3.錯綜
薄闇の内でぼんやりと青白く光るモニターの画面を眺めて、フリーズラットは少し眠たげにまばたきした。画面は研究室に備えた監視カメラ四台分に分割されている。四方から映し出されている科学者達はカメラを仰ぐ事もなく、命じられた研究に取り組んでいる―――と、フリーズラットには見えていた。門外漢である彼には詳しい事は解らなかったが、少なくとも不穏な動きをする者もない。
全ては順調だった。誘拐してきた科学者達は最初の内こそ多少手こずらせてくれたが、今となってはおとなしいものだ。
もう一度御体裁にモニターを眺めて、フリーズラットはあくびをする。彼の身体は夜間活動するようには造られていないのだ。そろそろ休むか、と立ちかけて、しかしフリーズラットは足を止めた。
「―――異常はないようだな」
濃い闇の内から声がした。
「貴様か」
口調に露骨な敵意を滲ませて、フリーズラットはその声に背を向けたまま再び腰を下ろした。
「何の用だ?…貴様が居ないと、奴等が怪しむぞ」
「それなら心配は無用だ。今日はもう、顔は合わせん」
「何の用だ、と聞いている」
「やれやれ」
夜目のきかないフリーズラットには相手の表情は伺えなかったが、どうやら笑っているらし
かった。
「この間の抜け駆けを、まだ根に持たれているようだな」
「いいかメルトバット」
フリーズラットは苛々と遮った。
「そもそも貴様が余計な真似をしたお蔭で、この計画は」
「まあ、そういう事にしておこうか」
その声はいつも通りの余裕ある笑いを含んでいる。しかしむっとして言い返そうとしたフリーズラットは、次の瞬間言葉を失っていた。肩ごしにモニターの一片に映る青年科学者を凝視している闇の内の双眸は、まぎれもない憎悪に光っている。
「…だが忘れては困るな、フリーズラット。この計画はあくまでステップなのだ。我々にはもっと重大な任務がある事を忘れるな」
「貴様に言われんでも解っている」
「これは失敬。…ではついでに、一つ忠告させて貰おうか」
「?」
「奴からは目を離すな。人間と甘く見ると、そのうち痛い目を見るぞ。これはあの方の言葉と思って聞いておけ」
「どういう意味だ、それは?」
「さあて、な…」
空とぼけた風に会話を打ち切ると、やがてメルトバットの気配は消えた。
フリーズラットはしばらく忌々しげに闇を見つめていた。
(どうも気にくわん奴よ…)
元々この計画の最高責任者は自分の筈だった。勿論今もそれには変わり無いのだが、そこに得体の知れない空気が漂い始めたのは奴がやってきてからだ。その来日は当初から予定されていた事とは言え、計画の目的は彼が考えていたものとは何か違うものになってきているような気がした。
それが何なのか、フリーズラットには解らない。
解らないままにもう一度、視線をモニターに戻した。
青みがかった単色の画面の内で、青年科学者は監視されている事を別段気にする風でもなく机の上をまとめている。どうやらそろそろ眠るつもりらしい。
(目を離すな、だと?)
一回目の襲撃の経緯を、フリーズラットはその失敗の報告の時に聞いている。メルトバットの独断専行に腹を立てながらも、その不首尾のおかげで次回の襲撃にはフリーズラットが自ら乗り出す事にしたのも確かだった。
いわば奴は自分の作戦の為のお膳立てをしてくれたようなものだ。
そんな考えが一瞬頭をよぎったがそれ以上深く考える事はせずに、フリーズラットは立ち上がる。闇に対応できない目をしばたいて凝らすと、爪の先で壁を探って夜間監視要員を呼ぶベルを鳴らした。
結城は灯を消した。
解っているだけで、六度目の夜である。
敵に怪しまれない為にわざとまともに当て身を受けたおかげで、途中の事は全く解らない。気がついた時には、もうこの敵のアジトの中だった。
結城達が考えた通り、誘拐されてきた四人の科学者もここで働かされていた。しかし厳重な監視と、一日の半分は各自に割り当てられた個室での作業の為、チームのリーダー格に任じられている川島という科学者以外とはほとんど話をする機会すら掴めない。そして限られた時間の中で、研究にかこつけて聞き出そうとしても、科学者達はもはや余計な事は言うまいと決めているかのように一様に口が重かった。
とにかく一人で調べられる事だけでも調べておこう、と監視が手薄になる深夜に、結城は連日部屋を抜け出してこの建物の内を探っている。風見と連絡がとれる迄に、掴める限りの情報は掴んでおかなくてはならないのだ。
少し仮眠したら今日は地下一階の東側を探ってみよう、とベッドにもぐりこんだ結城は、しかしふっと我知らず遠い目になった。
(…風見)
つとめて日中は考えないようにしているのだが。
(風見は、大丈夫だろうか…)
片時も外さずにいる耳の内のイヤホーンは、意識を取り戻して以来、単調な雑音以外を伝えない。距離が開きすぎた為である事は解っている。しかし最後に交信した時の、風見が説明しなかった―――その状態が見当もつかないだけに、心配になりもするのだ。
およそ心配という言葉とは縁遠い相手ではあったが。
そして危機感の薄い心配ではある。その身を案じながらも、自分が風見の生死を心配してはいない事を結城は知っている。結城には、風見が自分の居場所を知るように風見の存在を感じとる事はできないが、それでも風見に万が一の事があるようならば、それはきっと自分にも伝わる筈だと解っている。
だから心配なのは、例えば身動きできないような傷をおして闘っているのではないか、というような類いの事である。その友人の自信が信頼するに足るものである事は誰よりも解っているつもりだったが、しかし風見がその優れた能力ゆえに重い試練を負い続けてきた事を、結城は知っている。
共に戦うようになった今でさえ、ともすれば全ての危機を一身に引き受けて気づかせないような、そんな友人だった。
今はとにかく眠る事だ、と決めて目を閉じる。わざとしたように寝心地の悪いベッドではあったが、それで不眠症になる程か細い神経は持ち合わせていなかった。
荷物を詰めたスポーツバッグを傍に、風見は腹の包帯をもう一度巻き直していた。
元々二、三日あれば大抵の傷は治ってしまう風見である。かれこれ一週間になろうとするその傷口も、だいぶ塞がってきていたが、力をいれると鋭い痛みが腹を抉る。多分体内にまだ傷が残っているのだろう。放っておけば直に治る、とさほど意に介していない風見ではあったが、いつもよりはきつめに包帯を巻いて固定する。
灯を消して鍵を閉め、結城のアパートを後にした。
あの炎天下、どこをどう歩いて帰ってきたのかはまるで思い出せない。どうやら戸口まで辿り着いたものの、そのまま倒れ伏していたらしい。気がついた時には、夕陽が朱く部屋中を染めていた事はおぼろげに覚えている。意識が覚めた僅かな時間にかろうじて傷の処置だけはしたものの、気を失うように風見はそれから丸二日眠り続けたのである。
ようやく動けるようになると、まず置きっぱなしだったハリケーンを取りに行き、アパート近くの空き地で修理に取りかかった。こちらはもう全快している。ハリケーンさえ動いてくれれば、まず普通の行動に困る事はない筈だ。
自分自身の完全な復調を待っている暇はなかった。
意識を向けるまでもなく、結城の身に危険が迫ってはいない―――あるいは、結城がそれに気づいていない―――事は解っていたが、だからといって呑気に構えてもいられない。何しろそういう意味では結城の鈍さは折り紙つきである。
なまぬるい夜の空気に、エンジン音も湿った。
久しぶりにマシンで大通りへ乗り出しながら、風見はこの一週間、眠っている間でさえ完全には手放した事のない友人の意識の波長を、今度はしっかりと捉え直した。
いつから自分のその能力の範囲に結城が加わったのか、はっきりとは当の風見も覚えていない。どんなに遠く距離を隔てていようとも、しかし風見には結城がどこに居るのか手にとるように解る。何を考えているのかまでは流石に解らないが、結城の気持ちが自分へ向いている時ならば、生理的な感覚すらある程度は掴む事もできた。
今の結城の居場所はここから約五十キロ。多分眠っている。心の内、決して眠る事のない一部だけは辺りの空気を探りながら、敵地に身体を休めている。流石に肝はすわっている、と妙なところで、しかし彼にしては珍しく少し感心もして、風見はその気配の方向へマシンを駆った。
この夜の内に、少なくとも交信のできる距離まで近づかなくてはならなかった。
《結城》
ふっと目が覚めたのはその声の聞こえる前だったか、それとも後だったろうか。
《…聞こえるか、結城》
しかしその声で、はっきりと目が覚めた。
耳の奥に低く響く、聞き慣れた声。
「…風見!」
跳ね起きそうになったのをかろうじて抑えた。灯を消しても、この部屋の監視は暗視カメラに切り替えられて続いている。寝返りをうつふりをしてカメラに背を向け、毛布を頭までかぶって袖口のカフスボタンのスイッチを入れた。
「風見、…今どこに居る?」
《お前の居るところの、すぐ近くだ》
そう答えて、風見はふと声をひそめた。
《出てこられるか。危険ならいいが》
「大丈夫だ。出られる」
結城は急いで答えた。
暗闇の内でかすかに光っている時計の文字盤は、二時を少し回ったところだ。フリーズラットが夜の行動を不得手にしているらしい事も解ってから、結城がアジトの中を調べるのに動いている時間帯である。改造人間であるフリーズラットが出てこないとなれば、他の戦闘員や警備システムを躱すのは結城にしてみればそれほど難しい事ではなかった。
《建物の外まで出てこられれば、後は俺が誘導する》
結城はもう一度時計を見て、戦闘員の定時の巡回が近いのを確かめた。耳をすまして、ほどなく規則正しい足音が扉の向こうを行き過ぎるのを聞く。この巡回をやり過ごせば、しばらくはこの辺りは戦闘員も通らない。
足音が角を曲がるのを待って、ゆっくりと毛布にもぐって身体をカメラの死角へずらす。そのままベッドの向こう側へ降りて移動すれば、扉の上に設置されているカメラの視界を逃れて扉を開ける事ができるのだ。
《…気をつけろよ》
いつになく慎重な風見の言葉に、結城は少し苦笑いしながら扉に手をかけた。
通路のところどころに仕掛けられている監視カメラを避けながら、赤い非常灯のぼんやりと照らす中を進む。
時間差をつけて巡回している筈の戦闘員をそれでも一度位はやり過ごす事になると算段していたのだが、どうやら行き会わないで済みそうだ、と思いながら日中でも警備の手薄な裏口へ通じる階段を上ろうとした、その時である。
「…!」
結城は息を詰めた。
階段の上の踊り場に、誰か居る。非常灯が逆光になって顔は解らないが、痩せた長身のシルエットが―――こちらを向いた。
「…結城くん?」
少し掠れて癖のある声が、訝しげに呼んだ。
そして正面から赤い灯に照らされた結城の表情も、聞き覚えのある声にかすかに緊張を解いた。
「川島さん」
「どうしたんだい、こんな遅くに」
川島誠はいつもの穏やかな口調を崩さずに、ゆっくりと階段を降りてきた。
「…今日のデータをマシンルームに忘れたもので」
万が一巡回に見つかった時の為に用意してあった口実を口にしながら、結城はやっと表情をやわらげる事ができた。
川島誠はNASAの研究員で、休暇で一時帰国していたところをDICに拉致された、この事件の最初の被害者である。結城より確か五才程年上だが、こんな事でもなければおそらく結城とは面識もないままだったろう。結城がまだ学生の時分からロケット工学の天才として名高い科学者である。
「川島さんこそ、どうして今頃?」
「ああ、燃焼実験の比較結果をまとめるのに手間取ってしまってね。全くお互い、ろくに眠る時間もないな」
小さく欠伸をすると、君も早く休むんだね、と思い出したようにつけ加えた。そのまま行き過ぎた川島の後ろ姿に軽く頭を下げながら、結城はほっと息をついた。
改めて神経を研ぎすまし、辺りの気配を探りながら階段を昇っていく。二階分の階段を昇ったところに、どうやら大型車両の出入りに使っているらしい裏口があるのだ。通常は日中でも閉め切られたまま、人通りもない。ましてや夜ともなれば見張りも置かれておらず、監視カメラも一台きりだ。
カメラの視界を避けて、この裏口が使われる時の見張り用の窓を開けて身体を押し出す。
「風見」
《…よし、それじゃ一本道があるだろう。まっすぐ降りてこい》
暗さには目が慣れたつもりでいたが、外に出て自分が今どこにいるのかを見極められるようになるまでには少しかかった。暗いのも道理で、光と呼べるのは空に浮かぶ月明かりだけが頼りの、どうやら山林の中らしい。鬱蒼と茂った木立が幾層もの闇の重なりをつくり、空を塞いでいる。そして自分の足元には、裏口からまっすぐつけられた砂利道が暗闇の内へ続いていた。
あるいは自分も車に乗せられて、この道をやってきたのかもしれない。そんな事を考えながら、結城は小走りに道を降りていった。
《そうだ、そのまままっすぐ―――》
低く囁く風見の声が不意に近くなった、とまなざしを上げた結城の足が、止まった。
「風見―――」
少し目を細めた、微笑にも似た優しい表情が、その高い枝の上から結城を見下ろしていた。
葉擦れの音さえたてずに、ひらりと風見の身体がとんだ。
「風見」
呼ぶ間ももどかしく、走り寄って結城がその友人の両腕を掴むと、少し肩をすくめて久しぶりに見る笑顔がそれに答えた。
「…思ったより元気そうだな、結城」
「これ位の事では応えんよ」
結城らしい勝ち気な返事に、しかし僅かな疲れを感じて風見はふと眉を寄せた。何にせよ道端では危ない、と掴ませたままの腕を引いて、道から少し入った林に踏み込む。
「とりあえず、奴等の目的だけは解ったぞ」
深い木立の内に腰を下ろすと、結城はそう切り出した。
「奴等が造っているのはやはりロケット…但し都市攻撃用のミサイルロケットだ」
「都市攻撃用、だと?」
おうむ返しに呟いた風見の表情が、かすかに動いた。何を思い出したのかは結城にも解った。
「そうだ。…あのアジトの内で、もうほとんど完成している。そしてその目標地点は」
だから結城は自分が、ふと遠い目をしたのも知っている。
「―――東京だ」
その地をにらむ、流線形の殺戮兵器。今では遠い―――しかし忘れえない、その共有する記憶の内に立つ、銀色の悪夢。
不吉な既視感がよぎらないと言ったら嘘になる。しかし結城は、自分がそれに立ち向かう為にここに居る事を忘れてはいない。
「…風見」
だからその友人の名を呼んだ。
「まさか今更僕を送り込んだ事を、後悔している訳じゃあるまい?」
つとめて力を込めた微笑をつくる。まっすぐに見据えてくるそのまなざしに、風見の表情がふと和らいだ。
「…どうして後悔する事がある?」
少し首を傾げて逆に覗き込むようにしながら、風見は聞き返してみせる。
その記憶が今なお消える事なく―――時に信念を試す、不安の具現となるとしても。風見はしかし結城がその障壁をどんな決心で越えてきたかを知っている。それが解っている限り、風見には何ひとつ心配する事がない。
そしてその答にほっとしたように笑った結城に、それで、と風見は先を促した。
「…どうも正確な発射時間は掴めないんだが、川島さんの口ぶりだと」
「川島さん?」
聞き返してから風見も思い出す。
「ああ、NASAの川島博士だな」
「そうだ。今回の計画については、多分科学者達の内では一番詳しい人なんだが…とにかくその川島さんにも正確な時間は解らない。ただ明日…いやもう今日だが、実験か何かあるらしいから」
風見のまなざしがその時、かすかに闇を横切った。
「本番もそう遠くない事は確かだな」
「成程。…そうなると、こちらもそうのんびりと構えてはいられないという訳だ」
答えながらもなお、風見はゆっくりと辺りの気配を探っている。
「勿論奴等の思い通りにはさせん。…ちゃんと方法は」
言いかけた結城の腕を、風見は咄嗟に掴んで言葉を止めさせた。
「…風見?」
訝しげに見上げる友人を、しっ、と手で制して風見はそろそろと手探りに足元の小石を握った。そのまま息を溜めて距離をはかる。
「!」
抜く手も見せずにうたれた小石は木立の闇に溶けるか、と見えたところで、今まさに飛び立とうとしていたらしい黒い巨大な影の羽音に弾けた。
「風見」
「…また逃げられたか」
忌々しげに呟きながら、風見はふと顔をしかめた。急に動いたせいで、落ち着いていた筈の脇腹の痛みがぶり返してきたのだ。
「…見えたか?」
「見える訳がないだろう」
風見の超人的な視力をもってしても、夜の木立に潜んでいた黒い影を見分けるのは無理な話である。
「何だったんだ、今のは?」
「さあな。…まあ少なくとも、味方でない事だけは確かだ」
風見は肩をすくめた。
今回もはっきり姿を見る事はできなかったが、あの気配は一週間前、あの日盛りの中で背後に感じた視線と同じものだ。自分の尾行を先行する車に伝えて阻ませた、見えない追跡者の視線だった。
「…結城」
今更のように辺りを見回していた友人の目が自分へ向くのを待って、風見は低く囁いた。
「気をつけていけよ。どうも、気に入らん…お前の素性も、もうとっくに連中に知られていると思った方がいい」
それはまだ、風見にとってもはっきりとした確信ではなかったが、しかしどうしても、そう思えてならないのだ。あの視線には何かを探ろうというよりも、自分や結城の動きを観察しようとするような余裕がある。
「…もう一人の、改造人間か」
結城が独り言のように呟いたのを、風見は聞き咎めた。
「何?」
「だから…そうするとあのアジトにはフリーズラットの他にも改造人間が居るという事になるな。奴は夜中には活動しない」
それは風見も考えていなかった。言われてみればあの時、風見に斬りつけてきたのがフリーズラットであるからには、あの視線の主が別の改造人間であるのは明らかだ。
「それらしい奴は居ないのか」
「いや…とにかくあのアジトの内ではフリーズラットが全権を握っている。他にそれだけの実力者がいるなら、それ位は僕らにも解ると思うんだが」
言葉は抑えているが、自信はあるらしい。
いずれにしても、もう一人の改造人間がどこかに居る事だけは確かである。しかしとりあえず、結城がまだ敵の研究に係わっているという事は、視線の主が結城の正体を知っているにしてもそれはフリーズラットの耳には入っていないという事でもある。
敵と解っている―――しかも優れた科学者を、自分達の研究室で好きにさせておく程呑気な相手とも思えない。
「…そう言えば」
そこでふと風見は先刻途切れた話を思い出す。
「お前さっき、方法が何とか言ってたな」
え、と聞き返して、それで結城も気がついたらしい。
「ああ」
一応警戒して、声を潜めた。
「奴等のロケットは、絶対に飛ばない」
「飛ばない?」
「無人ロケットだから、コントロールは全てアジトから行うんだ。そのシステムを制御するコンピュータのオペレーティングシステムそのものに、機能を停止させる仕掛けを一つ仕込んでおいた。変数式のコンパイラと一緒に組み込んだから、奴等が多少システムを解析してもまず気づかれる事はない」
「成程な」
風見はまだ少し難しい顔をしていたが、まあいいか、というようにやがて首を振った。
「それなら後は、発射寸前にお前がその場に居れば良い訳だ」
結城は頷いて、腕時計を見た。
「…そろそろ戻らないと。夜明け前から監視が厳しくなるからな」
「ああ、気をつけろよ」
「どうも近頃、君は変に慎重だな」
わざと屈託なく言い返して笑う結城を、風見はかすかに危ぶむような目で見つめている自分に気づく。
何もなければそれでいい。
ただ妙に、胸騒ぎがするのだ。説明はできないが、風見の勘である。
あの運命の日までは何不自由なく暮らしてきた自分と比べれば、はるかに人間の昏い面を見て育ってきている筈なのに、と思う。恵まれない生い立ちにもかかわらず、隠された敵意や裏返しの悪意に対して呆れる程無頓着なこの友人だった。
そして何よりも、それが解っていながら風見にはまだ結城に伝えていない事があるのだ。
「…忘れるところだった」
戻ろうと立ちかけ、しかし結城はふと真面目な顔になって座り直した。
「君、怪我をしているだろう」
風見は怪訝そうな表情をつくった。
「頼むから誤魔化すなよ。さっきから腹に手をやってる…痛むのか?」
まっすぐに覗き込む、そのまなざしから目は逸らしにくい。迂闊だったな、と風見は観念する。
「…大した事はない」
「風見」
軽くいなそうとしたが、しかし結城の目は真剣だった。
「いいか、もし…僕が同じ怪我をしていたら止めると君が思うなら、今は戦わずにいてくれ。後は僕が何とかしてみせる」
「結城」
風見は何と言っていいのか解らないまま、彼にしては珍しい事にしばらく絶句している。
やがてふっと、結城の目が和らいだ。
「…君がそうまでして、ここに居る訳は解らないが」
風見には何か自分に黙っている事がある―――そしてそれが最近の彼らしくもない慎重さの理由なのだろう、という事が結城にもおぼろげに解っている。確かに人の心の機微には疎い自分ではあったが、それに気づけない程の短いつきあいでもなかった。
「…お前に俺の心配をさせるようになっちゃおしまいだ」
しかしそんな結城の気持ちを見透かしたように、風見はふいと肩を逸らして斜に結城を眺めた。
「もう一週間も経ってるんだぞ。お前も知ってるだろうが」
言外にその能力を思い出させて、笑った。
今は結城に余計な事を考えさせる訳には行かない。
これからが、本当の正念場なのだ。
「それなら、いいが」
しかしそれで不承不承結城も立ち上がった。
「くれぐれも、無茶はしないでくれ。…帰ったら、一度診せてくれよ」
まだ心配そうに向けられているまなざしを煩げに見上げて、解ったよ、と風見は答えた。
4.対決
窓から射す朱光が、川島の長身から細長い影を曵いていた。
「―――さて」
川島は手を止めて、ぐるりと四人の科学者を眺めた。
昼過ぎになって、急に「上から」命じられた全システムの再チェックが、ようやく終わったところである。
そしてロケットの発射時刻が今日の十九時に決まった事が彼等に知らされたのも、つい一時間前の事だった。
「全システム異常なし。…完璧だ」
その言葉は、彼等の仕事が完了した事を意味していた。後は管制室からの命令を下すだけで自動的に各種計測データによる微調整が行われ、そして攻撃目標―――東京に向けてロケットが発射される。
川島を見つめる他の三人の科学者が、その言葉に一様に不思議な表情を浮かべるのを結城は見ていた。
それは悪魔の計画に加担して恐ろしい殺戮兵器を造り出してしまった事への後悔と恐怖と、同時に全く相反する充実感のないまぜになった複雑な表情だった。
自分もあんな顔をしたろうか、と結城はふと思う。
それは科学者であるという事そのものの業なのかもしれない。
きっとミサイルロケットが東京を閃光に包むその瞬間にこそ、もっとも強く沸き上がる悲しみと達成の快感とを、彼等は無意識の内に予見しているのだ。
しかし結城は、自分がその全てを無に帰す為にここに立っている事を知っている。
「あと三〇分か」
川島が時計を見た。
「それでは…そろそろ管制室へ行くとしようか」
無言のまま歩を揃える四人を従える形で、川島が扉を開ける。
扉の外では先刻から待っていたらしいフリーズラットが戦闘員を引き連れて慇懃に頭を下げていた。
「…どうやら予定通り始められそうですな」
「ああ」
フリーズラットには殆ど目もくれずに行き過ぎながら、川島は短く答えた。そのまま管制室への通路へ向かう白衣の一群の後ろについて結城も歩き出そうとした、しかしその時である。
「―――少々お待ちを」
長身に似合わぬ素早さで結城の前にフリーズラットが立ち塞がるのと、結城の背に固い銃口が押し当てられたのはほぼ同時だった。
「…何か?」
怪訝そうに振り返った川島に、フリーズラットは芝居気のありすぎる笑顔で返した。
「いえちょっと確認する迄で。…すぐ参りますから、どうぞお先に」
そしてその右腕に仕込まれた細長い刃は、ぴたりと結城の脇腹に沿って鈍く光っている。
(甘かったか…)
その感触に知らず身が竦むのを感じながら、結城は唇を噛んだ。
この直前になっていきなりシステムの再チェックなどと持ち出された時に、気づくべきだったのだ。
「…さて、実は少々妙な話を聞きましてね」
他の四人の姿が廊下の向こうに消えたのを見計らって、フリーズラットはゆっくりと切り出した。
「何でも、もう一つの顔をお持ちだそうですな。…世界の平和だの人類の未来だのと御託を並べて煩く我々を付け回す…!」
言うなりすっと引かれた刃が抉ったのは、しかし結城の背に銃をつきつけていた戦闘員の身体だった。すんでのところで体を入れ替えて逃れ、結城はそのまま壁を背に回している。
どうやらもう全ては露見してしまっているらしい。自分が仮面ライダーの一員である事―――そしてミサイルロケットの制御システムに細工した事。それがフリーズラットに伝えられたが為の、急な再チェックだったのだ。
あの晩、結城はまだ監視者が居た時には「方法」としか口にしていなかったから、おそらくシステム自体に仕掛けをしたものと思ったのだろう。しかしその程度の危険は、もとより結城の予定内だ。
「…そして今日の打ち上げを妨害されるような計画も立てておいでだったとか。どんな計画かは知りませんが、いや流石は我々の見込んだ科学者だけの事はある」
しかしフリーズラットはまだ余裕のある口調を崩さない。
「御安心なさい。殺しやしません。…今はね。メルトバットに約束しましたから」
「メルトバット?」
結城は聞き返した。
「それが…僕達を監視していた改造人間の名前か?」
「やれやれ、そこまで知られていましたか」
フリーズラットは尖った口元に苦笑を浮かべて、刃を斜に構えたまま近づいてきた。その足元で、つい今し方フリーズラットの刃に倒れた戦闘員の骸がまだ拳銃を握る手の形を残したまま、砂と化して崩れた。
「どんな作戦を立てられたか知りませんが、調べ直してもシステムに異常はない。…発見できなかったその時は、あなたが管制室で妙な真似をなさらないようにお引き止めしておけとね」
「メルトバットとやらが、そう言ったのか」
ええまあ、とフリーズラットは表情を変えずに答えた。
「まだ本体にはお会いになっていらっしゃらない筈ですから、そのうち御紹介しましょう。…そうですな、あの目障りな都市がきれいさっぱり無くなった上に築かれる我らの基地ででも」
「基地だと…そんな真似をさせるものか」
こうなればもう力を隠す必要もない。変身してでもとにかく管制室へ向かわなくては、予定時刻まで残り25分をきっている発射の阻止に間に合わない。
「ほう。では今度こそ、戦うおつもりですか」
笑いながら、フリーズラットはおもむろに左腕の刃もすらりと伸ばした。
「仕方ありませんな。…約束が守れなかったと、メルトバットには謝っておきましょう」
赤い双眼に凄みを含んだ光が宿る。と同時に水平に疾った銀の輝線を、結城は見切るのが精一杯だった、躱したつもりだったが、白衣の襟元から胸へかけてざっくりと切り裂いた一太刀は下のワイシャツを露にしている。
「…成程」
ゆるりと戻した右の刃を舌先で舐めて、フリーズラットは独りごちた。
確かに仕留めた、と思ったのだが。
(確かに人間と甘く見ては、危険だな…)
しかしもうそんな事はとっくに自分にも解っていた事だったのだ。
多分この科学者を自ら拉致に乗り出したあの時、助手を庇おうと自分に真っ向から立ち向かってきたあの瞳の内に、既にそれを見てとっていたのだとフリーズラットは思う。そうでなければ、それまでそうしてきたように哀願にも脅しにも耳を貸さず、標的以外の邪魔者は全て始末する方が余程手間もかからなかった筈なのだ。
(そうともメルトバット…貴様に言われる迄もなく、解っていたとも)
夜明け頃に現れて手短に結城丈二の正体と、それに対する指示を出したきりで戻っていったその男を、もう一つの姿で思い浮かべながらフリーズラットは右の刃を引いた。
(だから何でも手前の思う通りになると思うな…こいつは最初から、俺の獲物だったんだからな)
斜に切り込んでくるフリーズラットをかわして繰り出した結城の蹴りはその脇腹をかすめたが、フリーズラットは捻った動きの流れを利用してすかさず左の一撃に転じる体勢をつくっている。避ける時間がなかった。
「!」
金属同士がかみあう鋭い音が耳元で弾けた。
「…貴様」
フリーズラットが呻いた。
「貴様、まさかっ…」
袖を深々と切り裂かせながら、しかし結城の右腕は真正面からフリーズラットの刃を受け止めている。
そしてその拳がぎゅっと力を込められ、少しずつ押し戻していく。腕の向こうから見上げる瞳は、フリーズラットが未だかって見た事のない光を宿していた。
切り下がって邪魔な袖を破り取り、結城はここへ来てこのかた外した事のなかった白手袋を取った。肌の色に似せながら硬質の外見を持つその右腕が、夕暮の光の内に露になる。
(もう時間がない)
ライダーマンに変身して、フリーズラットを倒す余力はないまでもこの場は何とか振り切って一気に管制室まで突破しよう、と決めて結城は呼吸を整えた。対するフリーズラットも、何が起こるのかは解らないながらも、やるまいと右腕を振りかざした、その時だった。
「…何をぐずぐずしてるんだ、お前は」
不機嫌そうなその声は、フリーズラットの肩ごしに結城に向けられている。
「風見!」
フリーズラットの右腕を掴んだ手を軽々と返し、泳ぐ刃先のきらめきに少し眉を顰めながらも背へぐいと腕を捻りあげると、風見はじろりと結城を見た。
「こいつは俺が引き受けてやるから、とっとと行け」
「…風見」
大丈夫なのか、という言葉は飲み込んで、結城はそのまま風見の横を抜けた。今は何よりも、しなければならない事がある。管制室へ向かうエレベーターは廊下の突き当たりだ。
「…貴様、あの時の…」
ようやく首を捻って風見の横顔を見たフリーズラットが、驚きの声をあげた。
「何故だ…確かに片付けた筈」
その言葉に結城の足が思わず止まったのに気づき、風見はひそかに舌打ちする。
「随分と甘く見られたもんだ。…な、結城」
軽く言い放つと、とん、とフリーズラットの背をわざと無造作に突きとばし、足元に落ちていた拳銃を拾った。何か言いたげにこちらを見ている結城に放る。
「時間がないんだろう。早く行け…東京を吹っ飛ばさせる気か?」
「風見」
「……貴様らごときに邪魔立てさせると」
すかさず起き上がってきたフリーズラットが結城に向かおうとした。しかしその腕は、風見が再び手荒く捕らえて引き戻している。
「―――行け、結城!」
それでもまだためらうように一瞬まなざしを残したが、意を決して結城は走り出した。
「ま、待て!」
追い縋ろうとするフリーズラットがもがく。その腕をがっちり掴んで、風見は低く呟いた。
「…この間は不覚をとったがな。この風見志郎に二度同じ手が通用すると思うなよ」
「風見志郎だと?」
フリーズラットの動きが止まった。
「それでは貴様が…中東支部をたった一人で潰滅させたという、あの…」
「知っているようだな」
結城の足音が自分にも聞こえなくなったのを確かめて、風見は手を放した。
「仮面ライダーV3―――風見志郎だ」
自由になったフリーズラットは、しかしもう結城を追おうとはしなかった。
「ならば相手にとって不足はないわ…」
どのみち追いつけもしないだろうし―――それに、とフリーズラットは思う。
(そこまで奴に義理立てする必要もない…あっちはあっちで、奴が自分で始末をつければ良い)
何よりも目の前の相手が、その組織内ではもはや知らない者はない強敵である事が、フリーズラットの戦闘意欲をそそった。
(こいつを倒せば、大幹部の座も夢ではない)
ましてや先に、自ら手傷を負わせた相手である。あの時の手応えからいって、たとえ改造人間であろうと一週間やそこらで完治する傷ではない筈だ。
この千載一遇のチャンスを逃す手があろうか。
フリーズラットは喉の奥で低く唸り、上体をかがめて両腕の刃を逆手切りに構える戦闘体勢をとった。
そしてゆっくりと風見も変身の体勢を整える。外見からそれと気づかれる事はまずないだろうが、その体内に抱えている傷が長く戦う事を許してくれないだろう事は風見自身が一番良く解っていた。
「―――変身、V3!」
フリーズラットの左腕の一閃は僅かに遅く、その頭上を鮮やかに飛んで向こうへ降り立ちざまフリーズラットを振り返ったのは大きな緑の複眼だった。
対峙する二人の改造人間の姿を、弱い残光がおぼろに照らす。
その光はどこか血の色を含むように赤かった。
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