが)
いつになく歯切れの悪い口調に、何を今更、と思った。
T大の物理学教室でこの春にスタートした新しい研究テーマに先んじて、その課題に関わる論
文を昨年発表していた結城は、招かれて年明けからこの近くの研究センターにしばらく間借の身と
なっている。
(まあ、ちょうど良かったのかもしれないな)
去年まではある国の研究機関に籍を置いていた結城だった。だがそこで起きたある事件を解決す
る為に、どう見ても一介の科学者では済まされない程動き過ぎている。その場その場はどうにか
取り繕ってきたものの、時間が経ち、当事者達も少しずつ当時の事を思い返して不審を覚えるよ
うになってきたらしい。
とはいえ事態そのものがあまりに非現実的過ぎた為に、常識的な人々としては正面きって事の
真相を問いただすのがためらわれたのは幸いとも言えた。結城も元々口のうまい方ではない。
何もかも説明してしまおうとすれば仮面ライダーの存在を隠しては通れない。そこから始めよ
うとすれば、それこそ今回の事件どころではない「現実離れ」した経緯から何から色々と厄介な
説明をしなくてはならない、となるともはや友人にはお手上げになる筈だった。
とは言え真実を知る人間が目の前をうろうろしていれば、事件に巻き込まれた人々にしてみれ
ば忘れる事もできないだろう。それがどんな現実だろうと、知りたい、という欲求がいつかは勝
つのは目に見えている。
だから故国の研究室から依頼があって、というのはまさに格好の―――言葉は悪いが―――逃
げ道だったのだ。
だがどこへ行っても、事件に巻き込まれるのは仮面ライダーの宿命と呼ぶべきだろうか。
(昔K大に居た、白木博士を知っているか)
とは言えその問いかけはやや唐突に過ぎた。答えあぐねていると、電話の向こうでも気づいた
らしく、ややあって息をつく気配がした。
(専門は空間エネルギー学だが、今はT大で宇宙物理学の教室を持っている)
(その博士が、どうかしたのか)
しかしそう問いただすと、受話器越しでもその困惑が伝わる程の沈黙が続いた。言い淀んでい
る気配を察して先に切り出す。
(……ああ、まあいい。帰ってからきく)
どうせ帰国するのは一緒なのだ、と元々の予定よりも少し早く風見が帰国して来たのは先週の
事である。
ここのところ何となく、故国から足が遠のいていた。
その理由も解っていた。
この前に帰国したのも、同じ夏だった。
暑い日の、幻のような記憶と―――それにまつわる様々な出来事を、おそらく自分はまだ気
持ちの内で整理できずにいる。そしてその始まりが、ここにあるのだと。
風見は足を止める。
目の前には、真夏の陽射しに欠けや染みを晒すコンクリート壁の連なりがあった。少し背伸
びすれば覗けるその向こうには、同じように荒れ果てた風景が広がっている。敷き詰められた
砂利の隙間から生えた雑草も白く立ち枯れ、閉鎖されて久しい工場の敷地内には、動くものの
影もない。
「何もなさそうだが」
ふと見やると、鉄柵になっている門扉の隙間から結城が中を伺っていた。
「―――一応、中も見てみるか」
自分で言い出しておきながらまだどこかためらいがちに、黒い手袋を嵌めた手が塗装の剥げた
把手を掴んだ。無言のまま静かに捻った、その時である。
単に指先が滑っただけ、と風見には見えた。しかし嫌な音に思わず見やると、結城はかすか
に眉を寄せ、開いた自分の右手を見下ろしていた。
その掌の内には、たった今ねじ切られた把手の残骸があった。
「……結城?」
「こう暑いと、何だか力余って困るな」
笑いながら、持て余した残骸をさりげなく石柱の上に放りあげる。
「すっかり錆びついてるよ」
手袋に残った金属粉か塗料を払い落として手をかけ直し、結城は鉄柵を横に引いた。耳障りに
軋む金属音をたてて門が開くと、その正面には陽光の下でなおくすんだ建物がある。
かつては閉じられていたのだろうシャッターは上がったまま、虚ろに中の薄闇をさらしてい
た。既に閉鎖されて久しい工場はまるで時の止まったように、あの時から全く変わらない。
足を踏み入れると、乾いた足音にかすかに埃が舞う。かつては何か機械が据えつけられてい
たのだろう、コンクリート打ちの床にはところどころにビス止めの穴があいていた。しかしそ
の奥には、人よりも大きなネジでもなければ合わないような大きな口がぽっかりと開いている。
おそらくは工場が閉鎖された後にこの建物を使っていた何者かがあけたのだろう、地下へと
通じる入口だ。
歩を進めようとする風見を珍しく制すると、その手を入口にかけ、黙ったまま結城はその下
につくられた階段に足を踏み入れた。
―――下りてくるな、とその背中が言っている。
だがもう何がそこにあったのかは自分も知っているのだ。今更あの夏の残骸を見ても、別段
心が乱される事もあるまい。そう思いながら、しかし風見も足を止めていた。
ぐるりと見渡す。
淀んで熱い空気も、埃じみた床に落ちる窓枠形のくっきりとした影も、三年前のままだ。
だがもうここには何もない。そう解ってはいても、まだどこかであの時の声が耳の奥に熱く
湿って残っているような気がする。
(―――兄を、待っています)
白い光の内に浮かび上がった、可憐な懐かしい面差しを思う。
風見もここで見たものを、結城には話していない。
そしてふと風の内に、奇妙な気配を感じとっている。懐かしいような忌わしいような、不
思議な気配だった。
その理由も解っていた。
二
その家は住宅街の外れにあった。
数十年前に造られた家並は概ね古い。トタン屋根と瓦屋根のちぐはぐに組み合わさった家
々が、中途半端な高さのブロック塀の向こうから灼けて覗いている。住人の入れ代わりもあ
るのだろう、その並びの中に変に小奇麗で薄っぺらい新築が唐突に現れたり、建物を取り壊
したもののその先の目処がたたなかったのか敷地内に雑草が繁るに任せていたりしているの
が、更に大雑把な感じだった。
どこへ行っても所詮は仮住まいだ。住むところにはこだわらないつもりだったが、自分な
らここはあまり借りたくなかったろうな、と風見はひそかに思っている。
胸の高さ程しかない小さな門を押すと、鬱蒼と茂った緑が視界一杯に現れる。その下に見
え隠れしている敷石をどうにか踏んでも、進む足に青々とした葉が我が物顔にまとわりつく。
少し先の軒下に停めてある筈のバイクも、ここからではどこにあるのかさえ伺えない。いく
ら夏といっても少しは刈るとかしたらどうなのか、と思ったが口にするのは止めておいた。
「……それにしても、こうして見ると年期が入ってるな」
風見が仰いだ先には、ところどころ塗装の剥げた廂が斜に陽を防いでいた。
昨晩は暗かった事もあってあまりじっくりと眺めてみなかったのだが、明るい光の下で眺
めると、随分古い家なのだ―――と思った。
「だが、この家が良かったんだよ」
その下の摺りガラスの嵌め込まれた引き戸の前で立ち止まり、結城はポケットを探った。
旧式の鍵を開け、土間に靴を脱ぐ。
「何でも前の持ち主が、この家をそのまま使って欲しいと希望していたんだそうだ。僕にし
てもその方が都合が良かったし」
半年程の滞在ならば住まいは借りるのが常だった。当初はそのつもりで、いつものように研
究センターの近くのアパートを借りていた結城だったが、しかし途中で事態は変わっている。
廊下を抜けて居間に入ると、結城はクーラーのスイッチを入れた。
「それじゃ、僕は地下に居る」
おう、と答えながら風見もソファに腰を下ろした。
そう言えばそもそもその為に来たんだったな、などと今更のように思い出す。
「二時間位で終わるから、その辺の本でも読んでいてくれ」
そう言いおいて、結城はテーブルからファイルを取り上げて横のドアを開けた。
風見はソファの背もたれに両腕をかけてその背中を見送っていたが、ややあってテーブル
へ視線を向けた。
そこには昨夜から一通の封筒が置かれたままになっている。その辺の文房具屋で、二十枚
幾らで売られているような何の変哲もない白封筒だ。封はされておらず、逆さにすれば中身
がすんなりと掌に落ちてくる。それも白地に罫線の引かれただけの、ありふれた便箋だった。
癖のついた三つ折りを開くと、昨夜の自分の声が耳元に甦る。
(また、随分と思わせぶりだな)
雑誌や新聞の見出しから切り抜いたらしく大きさの不揃いな文字の貼られた便箋は、糊のつ
け過ぎでやや波うっていた。改めてその文章を読み返してみる。
「白木博士の動向に着目されたい」
大雑把な警告の文面は少し間を空けて、もう一文続いている。
「デストロンの理想を思い出せ」
それ以上の文章も差出人の名も何もない手紙だった。
電話で言いあぐねていたのは、その手紙も一因だったのだろう。
風見が到着したのは日付もとうに変わった後だった。地球の反対側で過ごしていたから昼
夜逆転していても支障はなかったとは言え、できれば少しはくつろぎたかったというのが本
音だ。だが荷物を解くのもそこそこに、とにかく見てくれ、と結城にこの封筒を差し出され
たのだった。
(これが先週、研究センターのポストに直接投函されていた)
借りていたアパートでなくセンターの研究室のポストに入っていたという事は、差出人は大
学の関係者かもしれない、と結城は言う。だがそれ以上の手掛かりは何もなかった。
(差出人に、何か心当たりはないのか)
少なくともこの文面の主は、結城の素性を知っている。
デストロンが滅びた時、各地に張り巡らされていたアジトにはまだ機能していたものも少
なくなかった。その中には、結城を科学者グループのリーダーと仰ぐ科学者達も残されてい
る。ほとんどはデストロンの支配を逃れて、市井の医師や研究者となったらしいが、そんな
科学者が、平和な日々の中に何かの危険をかぎ取りながらもそれ以上は動けず、かつてのリ
ーダーを恃んできた―――というのは考えられない話ではなかった。
さあ、と首を傾げながら、思い出したように結城は風見の前に缶コーヒーを置いた。
科学者グループと言っても、その全容は結城にも掴みきれない程大きかった。リーダーと
して結城の名は知られてはいたが、逆に組織の末端には結城の知らない構成員も幾らも居た
のだと言う。
(で、その白木博士とやらはどうなんだ。何だったかな、専門は)
(元々は空間エネルギー学だが)
実際こういう話題になるとこいつはいい顔になるんだな、と風見はちらりと思う。
(最近の研究テーマは、むしろ分類するなら空間理論寄りのようだ。僕も去年発表の論文ま
でしか読んでいないから、詳しくは解らないが)
(何か怪しい動きでもあるのか)
(今のところは、そうとも言い切れない)
大学は既に夏休みに入っている。教授陣もそれぞれに休暇を楽しんだり自分の研究に没頭し
ている時期だ。
(ただ)
言いかけて、しかし結城はかすかにためらった。
そう言えばあの時も古い家だと思ったのだ、と風見はふと思い出す。天井の中央から下がっ
ている灯は懐かしさすら感じさせるデザインで、結城がつけ代えたらしい電球が不似合いに
明るかったのが変に気になった。
その青白い光の下で、コーヒーの缶が細かい汗を滲ませていた。
(―――白木博士は、デストロンに協力していた事がある)
しかしそのためらいを気づかせまいとするような硬質の声で、結城はそう告げたのだ。
デストロンには結城達のように研究所に常駐していた科学者の他に、普段は「外」の世界
で研究しながらその成果を密かにデストロンに流している「協力者」も多く居たという。白
木博士もその一人だ。デストロンに与してはいるが、厳密に言えば科学者グループには属さ
ない科学者である。直接に戦闘部隊と協力する、いわばフリーの存在だった。
過去の戦歴を科学グループの見地から解析する立場にあった結城は資料でその名を知って
いたが、白木博士は自分の存在も知らない筈だ。
そう考え、結城は初対面として白木博士に接していた。
君が結城くんか、と妙に親しげに言われた時にはひやりとしたものの、記憶されていたの
は学会誌に載せた論文だったと知って安堵したと言う。
(とぼけられているんじゃないのか、それは)
そう聞き返した自分も随分疑り深いのだろう、と風見は思う。
結城には結城の見方もあるのだろうが、かつて自分が抹殺したい程憎まれている事にも気
づいていなかったような友人の見解をうのみにもできなかった。もう十年以上のつきあいに
なるが、人の心の機微にはやや疎いところのある友人なのは嫌という程知っている。まして
や相手がデストロンに加担している事を周囲に気づかせずに普通に生活していたという、し
たたかな科学者ならなおの事だ。
(それはないと思うが)
そう答えながら、しかし結城はふと言い淀んだ。
(……だが、博士の研究が魅力的なのは確かだよ)
誰にとって、などとは風見も聞き返さなかった。
白木博士はここ数年、何か新しい理論を発表する為の研究に没頭している。近年発表され
ている論文も、その理論に附随するものに過ぎない―――というのは、大学に関わる者なら
ば誰でも知っている事だった。但しその研究が何なのか、知っている者は居なかったのだが。
『ちょっと聞いただけだが、正直解らなかったよ』
博士に直に接触する前に、と結城が話を向けてみた教え子でもある若い研究者も、そう呟い
て苦笑混じりに肩をすくめたものだ。
『あれはどうなのかな。白木先生は確かに天才だ。だが、正直なところ実用化できるとは思
えないよ。あれは』
妄想に近いんじゃないか―――と言外に滲ませたその研究内容の詳細は、結城にもまだはっ
きりと掴めてはいなかった。だが世には絵空事とか奇抜としか思われないような、常人の理
解を越えたその発想が、どこでなら歓迎され実用化されるのか、友人は良く知っていた。
(僕は、少なくともこの手紙は悪戯ではないと思う)
風見から受け取った便箋を見つめながら、結城はそう呟いたのだ。
(そうか)
そして結城が手に入れていた大学の住所録の自宅には、既に白木博士は住んでいなかった。
学生の指導の為に大学に現れたところから後をつけたのだが、尾行は夏の陽射しの中であっ
さりとまかれている。自分達のマークに気づいているのかどうかも定かではなかったが、い
ずれにしても軽く見ては足元をすくわれかねない、油断のならない相手なのではないか――
―と風見はひそかに考える。
元デストロンの科学者ならば尚の事だった。
瞼の裏に明るい光が透けた。
眠っていたのか、と思いながらソファから身体を起こす。自分ではそれ程とも思っていな
かったのだが、やはりまだ時差が調整できていなかったらしい。いつの間にか、西向きの窓
からは朱の陽光が斜に射し込んでいた。ジーンズの膝も、ソファの背もたれに置いた手も夕
暮れの色に染まっている。
閉め切られた室内は空調の冷やす空気と、窓際から滲む熱気が混ざりあって淀んでいた。
室温の上昇にのろのろと目覚めるようにクーラーの作動する音がぼうと耳に届いて、吹出口
から無機的な冷気が吐き出される。
スイッチを切って、風見はドアを開けた。
むっとして重い熱気を満たした廊下を抜けると、その突き当たりにはドアがある。開けた
先には、暗い地下へ続く階段がある。
この家の前の持ち主が、この地下室を何に使っていたのかは定かではない。
(電気設備は最初から整っていたんだ)
昨晩結城から、そんな話も聞いていた。
(音楽を聞きたかったのか、それとも映画でも見ていたのかもしれないな)
家はさほどではないが敷地は広く、近隣の家とは距離もある。だが近所に心置きなく大きな
音に浸るとしたら、地下室を作るのが確実だ。
家は建て替えずに使って欲しい、との持ち主の意向の内には、この地下室を誇る気持ちが
あったのかもしれない。築二十年と聞く外見からすると不釣り合いな程堅固で、防音設備も
完璧なシェルターめいた地下室だった。
そしてこの地下室が、ある意味では結城にこの家を選ばせたとも言える。あの奇妙な手紙
を受け取って、結城はすぐに借りていたアパートを引き払い、外からは中の様子が伺い難い
一軒家を探していた。敵につきとめられにくく、万が一の場合には放棄してもいいような仮
の拠点だ。
(この状況で、伊豆に行くのは危険だろう)
仮面ライダー達が帰国した際の集合場所ともなっている本郷邸の場所は、今のところ敵組織
の標的にはなっていない。だが結城の正体を知る何者かが敵か味方かすら解らない以上、砦
とも呼ぶべき本郷邸に、敵をむざむざ招待してしまいかねない危険を考えない訳にもいかな
かったのだ。
それにしても良くこれだけうってつけの家がすぐに見つかったものだ、と思いながら、風
見は階段を下りていった。灯はつけなくても、足は迷わなかった。
クーラーは置かれているらしい。風見の耳はそのぼんやりとした駆動音を遠くとらえてい
る。しかし薄暗い地下を満たしているひそやかな熱気は、地上を覆う夏の空気とは明らかに
違っていた。モーターやコンピュータの生み出す、昼も夜もない無心な熱さだ。
ここには、あの工場からは永遠に失われた、人間の意志が動いている。
ふとそんな事を思った。
当たり前の事だ。この世界のどこかで悪の組織が密かに計画を進めているならば、それに
対抗する力である自分達が強くなろうとするのもまた必然だった。
ふと風見は眉をひそめる。
そう解ってはいる。だが未だに奇妙な抵抗感を捨てきれずにいる自分にも、風見は気づい
ていた。
共に戦おう、と誓った言葉に偽りはない。
かつて戦う為に自分が得た力に迷いも疑いもなかったから、改造度の低い友人が更に強く
なろうとするのを止める理由もない。ならば何故、少しでも自分に近づこうとする一心で自
ら再改造を重ねてくるその瞳を見つめ返すのに奇妙な気後れをおぼえるのか。
そう思いながら、風見は友人を見下ろしている。
傍に置いたモニターを自分で見る為だろう、リクライニングシートの角度は浅い。
「……どうした」
横になったまま、友人はいつもと変わらない瞳で見上げてくる。
その身体には、無数のコードが繋がれていた。
壁から天井まで防音材の貼られた地下室は随分広かったが、今のところ結城が使っている
空間はその半分にも満たない。ぐるりとリクライニングシートを取り巻く形で置かれている
機械類は測定値を計算し分析し、その結果を次々とモニターに送り込んでいる。
伊豆の本郷邸の設備を見慣れた目からすると、室内の機器はいかにも寄せ集めめいていた。
白木博士の一件がなければ手術はいつも通り伊豆で行われる事になっていたから、急いで必
要な器具機材だけを手配したのだろう。
(元々は)
そんな話を聞いたのは、もう何年も前の事だ。
出会った頃は、まだ結城の改造部分は生身を失った右腕だけだった。
だがその右腕は試作品であり、本来ならば人体のほとんどを機械に置き換える《C計画》
の一部だったのだという。デストロンを世界を救済する組織と信じ、その力とする為にかつ
ての結城自身が立案したシステムだ。
計画半ばのシステムならば、完成させよう。
いかにも科学者らしい割り切り方とも言えた。だがもしも最初からそう切り出されていた
とすればきっと反対していた筈だった。
しかしデストロンとの最後の決戦の最中、プルトンロケットの東京爆破こそ阻止したもの
の、結城の身体は復元できないダメージを負っていた。
市井の科学者として生きるならば許容できる不自由も、戦うには明らかなハンディキャッ
プとなる。それを乗り越える為に結城が選んだのは、自らかつてデストロンで研究していた
戦闘用改造人間計画の被験体となる事だった。
生身の肉体と機械強化システムを融合させるという新しい改造手法は、四肢の置き換えか
ら始めて数年をかけて行われていった。最初の手術は損傷が著しく、動かす事すらままなら
ない部分から始まったから、不自由なく身体を動かせるという事にしか風見も目が行ってい
なかったかもしれない。
だがその後、更なる機能強化の為に重ねられる改造手術に立ち会う度、風見は時として懐
疑的な気持ちになるのだった。
もう充分ではないか―――と。
そう言えば、返される言葉も解ってはいたのだが。
(君の力になりたい)
だがそれは、自分が彼に望んだ未来ではなかったのだと。そんなわだかまりも、捨て切れて
はいないのかもしれない。
「もうじき終わるから、上で待っていてくれ」
袖口からコードを延ばしたままの右手で傍のパネルを操作し、結城は風見を見上げた。
手術前にいつも行われているデータ測定を見るのは初めてではなかったが、訳もなく居心
地の悪さを覚えている自分自身に、風見は静かにとまどっている。
「……ちょっと出かけてくる」
知らずその気もない言葉が唇をついていた。
「そうか」
少し笑って答えた結城の、二つ三つボタンを緩めたワイシャツの合わせからも何本ものコー
ドが延びている。
「それじゃ、コーヒーを買ってきてくれないか。缶はあるんだが、豆を切らしてるんだ」
分った、と答えて、風見は階段を上っていった。
既に陽は屋根の連なりの向こうに落ちていたが、真昼の焼けつくような熱は未だ地表に漂っ
ている。
駅前で買い物を済ませたものの何となく帰る気にならず、気づくと足はまた昼間に歩いた街
へ向かっていた。この辺は幾つかの大学にも近く、大通り沿いに歩けば学生時代にも通った事
のある街もすぐそこだ。だがそんな懐かしさもどこか薄い膜に包まれているようだった。
地下室の光景を思うとこの穏やかな光景が白日夢のように思われ、しかしこの平和な風景の
内に身を置くとあの地下室がひどく現実離れして思われる。
何が気になっているんだ、と自問した。
結城の再改造手術になら、もう何度も立ち会っている。それこそ、もうわざわざ来てくれな
くていいんだ、と当の本人に言われる程に。最も大規模な手術だった初回に比べれば、神経回
路の強化がメインだという今回の手術は難易度も低く、半分は定期メンテナンスのようなもの
だと聞いている。
そもそも生身への感傷などと言い出すなら、自分自身のこの身体は脳以外は全て機械も同然
だ。今更何をためらうものか。だとすれば一体自分は何を気にかけているのか。
そんな事を考えながら角を曲がって大通りへ出ようとした、その時である。
「―――素通りか?」
家の中からいきなり呼び止められたのが自分だと、気づくのに少しかかった気がする。
昭和三十年代に建てられた木造建築の続く家並みの中でも、それは一際風情のある―――有
り体に言えば廃屋寸前の建物だった。道沿いまで侵食している露草や昼顔やその他名前も判然
としない雑草が、小さな濡れ縁を覆わんばかりに生い茂っている。その縁先が、黄昏時のおぼ
ろな光の下でもささくれ立っているのが見てとれた。
閉めきった雨戸にもたれかかるようにしてその濡れ縁に腰を下ろし、一人の老人が風見を見
ていた。緊張感なく背を丸めていたが、年を考えれば長身の部類に入るだろう。くたびれたワ
イシャツの襟元は暑さにだらしなく緩められており、随分印象は違うとはいえ、写真で見せら
れたその顔を風見が見間違う筈もない。
「……白木博士?」
自分でもその声はいささか訝しげに響いた。だが老科学者はのんびりと団扇をつかいながらこ
ちらを見ている。
「まだこんなところに居たのか」
それはこっちの台詞ではないのか、と風見は眉を寄せる。
自分達は貴方の行方を追って暑い中を走り回ったのだ―――と思わず口に出しかけて思いと
どまる。明らかにおかしい。
デストロンに与していたなら、宿敵である仮面ライダーV3を知らない筈はない。勿論自分
の顔も見知ってはいるのだろうが、それにしてもこんな気安い物言いをされる覚えはなかった。
暗くて表情は伺えなかったが、どうやら少し笑っているらしくにも見えたのだ。
「結城くんには会いたくないんだろう」
風見の沈黙を意に介する風もなく、和らげられた口調は親しげだった。明らかに知己に向けら
れているとしか思えないその穏やかな言葉を自分でも口の中で繰り返してみて、はっと風見は
気づく。
まさか、と思った。
だがそうだとすれば納得が行く。
「……もう帰るところですよ」
手探りするように言葉を探しながら、考えを巡らす。
「そうか」
白木博士は手にした団扇を止め、眉を顰めてすいと宙を払った。
「さてと。虫もうるさくなってきたし、私もそろそろ戻るかな。約束の実験結果はちゃんとま
とめておくから、心配するな」
「実験結果?」
思わず聞き返して、風見は慌てて咳払いする。
「ああ、粒子加速の二回目の実験だよ。まだ渡していなかったろう?」
しかし博士は別段いぶかしむ風でもなく、濡れ縁に脛を上げた。
「明日の夕方と言ったが、午前中には仕上げておくから。取りに来てくれ」
よいしょ、と声をかけて立て付けの悪い雨戸を引くと、返事を待たずに真っ暗な室内へ入って
いく。
「……解りました」
白いワイシャツの痩せた背中を見送りながら、風見はそう答えた。
肌にはりつくような重く暑い空気が、けだるく背や肩にまとわりつく。
いつの間にかすっかり陽も落ちて、辺は藍色の闇に満ちていた。
まっすぐ帰ろうと思うと意外に遠出してしまっていたのに、今更のように気づいたりした。
かつての記憶も辿って狭い路地や脇道を通り抜け、ようやく見慣れた家並みに出る。間隔の開
いた街灯に、古い家々は屋根も緑もおぼろな輪郭がかろうじて伺える程の重なりとなって闇に
鎮まっていた。
その中から摺りガラス越しでも明るく光っている灯に引き寄せられるように、知らず歩が速
まった。
「―――お帰り」
結城は居間の机に向かっていたが、風見に気づくと振り返って少し笑った。
「コーヒー、ここに置くぞ」
ありがとう、と答えると、また机に向かう。さっきまで取っていた計測データ結果なのだろう、
机には印字の薄い紙の束が積まれ、スタンドの光を眩しく照り返していた。
その光に覆いかぶさるように向かっている白いワイシャツの背中を眺めながら、風見はふと
訳もなく振り返らせてみたくなる。
「そう言えば、エンジェルドロップの解除実験は上手く行ったのか?」
それは去年の事件にまつわる薬品の名である。
さりげなく切り出したつもりだったが、我ながら唐突すぎる質問だとは思った。何故今頃そ
んな事を、と聞き返されたら困るな、とちらりと思った。
「うん?」
結城も少しまごついたように宙を仰いだものの、手を止めると椅子を回して風見に向き直った。
「完全とは言い難いが」
そう前置きしながらも僅かに記憶を辿ろうとするような間があったが、その目はまっすぐに風
見を見ている。
「どうにか実用化の目処はつきそうだ」
天才科学者・川島誠の作り出した薬品エンジェルドロップ。
それは「刷り込み」現象に似た反応を引き起こさせる薬品だった。本来ならば生まれて一定
の期間内にしか起こらない筈の、絶対的な感情を植え付ける。嫌悪であったり尊敬であったり
信頼であったりと、成分調整によってコントロールできる対象への感情は、一度植えつけられ
てしまえば上書きもできなかった。
そんな薬を知らない内に投与され、開発者の悪戯じみた悪意から南瓜やらトマトケチャップ
やらに自分でも制御できない恐怖や敬意を植えつけられてしまった人々を治療する為に、結城
は廃棄されたアジトから回収したエンジェルドロップの分析と抗効果薬の開発を続けていた。
「エンジェルドロップの分析結果から、脳に作用するアミノ酸構造を特定できたんだ」
言いながら、結城のまなざしは不意に風見の知らない光を含む。
「動物実験では、八八%の成功率だ。どうしても取り除けない種類の感情はあるんだが、少な
くとも恐怖の感情に関しては解除が可能になった。ただし効果が出ない場合でも、投与による
悪影響は今のところ見られない。もっともラットと兎での実験だから、長期間に渡っての副作
用や人間のような複雑な頭脳活動に影響が出ないとは断言できないが」
自分で切り出した話でなければとうに遮っていたな、と風見は思う。元をただせば悪の組織に
見込まれた程の天才科学者なのは、今更思い出すまでもない。風見自身も、そんな友人の頭脳
に幾度も助けられてきたのも事実だ。
科学者はその研究に没頭している時、子供のように無心な表情になる。
だが見慣れたその表情が、いつになく勘に障った。
「一応、人体実験も一回だけやってみた」
「解った。もういい」
自分勝手にそう言い放つと、風見は台所へ向かった。
逆さに伏せられていたガラスのコップを手に取り、勢い良く水を注ぐ。夜になってもなかな
か下がらない外気のせいか水道水は生温かったが、それでも乾いた口中を満たすその潤いを風
見は静かに感じている。
何故自分は言わないのだろう、と自問してみる。
白木博士の居場所も―――そしてもしかすると、この一件の鍵を握っているのかもしれない、
自分と同じ顔をしたあの男の存在も。それは結城も知りたい筈だ。そう解っていながら絶対に
話そうとは思っていない自分を、風見はぼんやりと持て余している。
ふと見やると、シンク横のゴミ箱にビニール袋に包まれたガラスの破片が透けていた。
「割ったのか、コップ」
ああ、と居間から結城の声が答えた。
本郷猛が到着したのは、空もまだ濃い露草色にけむる未明の事だった。
「なかなか良い家だな。空港からも近いし」
いつものように少し笑みを含んだおおらかな声でそう言われると、本当にそんな気がしてくる
から不思議だ、と風見は思う。
当の結城を除けば、その改造計画《C計画》の全貌を理解しているのは本郷ひとりと言って
いいだろう。当初から結城の再改造に関する執刀を引き受けているのが本郷である。何かと多
忙な中でほぼ一年に一度、それまでの集積データに基づいて行われる手術の為スケジュールを
やりくりして帰国してきていた。いちいち口にこそしないタフな先輩だったが、今回もかなり
の強行軍だったらしい。
「悪いが、少し休ませて貰っていいか」
洗面所でタオルを湿し、汗を拭うと少しすまなそうにそう言った。
詳しい話は聞いていないが、今はスイスの某研究機関でプロジェクトの指揮を執る傍、近辺
の怪しい動きを併行して探っているという。
本郷の為に用意していた一室は、既にベッドも整えられている。まだデータの整理に追われ
ているらしい結城の代わりに風見が案内すると、有り難いな、とまたいつものように笑った。
「八時になったら起こしてくれ」
あと三時間もない時刻を指す時計をちらりと眺めて、シャツの襟元を緩める。
薄掛けの中に潜り込むと眠たげにしばたく目元を撓めて、ふと風見を見上げた。
「―――そう言えば、この間隼人が来たぞ」
思い出したように呟いたものの、どうやら眠気が勝ったらしい。
「まあ、明日話そう。お休み」
鬱蒼と茂る枝葉がこちらも半ば覆っているものの、窓からはほの明るい光が射し始めている。眩
しげに片手を上げて少し目元を撓めると、そのまま目を閉じた。お休みなさい、と風見も低く答
えてドアを閉めた。
起こすまでもなく、本郷は時計通りに起きてきた。
「お早うございます」
風見が台所から顔を出すと、いい匂いだな、と笑った。
昨日買ってきたコーヒーを、そろそろだろう、と風見が時間を見計らって淹れたところである。
伊豆の本郷邸にあるようなまともな食器が揃えられていないのに今更のように気づきながら、ま
だましなカップを選んで少し濃いめに抽出した一杯を持っていった。
「ありがとう」
受け取って口をつけると、懐かしいな、と目を細めた。伊豆で常備されているのと同じブレンド
の豆は、元はと言えばかつての「アミーゴ」で使われていたメーカーのものだ。
「ところで、ちょっと気になる事があるんだが」
言いさしてふと口をつぐむ。その視線につられて風見が振り返ると、お早うございます、と戸口
に結城が現れた。どうやら徹夜になったらしく、明るい朝の光に眩しげに目をしばたせている。
聞こえるように溜息をついて、風見はコーヒーを淹れてやった。
ありがとう、と受け取りはしたものの、何か気にかかる事でもあるのか腰を落ち着けようとは
しない。そして本郷も、結城の顔を見るとやや表情を引き締めて、お早う、と答えた。
「今夜で大丈夫かな」
珍しく僅かな間があったような気がしたが、はい、と結城は頷いている。
「そうか。データが取ってあったら、見せて貰おうか」
持ってきます、とカップを片手に結城が廊下へ戻っていく。その背中を見送って、本郷はつと風
見を見やった。
「―――昨日、ここへ来る途中で」
あえて何気ない風に切り出そうとしているのが解った。
「お前そっくりの男を見かけたぞ」
思わずまなざしの険しくなった自分に、風見は気づいている。
「どこでです」
だが今更驚きもしなかった。
「工業団地のバス停の角から、駅へ出られる大通りですれ違った。駅前の角で曲がったから、お
そらくそう遠くへは行っていないだろう」
互いにバイクだったし道路越しに見ただけだが、とつけ加えた。だが本郷が見間違う筈もないの
は、風見にも良く解っている。そうですか、と答える風見の横顔を、本郷ははかるようにしばら
く眺めていたが、やがて少し表情を和らげた。
「悪いが、俺もこっちに居られるのは明日の昼迄でな。結城くんの手術が終わったらすぐ戻るよ
うだ。後の事はお前に任せていいか」
「はい」
もとより先輩達の手を煩わせるつもりもなかった。
あれは自分が決着をつけなければならないものだ。
昨日からどこかで意識しているせいか、淀んだ空気の内に、はっきりと自分と似通った気配が
また漂うのを感じた。まだこの近くに居る、とその感覚が教えている。
「すみません、ちょっと見てきます」
ヘルメットを取って戸口を出たところで、ちょうど地下室から上がってきた結城に行き会った。
「出かけてくる」
さりげなさを装ったつもりだったが、自分が能面のような表情になっているのは否応無しに解っ
ていた。いかに機微に疎い友人でも、どこへ行くんだ、と見咎められるか、とちらりと思ったの
だが。
「そうか」
しかし結城も何故かそれ以上問いただそうとはしなかった。むしろその表情が、どこかほっとし
て見えたのを風見が思い返すのは、少し後になっての事だ。
だがその時には、風見も自分の懸念に気を取られていた。
三
自分ならばそうするだろう、と考えた思惑がことごとく当たっているのはひどく癪だった。
「いい部屋だな」
駅前に新しくできたばかりのビジネスホテルは、間口の狭さを除けば調度品も日当たりも悪くな
い。下の階ならばまた景色も違うのだろうが、最上階のこの部屋からは遠く都心部のビルがくっ
きりとした青空にそびえ立っているのが見える。申し分ない眺望だ。
「そうだろう。……だが、やっぱりお前には解ったんだな」
かすかに笑いを含んだ声に、窓から視線を外して風見は振り返った。
「解らないとでも思ったか」
壁際のソファには、自分と同じ顔をした男がのんびりともたれかかっている。
顔ばかりではなく―――ソファの背もたれに両腕を上げ、足を組んだその佇まいも、まるで鏡
を見ているようだった。
「最初から、そのつもりだったんだろうが」
本郷に目撃されるのも、おそらくは計算ずくだったのだ。
そして話を聞いた自分が駅界隈のホテルをあたるだろうとも、多分解っていたのだろう。自分
ならそうするだろう―――と考えて。だとしたらこれも相手の思うつぼなのか、と思いながらも、
何故か危機感も覚えない自分に風見は気づいている。
「悪趣味だな」
「結構これでも考えたんだがな」
肩をすくめる、その仕草が堪にさわった。
「俺達にしか解らない名前だろう?」
「確かにな」
風見は低く答えている。
ここを突き止めるのは先輩でも友人でもなく、自分でなければならなかった。そのつもりで、
彼もその名前を選んだのだと。母親の旧姓を、風見も迷わずフロントで口にしている。
(―――を訪ねてきたんですが)
フロントは逗留客と同じ顔の到来にもプロらしい平静さで応じた。
(風見様ですね。一四〇三号室でお待ちです)
そしてノックすると、間も置かずにドアが開いてその向こうから見慣れた顔が覗いたのだった。
「単刀直入に聞こう。結城に、あの勿体ぶった手紙をよこしたのはお前だな」
「さあ、どうかな」
「何のつもりだ」
「そうつっかかるなよ」
軽く上げて制した手で、ベッド脇にしつらえられた冷蔵庫を開ける。中から缶コーヒーを抜く
と、思い出したように振り返って、飲むか、と尋ねた。
「借りにしておこう」
表情を緩めないまま風見が答えると、宥めるような笑みを片頬に浮かべて、ほら、と手にした
一本を放って寄越した。
窓際と壁際とでプルタブを起こす金属音が見事に重なって、また風見は眉をひそめる。
「気が合うな」
そううそぶくと、しかしようやく彼は真面目な顔になった。
「手紙はともかく、さっきの質問には答えられるから答えようか。文字通りだよ。あいつにか
つての理想を思い出して欲しいと思っている。それだけだ」
「理想だと?」
風見はまなざしを上げた。
「ふざけるな。貴様らの組織に、何の理想がある」
「あるさ」
缶をテーブルに置き、僅かに肩をそびやかして腕を組む。
「―――例えば、仮面ライダーが今日ひとりを助けた為に、十年後に百人もの命が失われる事
になる……と言ったらどうだ。未来の為には、今のままでは駄目なんだと」
「昔、似たような事を言った奴が居たな」
それは相手の内にもある記憶だ。
(デストロンがこの世を支配すれば、人々の生活はずっと豊かになるんだ)
だから世界征服を目論むのは、この世界を恒久の平和に導く為なのだ―――と信じてデストロ
ンに加わり改造人間となる事も辞さなかった友人の、その熱いまなざしは今も胸の奥底にあっ
ておそらく永久に消える事はない。
「高木か」
自分と同じ目が、懐かしげにかすかに細められた。
「そうだな。今ならあいつの言いたかった事も、お前よりは解ってやれるかもしれない。…
…だが俺が言おうとしているのはもう少し時間の余裕はあるが、もっと破滅的な事だ。人類ば
かりではなく、この地球全体のな。お前が信じている正義は」
「……その先は言うな」
風見は低く遮った。
自分と同じ顔で、訳の解らない理屈を語られるのは願い下げだ。憑かれたような目で語る
理想は、言葉だけはいつも美しい。その現実離れしたまっすぐさに真っ向から噛み合う言葉
をもたず、ただもどかしい嫌悪にかられるのはもう沢山だった。
そうだな、と彼は笑った。
「止めておこう」
「お前がどんなつもりか知らないが、結城をお前達の側に引き込もうとしているなら無駄だ。
それはお前も解っているだろう」
自分と同じ記憶を持つのだから―――と、言葉にはしなかったが。
だが陥れられ、追われてもまだデストロンを正義の組織と信じ―――やがて真実を知るに
至るまで、ひたすらに正しい道の為に生きようとした友人の彷徨を、自分達は知っている。
結城が今更、再び人類を滅ぼそうとする組織に加担する訳がない。それは自分にもこの男に
も解っている筈だ。
「そう言われると弱いな」
自分と同じ顔が、かすかに苦笑した。
「まあ、確かに斬新な説でないのは認めよう。ならば言い方を変えるか」
不意に真顔になる。
「いつまであいつを戦わせる気だ」
いきなり何を言い出す、と言い返そうとして、だが声は風見の喉で止まっている。
「あいつは科学者だ。人類の未来の為には、仮面ライダーとして戦うよりも科学者として生
きるべきだ。お前はそう思っていたんじゃないのか」
否定しようとすれば嘘になった。
(……もうお前は十分に戦った)
そう言ったのは、確かに自分自身だ。
あれはデストロンとの戦いが終わり―――結城が奇跡的に一命をとりとめた、その時の事
だった。プルトンロケットの残した傷は四肢を動かす神経の損傷という重いものだったが、
もしも市井の科学者として生きていくなら日常生活に相応の不自由こそきたすものの受容で
きる範囲内でもあった。ならば何も再改造に踏み切る事はない、と主張した自分の声を、今
も風見は思い出せる。
(これからは科学者として、人類の平和と幸福の為に)
そしてその願いをどこかで密かに抱き続けながら、その度重なる再改造手術に立ち会ってき
たのかもしれなかった。
何か言い返そうとした喉が、空調の空気に乾いている。苛立たしく缶コーヒーを傾けると、
その鈍い苦味が喉を刺した。
だが喉をくぐった冷たさが、揺らぐ気持ちを鎮めてくれるようだった。
「詭弁だな」
相手の理屈に乗っては思うつぼだ。風見はひとつ息をつき、自分と同じ顔をまっすぐに見据
える。
「仮面ライダーとして生きるからと言って、結城は科学者である事を捨てた訳じゃない」
仮面ライダーとしての戦いがない間、研究を重ね論文を書いてきた結城の名を学会誌で見て
いる。自分達が仮面ライダーの宿命以外を全て捨てた訳ではないように、結城は今も科学者
だ。それに変わりはない。
「あいつは今も科学者だ」
「……まあ、そういう考え方もあるか」
あっさりと認めると、風見と同じ顔の男は少し困ったように髪を掻いた。しかしその手の下
から、ちらりとまた風見を見やる。
「だが、お前の知らない事もある」
「何?」
「いや、あいつも知らない事か」
わざと思わせぶりに言葉を濁すと、風見にはあからさまに眉をひそめられた。苛々している
のが自分の事のように解って、部屋の反対側で彼は肩をすくめる。あまり挑発するのは得策
ではないか、と胸に呟いた。
「それを知れば、あいつも自分ひとりの決心だけでデストロンを裏切るような真似はできな
かった筈だからな」
むしろ知らない方がいいのだろう、とは今も思う。知れば真面目な友人が思い惑う事になる
のは解り切っていた。
「あいつは自分が知るよりもずっと前から、デストロンに見込まれていたんだよ」
それは友人からすれば、誰にも顧みられない孤独に救いの手を延べられたかにも見えて。
だが本当は何もかも仕組まれていたのだと、自分が知ったのはつい最近の事だ。結城丈二
という天才的な頭脳の持ち主を取り込む為に、全ては最初から計画されていたのだ―――と。
「……それどころか」
言いさして、ふと口をつぐむ。
どうもいけない。
風見志郎は―――自分と同じ顔をしたこの男は、結城丈二に最も近い友人だ。
自分ひとりで抱えるには重い秘密を、誰かに伝えたかった。同じ顔をしているこの男は、
この世で他の誰よりも自分の気持ちを解ってくれるのではないか、と。
だがそれは錯覚に過ぎない。この男は仮面ライダーだ。気安く喋ってはいけない、と自分
に言い聞かせる。
「―――それがどうした」
風見の声は落ち着いている。
「過去だの因縁だの、俺のクローンにしてはつまらん事を喋るな」
「気に入らないか」
「当たり前だ」
そうだろうな、と思った。
「ならばどうする。ここで戦うか」
わざと挑発的に言い放ち、背もたれから上体を起こす。
この前の戦いは、互いに不本意なものだった。相手にしてみれば悪の組織に加担する自分
をそのままにしてはおかれないだろうし、自分にとっても。
ひいやりと癖のある空気に、静かな緊張感が満ちた。
互いに相手が動けば、瞬時に戦闘体勢をとれるように全身の神経を研ぎすます。それは時
間にすれば僅か数十秒だったろうが、数時間にも感じられた。
「……止めておけ」
見えない呼吸を読みあうような微妙な間があって、やがて静かに言い放ったのは窓際に立つ
男の方だった。
「戦わないのか」
更に煽ってみたが、自分にも相手にもその気がないのは解っていた。まるで子供じみている、
とひそかに思う。
「お前にも、そのつもりはないだろう。……俺も今は、お前に構っている暇はない」
言われた言葉の意味を、少し考えた。
「そうか」
あんな手紙を送られれば、結城が本物の風見志郎を呼び寄せるのは目に見えている―――と
予測して、自分も待ち構えていたのだが。そう言えば元々帰国する予定になっていたのか、
と思い当たる。自分の脳には、一年前までの「風見志郎」としての記憶がある。結城の再改
造スケジュールも、本物の風見とほぼ同様に把握していた。
「それに」
言いさして、ふと風見の横顔には微妙な表情が浮かんでいる。笑みとも余裕ともつかない、
奇妙な表情だった。何だ、と聞き返そうとするよりしかし僅かに早く、風見は静かに缶コー
ヒーをテーブルに置いて立ち上がった。
あの表情の意味はそれだったか、と、今更のように思い返しながら独り苦笑してドアを開
けると、まだ昼の名残が生温く満ちた空気が出迎えた。既に陽は落ちて室内は茫とした薄闇
に満たされていたが、何となく灯をつける気が起こらないまま、歩を進める。
そのままソファに腰を下ろした。
テーブルの上には、飲みかけの缶コーヒーが置かれたままになっていた。午前中にやって
きた自分のオリジナルが残していったものだ。
(……やられたな)
どうも分が悪いな、と思う。
自分が彼の仲間に会おうとすれば一番鈍いと評される男にすらあっさり見破られるという
のに、彼は易々と自分のふりをして動いて見咎められる事がないのは何故だろう。それにし
てもコピーになりすまして横からかっさらっていくとは本物の風上にも置けないぞ、と自分
と同じ風貌を思い浮かべて毒づいてみる。
(そうか)
事の次第を察した老科学者は、それでも少しばつが悪そうに笑ったものだ。
(昨日の夕方通りかかったのは違ったのか。てっきり君だと思ったな。悪かった)
何も詫びられる事もなかった。
約束のデータは白木博士の手控えを貰っており、さっき使いの男に渡したところだ。夜半
には遠い海の底で待っている《M》の元に届き―――その答えも返ってくるだろう。
そう考えた途端、半年前の思い出がふと甦って、忌々しく眉を寄せた。
窓に貼られた防水ガラスから見えるのは深い闇ばかりだった。
ディーゼルエンジンの駆動音に震える空気は小さな潜水艦の内だけで循環され、混ぜられ
た酸素の重みに淀んでいる。
エンジェルドロップの精製プラントでもあるアジトから脱出した潜水艦は、ひそかにスイ
スへ向かっていた。
(長居は無用だと思っても、どうも後ろ髪を引かれてね)
シザースパンサー共々海に落ちた自分を助けたのは、組織の科学者であり戦闘指揮官でもあ
る《M》だった。アジトの爆発の余波を避けて航行中、偶然にも海中を漂っていた自分を発
見したのだという。
(まさかこんな大きな魚が網にかかるとは思わなかったよ)
深海を行く船から抜け出す方法がある筈もなく、このまま新しいアジトへ連れて行かれるし
かないか、と思っていた。助けられた手前もある。陸に上がるまではおとなしく従うふりで
もしているか、とたかをくくっていた。
そんな思惑が甘かったのだと知ったのは、明日には目的地へ到着するという日の事である。
(で、これからどうする?)
世間話のような軽さでそう問いかけられた時には、何を言われているのか解っていなかった。
見下ろしてくるまなざしの色に、それまでは表立って見せようとはしなかった冷ややかさが
あるのに気づくまでは。
自分の正体は仮面ライダー達の知るところとなり、あっさり見破られて敵よりもむしろ味
方側に混乱をきたすばかりだったのだ。既に自分の利用価値はない。
そんな事にようやく気づいた。
(勿論僕としては、君をここに置くにやぶさかではないんだが)
そうでなければそもそも助けたりしないよ、と《M》は肩をすくめた。
(だが君はやはり風見志郎だしね。ここに居てもし君が辛いばかりなら、頼んで居て貰おう
とも思ってはいない)
その唇には絶やされる事のない薄い笑みが浮かんでいたが、相変わらず目は笑っていなかった。
(もっとも君はいろいろと知り過ぎているからね。無条件で好きな所へ行って貰う訳には行
かないな。だから一つ、仕事を頼みたいんだ)
(仕事?)
(それが終わっても、まだ戻ってくる気があったら。その時は、彼と一緒に戻ってくるといい)
待っているよ、と全く心にもない調子でつけ加えた。
そして自分はここに居る。
かつて地球の支配を目論んだ組織に協力していたという科学者から実験データを受け取り、
その国外脱出を手助けする、それ自体はたやすい話だった。後はさっき届けたデータが検証
され《M》のOKが出れば、明日にでも車を手配し港まで連れていけばいい。
それだけの仕事だ。
無理強いする訳でもない。かねてより待っていた組織の使者が、かつての要警戒人物と同
じ顔をしていたのに多少とまどいはしたらしいが、老科学者は細かい事に忖度しなかった。
それが自分には物足りなかったのかもしれない。
できれば、と思ったのだ。
かつてデストロンに与していた科学者が、再び組織に協力しようとしているように。
(あいつにかつての理想を思い出して欲しいと思っている。それだけだ)
あの時言った言葉は、自分に言い聞かせる為のものかもしれなかった。
今のままに任せていれば、この世界は―――地球は急速に滅びへの道を辿る。将来の人類
と地球を救う為には、優れた指導者による支配が必要だ。増え過ぎた人類を淘汰し、環境破
壊を食い止め資源の浪費をコントロールする事でこの世界は破滅から逃れられるのだと。
(……と、いうところか)
誰が見ている訳でもなかったが、肩をすくめた。
そんな絵に描いた未来論を語られて、一から十まで真に受けるのは純粋な友人くらいのも
のだろうが、とも思う。実際のところ、自分も信じているふりをしているだけなのかもしれ
ないのだ。この目で見てもいない未来などてんから信じる気はなかったし、理屈やデータが
導く類推が正しいとも思わない。
ただ、信念は必要なのだ。
正義を信じている者の強さに立ち向かおうとするなら、自分にも礎にする為の理念がなけ
れば歯は立つまい。たとえ方便としての理想であっても。
そもそも友人を抱き込もうとするならば、真実という名の理想は不可欠だ。かつてその信
じた世界を壊して、新たな正義に向かう目をひらいたように。もう一度、自分が間違ってい
たのではないかと考えさせるには、少なくともそれだけの言葉が要る。
そんな理想論を自分でも信じられれば良かったのにな、と思う。
それとも彼が一緒に来るとしたら、それはまた別だろうか。
まっすぐな眼差し、疑わない心を持つ彼が傍に居れば、自分も疑わずに行けるかもしれない。
(……いや)
そう思いかけて打ち消す。
彼がその瞳で見つめているのは、自分ではない。
《正義》にも《悪》にも信じて与する事のできない自分ではないのだと。
ならば一体何の為に、自分は一命をとりとめてここに居るのか。これから先、何を望む訳
でも信じるものもないなら、自分は何を目指して生きていけばいいのだろう。
ソファにもたれかかり、仰いだ先には茫とした真夏の薄闇があった。
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